黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

プラタナス

2016年08月31日 11時36分06秒 | ファンタジー

 プラタナスの木は再生力がきわめて旺盛だ。落ち葉清掃の手間を省くため、青々しているうちに枝を徹底的に剪定されても、翌年にはいつの間にやら枝を伸ばし、濃緑色の大きな手のような葉を茂らせる。家の紫陽花とは大違い。短く剪定したら、それから四,五年にもなるのにさっぱり咲かない。
 それにしても、プラタナスはこれといった特徴があるとは思えない。図体や葉っぱがデカく、見ようによってはボテッと野暮ったくパッとしない。秋になり、一気に落ち始める葉っぱは地面を覆い、靴や車のタイヤに絡みついて嫌がられる。モミジなら地面に落ちても味わいがあると愛でられるのに。
 しかし、プラタナスは、コンクリートに囲まれた街に、緑の潤いと日陰そして一定時間の雨宿りの場を提供してくれる。やはり街なかに最適な木なのだ。(2016.8.31)
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家中 SMAP現象

2016年08月23日 13時42分06秒 | ファンタジー

 SMAPの解散が決まった。我が家中もいろいろな風が吹き荒れ、不安と震えが止まらない。
 そんな差し迫った昨夜、台風が間近に迫り、三十数年振りに近所の小河川があふれそうだという噂が広まった。家族は持ち物を一階から二階へ移し替えようと大騒ぎになった。雨なので窓を開けられず、エアコンがない家中は湿度が上がりっぱなし。はなも、何ごとかと階段を行ったり来たりして、相当減量したことは疑いない。
 先週から断続的に降り続いた雨が、いつの間にやら、すぐそこまで泥水となって押し寄せてきていた。それなのに、私たちは休日に、のんびりと墓参りを兼ねて、とある森の奥の美術館で開催中の仏絵画展に出かけた。最終日の前日だったのに、大雨の影響か、館内はガラガラ。絵一枚一枚に貼り付けられたていねいな説明書きをゆっくり読めたのはよかった。最近、イヤホンタイプの説明グッズは不人気なようだ。それにしても読むのに忙しく、絵をちゃんと観たかどうか自信がない。
 帰りがけ、美術館の遊歩道で、カモ親子の散歩の行列にすれ違った。子の安全確保のため、敷地内にある三つか四つの池を行ったり来たりしているのだろう。でも、子ガモは三羽しかいなかった。墓地もスカスカだった。
 今朝起きると、雨は小降りになっていた。とりあえずテレビで雨雲レーダーを見ると、列島の北の端に、青や赤、黄の不気味な文様がはい回っていた。ヒトの文明が始まるのとほぼ同じころから暴れ回る、まさにかぎ爪を持った邪悪な龍のようだ。黒い雲を従えた龍は、次の獲物をねらって大陸の方へ飛び移ろうとしていた。(2016.8.23)

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記憶にとどまらない病名

2016年08月16日 13時47分34秒 | ファンタジー

 二週間前に宣告された「低音障害型急性感音性難聴」という病名は、取っつきづらいし難しいので、人から聞かれて正しく発音できたためしがない。実はなかなか自分の記憶にとどまらないのだ。
 病名の件はともかくとして、なかなか低音のボウボウ障害は治まらない。ちょっとイライラして、お盆明けにすぐ病院へ行こうと思ったが、多少とも回復兆候が見受けられるし、私のせかせかした行動様式が体調の変動を引き起こす一因かもしれないし、あと一週間くらい様子を見てからでも遅くはない、と踏みとどまった。
 思い返すと、私の系統の祖母と父もかなり耳が遠かった。今の私の歳を考えたら、私が生まれる前に亡くなった祖父の歳をとっくに追い越している。そろそろあちこち軋み始めても驚くようなことではない。なお、祖父の耳が、彼の死の間際、遠かったか近かったかは定かでない。
 かかったお医者が評判の無口な人だったのは、私にとってありがたかった。加齢などとよけいな修飾語を使わず、きちんと病名を宣告し薬を処方してくれたのだから。辛気くさい患者をそれ以上がっかりさせないよう、気を遣ってくれたのかもしれない。(2016.8.16)
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増毛駅の写真

