黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

宇宙人襲来

2012年10月30日 10時25分07秒 | ファンタジー

 ヒトは基本的に同じ種とされている。DNAにネアンデルタールのかけらが入っていようと、それはほんの微細なものだ。ところが、周囲を見回すと、顔も性格も行状もそれぞれ違いすぎることに愕然とする。よく考えると、私たちがネアンデルタールのかすかな血統を受け継いでいるということは、それより五~七百万年もはるか昔のラミドゥス、アファールなどの一変種でもあるということなのだ。驚くことはない。
 ところで地球の外、数十光年ほどの範囲に、この星と似たような惑星があるというから、ひょっとすると数百万年前の猿人たちよりも、よく似た宇宙人が存在するかもしれない。冗談を言っているわけではない。事実、私なんて、面と向かって、何度も宇宙人だと言われてきた。失礼極まりないけれども、そう言われたときは、あんたほど遠い星からやって来たわけではないと抗議することにしている。
 最近は、一千万光年も離れた宇宙の果てからやって来た者が多くなったためか、さすがの私も彼らが何を考えているやら、さっぱりわからない。ささいな出自・血統の違いにこだわって、あれほどまで残虐な仕打ちを他のヒトに向けることができようとは。それらの事実とヒトの精神について、子どもたちにどうやって説明したらいいのか、頭を抱えてしまう。この地球には、多くの平和的な宇宙人が暮らしているというのに。私たちの周囲には、種が違っても、限りなく無償に近い愛情を注ぐことができるネコたちがいるというのに。(12.10.30了)
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教科書の一行

2012年10月11日 10時21分19秒 | ファンタジー

 人の歴史がわずか数百年しかさかのぼれなかったとしたら、あるいは、人の営みの記録というものがすべて誰かの創作によるものだったとしたら、と思うことがある。
 現代のことを言っているのではない。世界各地に残された国や民族の歴史は、自らが、あるいは征服者が、文字や絵、その他の表現によって記し残している。政権交代するときなどは、歴史家たちは大変な忙しい目に遭う。記録の焚書や書き換えを行って、それ以前の歴史を消し去ってしまう必要があるからだ。たとえば、教科書で習った西暦六四五年の大化改新の際、蘇我蝦夷と入鹿親子が滅亡するとき、自邸に火が放たれて、古い天皇の史書が焼かれたという。それは蘇我親子が自らやったのか、中大兄や中臣鎌足たちの犯行だったのかはっきりしないが、蘇我邸にあったという帝記は、政権を盗った者らにとってとても邪魔なものだったのだろう。
 ある説では、大化改新とは実際は五十年ほど後の時代の出来事であり、大和(やまと)勢力が九州王朝の倭(わ)の王を滅ぼした大事件だったとされる。国の支配者となった大和は、王朝転覆の痕跡を歴史から葬り去り、自分たちを倭王朝の正当な継承者として歴史の一行に書き加えた。余談だが、今どきの日本国の政権の記録なんて、教科書の一行にさえ書くに値しないものばかりだ。
 お隣の中国でも、秦の始皇帝は、建国後、大規模な焚書坑儒によって、儒教という先代の文化と歴史を焼き、穴に埋めた。その後は目立った焚書は伝えられていない。しかし、中国に残されている各王朝の分厚い史書とは、次の王朝が自分たちの目線で、先代の事跡を解釈し記録したもので、その解釈を鵜呑みにするのは危険な面がある。もちろん司馬遷が記した殷の国は発掘によって実在が照明されるなど、はるか古代を照らし出した歴史書もこの世には存在する。
 西方で世界最大といわれたアレキサンドリアの図書館には、はるか古代の知恵や文化が大量に収拾されていた。大地震で海に水没したためか、書物類の価値を知らない粗忽で邪智の者らの仕業なのかはっきりしないが、王朝の衰退とともに、せっかくため込んだ古文書はすべて散逸し、大事な歴史を失った。
 仮に、そのような隠滅とか創作とかがなかったとしたら、人の歴史は、もっと長く困難な時を経てきたことがわかったに違いない。今、私たちが恐れているのは、家の暗がりに積まれた本や資料の類が根こそぎ処分されることより、宇宙の果てまで蔓延するかに思われる電子媒体上の情報を使えなくなってしまうことだ。誰かがボタンをひとつ押せば、それらは一瞬にして改ざんされたり、消滅してしまいそうな気がする。そうなれば、恐竜を滅ぼしたとされる隕石が降ってくるまでもなく、人はいったん生きた痕跡を清算させられ、その上で新たな人類によって、かろうじて曾爺さんころの事跡までさかのぼり、かなり粉飾された歴史が再構成されるのだ。(12.10.11了)
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ひずみ始めた感性

2012年10月03日 09時39分45秒 | ファンタジー

 二日前のこと、またカラスとニアミスした。前回のカラスブログ(「近ごろの出来事」)は、今年一月三十日朝の出来事だったから、ちょうど八ヶ月目になる。事件発生地点は、一月は仕事場のある隣町の路上、今回は居住地の駅だ。
 居住地の駅裏から駅前に通じる人道跨線橋を上がり、下り階段に近づいたとき、バサバサと大きな黒い羽を羽ばたかせて、大人のハシブトカラスが目前の橋の手摺りに、悠然と止まった。
「おい、近々、ちょっと時間を作ってくれよ」
 彼は首を少し傾げて、確かそんなふうに言った。そのカラスとの接点は特になかったが、その辺りにはなかなか個性派のカラスたちが居ついていて、ときどき挨拶することがあった。数年前に、ちょうどその欄干から、真下の乗用車の屋根に、嘴でくわえた大きな石を落としたカラスがいた。被害に遭ったのは駅の専用車だった。きっと気にくわない駅員がいて、どうしても仕返しをしたかったのだろう。
 その日の帰路、カラスのことなどすっかり忘れ、跨線橋を反対に渡って、私の古い専用自転車を置いた駐輪場に向かった。この季節、駐輪場はすでに闇にすっかり閉ざされていた。遠くから、私の紺色の自転車が孤独そうに、ぼんやり浮かんでいた。ふと照明がないのに、どうして見えるのだろうと思った。あと数歩で手が届くところまで来たとき、自転車が私に向かって車体全体で何か話しかけているような気がした。「ずいぶん待ってたんだよ」とでも言うように。私の感性のどこかにひずみが生じ始めたのだろうか。(12.10.3了)
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