黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

はなのネコ歳

2022年06月28日 15時48分40秒 | ファンタジー
 はなのネコ歳は18年と3ヶ月。ブログ写真を見た方々から、いつまでも若いねェと言われると、お世辞とわかっても悪い気はしない。でも、ヒト歳ならそろそろ90歳。往年の輝きはもうどこへやらか。
 最近、はな!と呼ぶ母さんの声が戸棚の引き出しから聴こえてくることがある。たぶん左耳が反応していないみたい。目の方はすりガラスを通して見ているようだ。この前、階段下りの最中、つまずいて右腕をひねってしまった。ご飯茶碗かと思って水入れに鼻を突っ込むこともしばしば。はなは、もうネコらしくなくなったのかな?
 でも食欲は若いころと変わらない。
 はなの朝ご飯は必ずヨーグルトか牛乳を所望。ドライフードメーカーはオランダとフランスと日本の3種混合。その上に活きのいいマグロとカツオの缶詰を少々載せる。さらに、一日に一度は焼き魚か鶏肉のトッピング。その他に、父さんが食べるオヤツは甘いもの辛いものもまんべんなくいただく。とくにビールの泡は冷たくて大好きだ。
 ということは、ネコ変じて、化け……でなく、ヒトに似てきたのかな?(2022.6.28)
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6月下旬なのに寒い

2022年06月24日 22時15分45秒 | ファンタジー
 今日の本州は猛暑に襲われているというのに、この町の高齢ヒト(自分ではそう思っていないが)と老ネコ(はなも……)の家庭では暖房を入れた。はなは少し暑いのか倒れている。(2022.6.24)
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故旧忘れ得べき

2022年06月21日 21時23分41秒 | ファンタジー
〈アジサイはまだまだ咲かない〉
 高見順の「故旧忘れ得べき」(1935年第1回芥川賞ノミネート作品)を3日間で読了した。故旧忘れ得べき、とは、古い友人たちをどうして忘れられようか、という意味。小説の最終章で、この言葉が歌のタイトルであることが判明する。その歌とはかの有名な「蛍の光」。
 原曲は、18世紀後半に生きたロバート・バーンズという人が、古いスコットランド民謡に詩をつけたもので、その詩には友人たちと一杯やる楽しさが詠(うた)われている。昔の仲間たちのことを懐かしむ歌が、日本では別れの歌に変身したわけだ。なので、高見順の意訳の方が、蛍の光の硬い詩より原詩に忠実なのだ。
 こんな詳しく紹介したのは、気を入れてこの本を読んだからではない。つまらなくはなかったが、下世話で猥雑な筋書きの部分は文字面をかすめるように読んだ。何としても途中で投げ出したりせず、最後の一文までたどり着き、М新聞に掲載された荒川洋治氏の書評の感動を追体験したかったから。感動の程度の差はあったと思うが、私も感動した。
 不思議なのは、読み終わってみると、30代と思われる男たちと女が絡む話が、妙に懐かしく愛おしくよみがえってきたこと。男たちときたら、昭和初期の左翼運動に首を突っ込んだが、国家権力など様々な圧力によって屈してしまった虚無感とかで、支離滅裂な生き方をしている。それに比べ、女たちは現実社会からこぼれ落ちそうになっても、なにクソと足を踏んばって、男を頼りながらも辛抱強くしたたかに生きている。
 私も一応、高校時代の抵抗運動からの転向組なので、本の中の男たち同様、その後の人生街道の途上、ずいぶん恥ずかしい真似をした記憶がある。しかし、10代の時分の思想闘争とはいったいどんなものだったのかと冷静に考えてみると、私の場合は、親の束縛に対するささやかな抵抗にすぎなかったと思う。なので、それに敗れたからといって、運動から転向したといった大げさなことではなく、ただ力不足だっただけ。「故旧」の中にもそのような男たちがいたのかもしれない。
 過去の世の有名人の中にも転向組がわんさかいる。若いころ共和主義者だったナポレオンは皇帝になることを切望するようになるし、社会主義者を標榜していたはずのヒトラーは人民を捨て、典型的なレイシズム(人種主義)信奉者になった。プーチンの思考様式も似たようなものか。社会主義の中に育ち、巧妙に立ち回ったあげく、君主制を目指すとは‥‥。これらはヒト精神の退化現象としか思えない。
 高見や荒川、そしてバーンズが言うように、「ただ黙って向かい合って座っているだけでも自ずと心が暖められる」友人たちと過ごす時間は長く続かない。高見がこの小説を書いたころとは、その数年前に満州事変が起きているし、中国と直接戦闘を開始する盧溝橋事件の前夜なのだ。彼らは、転向してもしなくても、不本意な戦争のただ中に送られ、多くは非業の死を遂げたのだ。
 私たちは、高見たちの生きた時代の切迫感とはほど遠い位置にいる。コロナ禍やウクライナの戦争に心を痛めているものの、そのうち収まるさ、と他所事に思っているところが、私自身、多少ともあるような気がする。再びつらい時世がやって来るかもしれないのだが、月々日々に身の振り方を考え続けるのは確かに至難なのだ。(2022.6.21)
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今、息してた?