2016年08月14日 09時38分52秒 | ファンタジー

 一昨日、JR留萌本線の留萌・増毛間のディーゼル列車に初めて乗ってみた。二両連結の紛れもない列車の中はほぼ満席。大方が観光客で、みんなキラキラした視線をあちこち泳がせている。向かいの若者二人は例外的に眠っているが、三十分程度で終着駅増毛に着く列車ドライブなので、熟睡することはないだろう。
 列車は、夏の淡い色の海と、列車を覆いつくそうとする茫々の草むらとの境い目をぬって、いたる所でレールを軋ませながら走った。この乗り物がなかったなら、とてもこんな深く濃い自然の中に入ってはいけない。
 この区間は、今年の冬を迎える直前の十二月、廃止されることが決まっている。ヒトやネコの許から、またひとつ自然が切り離される。(2016.8.14)
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またもや急性

2016年08月03日 14時43分06秒 | ファンタジー

 二日前から耳の調子が良くない。右耳は2005年秋、突発性の難聴にやられて以来、あまり頼りにならない。なので、また右がパンクしたのかと思ったのだが、昨晩、両耳をふさいだり、ほじくったりしてみたところ、どうも左耳がボォボォしているらしい。私のようなボォッとした性格なら使いようがないわけではないが、耳がそうなったら不便だし、気持ちのいいものではない。
 今日、耳鼻科で告げられたのは、「低音障害型急性感音性難聴」という覚えきれないほどの病名。主に低い音域の聞こえが悪くなり、つまった感じや低い耳鳴りを伴う。原因のひとつとして、耳のリンパ液が増えるためと推測されるが、なぜリンパ液が増えるか医学的に原因は解明できていない。過労、寝不足、ストレスなどが疑われ、治療で聴力回復の可能性は高いが、一部難聴が残る場合や、症状をくり返すとメニエール病に移行することもある。という丁重な説明書をいただいた。それ以上聞くと、次に何が飛び出すか恐ろしくなって、ひと言も発せず退散。
 私はとくべつ神経繊細なのだろうか? ストレスに弱いのだろうか? などと隣人に聞いてみるのだが、ほんとにそうね、と相手にしてくれない。(2016.8.3)
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本あれこれ

2016年08月02日 15時09分20秒 | ファンタジー

 この前の日曜日、毎日新聞の書評欄を開くと、傘寿を迎えた山尾幸久氏の最新刊「古代の近江 史的研究」の紹介文が顔写真入りで掲載されていた。七年前、脳梗塞を発症して、後遺症でつっかえながらしか話せない状態だったと記されていた。すると、NHKのシリーズ「日本と朝鮮半島2000年」(2009~2010放映)に出た直後に倒れたことになる。
 氏の本は三十年ほど前、「日本国家の形成」(岩波新書)を読んだだけ。「たぶんこれが最後。これだけのものを書いて終われるのは幸せ」とする新刊ならぜひ読みたい。
 この本の内容紹介によると、六世紀初めに即位したとされる継体の出自について新説を提起した。古事記で、父母ともに記載がないのは継体だけ。近江の高嶋郡に父親の支配地があり、そこに越前から女を迎えて継体が生まれたと書かれているが、父親の本拠地がどこだったのか本格的に論じられていなかった。この地域の玉作り集団を代表する物部氏が継体の父方の祖先で、大和王権は継体を婿として迎え入れることによってその勢力基盤を吸収合併したと考えた。
 物部氏はイワレヒコより先に飛鳥に入った天孫系豪族とされているが、謎の多い豪族。記紀編さん時、不比等の上司の左大臣が物部の子孫である石上氏だったので、彼の顔を立てたという、うがった説もある。
 ついでに、古代史関係で興味深そうな最近の本をいくつか掲載する。
「邪馬台国の全貌」(橋本彰・文芸社)、「神話で読みとく古代日本」(松本直樹・ちくま新書)、「風土記の世界」(岩波新書)
 歴史物以外でおもしろそうなもの。「言語学の考え方」(黒田龍之助・中公新書)、「翻訳できない世界のことば」(創元社)、「図書館超活用術」(朝日新聞社)、「造形思考」(パウルクレー・ちくま学芸文庫)、「安全保障を問いなおす」(添谷芳秀・NHKブックス)、「数は科学の言葉」(ダンツィク・ちくま学芸文庫)、「おおかみと6匹の子ヒツジ」(多数あり)、「共同幻想論の巻末解説」(角川ソフィア文庫)
 なお、購入済みの「風土記の世界」を含めまだ一冊も読んでいないので、ほんとうにおもしろいかどうかはわからない。(2016.8.2)
 