2022年06月15日 22時37分51秒 | ファンタジー
〈いただきもののビールは美味かった〉
 年取るにつれて体も頭も動きが鈍くなって、酸素をあまり消費しなくなるからだろうか。ここ数年、物事に集中しているときなど、ふと気がつくと息してないことがある。急に息苦しくなって、あわてて大きく息をつく。
「今、息してた?」
 心臓が変にバクバクすることもある。心配になって、昨年の今ごろ、札幌の心臓専門医にかかった。半日かけて、造影剤を使ったCT撮影などを一通りやったが、結果はきれいな心臓をしているという診断だった。
 もう一つ気になるのは、仕事が超忙しかった40歳代の一時期に、夜の睡眠中、息苦しくて何度か目を覚ましたことがある。それと同じ状態は、その後数年に一度くらい起きる。
 そして先週の夜中、それがやってきた。息が止まるかと思い、一晩に二度も飛び起きたのだ。これは、睡眠時無呼吸症というやつではないだろうか。目が覚めるので、そのまま逝ってしまうことはないらしいが、きわめて気持ちが悪いし、寝覚めがよろしくない。
 今ところ、その症状は繰り返し起きないので様子を見ているが、コロナ禍の長期化で、家庭内にぐずぐず滞留することを強いられる生活環境が、思いのほか大きなストレスとなって、柔(やわ)な神経にのしかかっていると考えられなくはない。(2022.6.15)
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本屋探訪は疲れる

2022年06月08日 20時52分21秒 | ファンタジー
 待ちに待った飲み会付き札幌行の前日、「チㇿンヌㇷ゚カムイ イオマンテ(日川善次郎エカシの伝承による)」という映画が上映中だと、ネット記事で知った。この映画は、今から36年前の1986年、道東の美幌峠(屈斜路湖を北から見下ろす位置にある峠・絶景)で行われた、キタキツネのイオマンテ(霊送り)の模様を映像化したもの。
 このイオマンテの執行を依頼された日川善次郎翁(故人)は釧路に住んでいたアイヌ神事の伝承者で、出身地の沙流地方(日高)のほか、全道各地に呼ばれて祭祀を司った。映画では、彼が若き日に放蕩の限りを尽くし、妻子を路頭に迷わせたことさえも詳しく語られる。存命だったら映さないでくれと彼は言っただろうか。きっと黙ったままで照れくさそうに笑っているような飾らない人柄だったのでは。映像は、日川翁の動きと儀式の進行を淡々と追っていくのだが、見終わったとき何とも言えない切ない気持ちがわき上がってきた。美しい映画だ。


 映画の次は本屋探訪。あれもこれもほしいと広い店内を探し回ったが、買ったのはたったの4冊。「トニオ・クレエゲル」「方丈記」「戦後政治史 第四版」と、最近出た「新釈全訳 日本書紀(上)」(編訳・金沢英之ほか3名、講談社)。
 書籍リストにあった「倭国の古代学」「予告された殺人の記録」「第2次世界大戦秘史」「岩波講座世界歴史・第6巻中華世界の再編」「ソ連のおばさん」は品切れで、「海の民の日本神話ー古代ヤポネシア表通りをゆく」「デビッド・ボウイー無を歌った男」「柳田国男随行記」などはページをめくったが、今回買わないことにした。「古代ヤポネシア」は5世紀の関東から東北への人流の意味を考えるうえでやはり読むべきかと、帰宅してから思った。岩波世界歴史第6巻もぜひ取り寄せたい。
 そのほかに、「魚にも自分がわかるー動物認知研究の最先端」(ちくま新書)、「酒の肴 抱樽酒話」(青木兒、岩波文庫・古書を探すしかない)、「藤原定家『明月記』の世界」(岩波新書)、「石川淳評論集」(ちくま文庫)を探したが、いずれも書棚に並んでいなかった。
 ところで、「新釈全訳 日本書紀(上)」は税込みで5,000円もする本。なぜ買ったかというと、編訳の一人で日本文学者の金沢英之氏(北大教授)は私にとって身近な人なのだ。5年くらい前、ある社会人講座の彼の講義を受講したし、彼が日本のプルースト研究の草分けの井上究一郎氏の令孫であることも知っている。「義経の冒険」も読んだし、昨年のS大の科目履修の際、H先生の講義の中で、アイヌ語を瞬く間に習得した天才的人物としても登場した。そんなわけで衝動買いしてしまった。ちなみに私のブログにも彼の記事がある。しかし、彼は私のことをまったく知らない。(2022.6.8)

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先生、手を噛まれそうになる

2022年06月05日 22時26分51秒 | ファンタジー
 朝から父しゃんと母しゃんはちょっと青ざめていた。今日は、はなにとって年に一度の大がかりのイベントの日だった。それは、はなの検診と予防接種。
 ずっと通っている病院には、18年もの長いお付合いのやさしい女先生しかいないのに、はなは、決して気を許さない。診察台に上がってまもなく、自家ではしたことがないシャーの連発。
 あまりの凶暴ネコぶりに手を焼いた先生は、おもむろに厚手のゴム製の袋を取り出すと、目にも止まらぬ手際でネコを押し込めた。次に首輪を締めようとしたが、はなは絶対イヤだと首輪を食いちぎった、いや振りほどいた。しかし先生はあきらめない。後ろから不意をついてしっかり装着した。
 次に袋のチャックをはずし、すばやく注射。手をひっぱり出して血液採取。はなはされるがまま。やっぱり先生の勝ちだった。(2022.6.5)

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ひなたぼっこ

2022年06月01日 22時20分12秒 | ファンタジー
 はなが気持ちよさそうに寝そべっているのは、玄関前のタタキに取りつけられた、ぶ厚いガラスの覆いの中。今どきの玄関ドアは断熱、耐火構造なので、こんな厳重な玄関フードは必要ないのだが、この辺では必須アイテム。
 というのは、冬の暴風雪によって玄関そのものがしばしば凍りつくため、ドアを開けられなくなるから。隣町は豪雪地帯なのに、こんなアイテムをほとんど目にすることはない。気温と風が穏やかなせいなのだろう。
 今日は暖かくて、ここにいたらたちまちまぶたが重くなる。硝子戸の中にいた漱石も、さぞかし眠かったろう。(2022.6.1)

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