 

 
 
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半世紀前の猫を探す

2016年08月01日 15時29分29秒 | ファンタジー

 今朝はひどく不快な暑さだった。ネットで調べると湿度九十パーセントの表示。あきれて久しぶりに冷房かけて涼みながら、何とはなしにネットをいじっていたら、「學士會報」という雑誌のH27.5月号に、日本古代史の上田正昭の記事を見つけた。タイトルは「東アジアと古代日本」。5C後半、災害で荒れ果てた飛鳥の地が、朝鮮半島から移住してきた者らによって復興され、それが後の繁栄の基盤になったという内容だった。
 続けて、学士会アーカイブスのページを開いた。すると、目に飛び込んできたのは、M22年に起きた熊本地震直後に現地入りしたルポルタージュ。この記事にも、住人たちは戸内に眠るのを危険とし、路傍に小屋を懸けて露宿する列を見た、とあった。
 知った名前が続くので止められなくなった。明治の後半から昭和の十年代までの間、吉野作造、新渡戸稲造、澁澤栄一をはじめ、当代の著名人の名が連なる。大戦後になると、いにしえの有名人が登場する。日本の仏文学の草分け的存在、辰野隆がS30會報に、自身の学生時代、仏人の教師からマンツーマンで睡魔と闘いながら授業を受けたことなどを書いている。
 S41には英文学の出原佃が「夏目先生と私」を寄稿。大学生の出原が、担当講師の漱石から質問されるたび「知らんです」と答えるので、業を煮やした漱石から「シランデス」という博士号?を贈られたこと。漱石が西園寺総理主催の文士たちのパーティーに招待されたとき、「時鳥厠半ばに出でかねたり」と断りのハガキを出したこと。そして有名な懐手の逸話、授業中も懐手のままの学生に腹を立てた漱石が、学生の手がないことを知って、「私がない智恵を絞っているのだから君もない手を出せ」と苦し紛れの口上を述べたこと。これらのことを記した後、「それから五十年、半世紀、今ごろお逢いしたいと言ったとて出来ぬ相談、こんなことを書いて見て先生を偲びたい」と結んでいる。残念ながら猫は出てこない。
 辰野や出原の記事を読むと、半世紀もの昔の思い出に耽るのが楽しくてしかたがないといった気持ちがひしひしと伝わってくる。年とればこれ以上の幸せはない。
 このあと、丸山真男、竹鶴(子息)、東山魁夷、平山郁夫たちが続き、平成に入って、岩波書店会長の岩波雄二郎の「ドイツよ、お前もか?」に目をとめた。私はこのとき、雄二郎を創業者の茂雄だと勘違いしたまま、十数年前に訪れたときの勤勉で誠実だったドイツに比べ、今はずいぶん国民性が乱雑になったという批評を読んだ。ご存知のとおり、岩波は漱石の「こころ」を創業第一作として刊行した。ちなみに我が出版社の初刊行本は「黒猫とのの冒険」である。著者名は猫石とでもしておこう。
 ふと気がつくと、アーカイブスを読み出して二時間近くも座りっぱなし。おまけに冷房に当たって体が冷え切ってしまった私はあわてて席を立った。そして、半世紀前の猫がいないかと周辺を徘徊し始めるのだった。(2016.8.1)

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