黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

儀式好きの人々 もっと自由を

2011年12月20日 11時22分37秒 | ファンタジー

 そんなはずはないと思っていたが、物の本によると、日本人は占いとか運勢を信じる割合がかなり高いという。ただし、女性に限ってだそうだ。運勢などの占いをした男女を比較すると、おおむね女性は心が和み、男性は心がいらつく。なぜか。女性は、自分が占いという童話の主人公になり、慰められる。いわば心のカウンセリングを受けたような気がするという。一方、男性は、占いを聞くと、なんの根拠もない実に無責任な押しつけというか、人格批判のように受け取ってしまい、たいそうプライドが傷つくのだ。
 そのような分野を司る脳の構造が、男女で極端に違うのだろうか。私としては、生理的違いが原因なのでなく、男女の生育環境が違うために起きる、社会学的現象なのだろうと思う。架空の話や神話が大好きな私としては、ひじょうに興味ある分野なのだが、現段階では準備不足につき、これ以上探求しない。
 その代わり、占いとはそもそもなんなのかという起源について、個人的な考えを述べたい。
 考古学や人類学の成果によれば、ヒトは、狩猟採集のみを生業としていた時代、比較的大型の動物の部類なのに、身体能力が劣っていたため、ハゲワシやハイエナから一歩遅れて動物の屍肉をあさったり、樹上を住処とする動物たちに気を遣いながら果実などの食料を探した。つまり、原始のヒトは、豊饒だが危険な自然の陰に身を隠し、他の動物たちよりもさらに控えめにおずおずしていた。そもそも自信などとは無縁のヒトは、自然界のカミ(精霊)の声に導かれなければ生きてはいけなかっただろう。
 自然界の声を聞く一例として、原始ヒト社会に登場するシャーマンについて若干言及する。中国で漢字の起源の甲骨文が登場したのは、ずっと後の時代(紀元前十四世紀ころ)になるが、そのころでも、「祝」「兄」などの文字にシャーマンの痕跡を見ることができる。祝とは、古代日本で「ほうり」と読み祭祀を司ったヒトを意味する。ほうりの名前を冠した地名などもある。祝字の衣偏は、襟元を合わせる形で、そもそもそれを着たヒトの魂がより憑いている。殷代の衣祀(いんし)は、衣に付着した先祖の霊を祭るもの。ヒトは、動物や植物の皮などで作られた衣装を着ることによって、様々な優れた能力を身につけることができた。
 祝字の旁の兄の字は、口を捧げ持つヒトの形。甲骨文資料から「口」の字を分析すると、顔にある口とは別物で、アルファベットの「U」に落とし蓋をしたような形をしている。白川静氏は、これを祝詞(のりと)の納められた祭器(さい)とした。白川漢字学の核となる大発見であった。つまり兄とは祭儀を執り行うシャーマンだった。日本の古代歌謡の兄にもこのイメージが確かにつきまとっているような気がする。

 動物祭祀を意味する「龍」にちなんだ文字の中にも兄の字がはっきり刻まれている。残念ながら、文字パレットから龍と兄を一字に組み合わせた文字(会意文字)を拾えなかった。龍字には「襲」という関連文字があるとおり、動物の皮とか衣のイメージがつきまとう。それらの文字を見ていると、動物祭祀を執り行うシャーマンの、ヒトのものとは思えない猛々しい声が聞こえてきそうな気がしてならない。なお、臆面もなく言わせていただくと、龍字の起源については、これまで白川先生や他の研究者の誰もが言及されたことのない、筆者独自の解釈によるもの。(これらのことは本ブログ「とのとヴァロンの過酷な冒険第一」に詳述)
 脱線ついでに書くと、密室の中のシャーマンにカミが寄りつく様を表した字が「令」。令とはまさにカミの意志(命令)を聞くことだった。それが衣に憑くと「衾」(ふすま、キン)になる。「今」は上から覆うものを意味する字。今という字が、衣の性質を特定するために付されたのか、読み(音)を決める形声字の音符なのかは不明。衾は寝間着であるが、古代祭祀の色濃い名残がある文字で、経帷子の意味にも使用される。柿本人麻呂の歌に、衾道(ふすまじ)という枕詞が出てくる。彼の妻が亡くなったとき、亡骸を衾で包んで埋葬地へ運んだ情景が描かれている。葬送とは、死と再生に関する儀礼で、衾とは死者の霊を包んで止め遺すもの。
 繰り返しになるが、そのころのヒトの生命は、自然界のカミの一部だったので、ヒトの行動はカミの意志によって決定された。シャーマンの言葉とともに、占いをすることもまた、カミの声を聞く一手段なのだ。「占」とは、亀甲を焼いてひび(卜)を入れ、その卜兆の形で占うこと。その際、カミに対し祝詞を納めた器(口)を捧げ、祈ったのだろう。彼らの日常生活とは、その辺りにうようよしているカミの声からいろいろな智慧を授けてもらうために、ていねいな儀式が欠かせなかったのだ。そのころのヒトの思考には、個人的な自己主張とか嗜好といった近代的な概念はまったく入り込む余地がなかった。 
 ヒトが変質したのは、やはり、農耕などによって自ら食料を生産し始めたことが大きな要因なのだろう。そのときから、地球上で唯一、ヒトは自らの意志で自然環境を破壊する生物になったと言われる。生きるために必要な分量だけ確保するというならまだしも、可能な限り生産性を上げ、勝手に種の数を増やすのは、明らかに自然との約束違反なのだ。こうしてヒトの精神は、次第にカミの領域から外れていくことになる。
 中国の殷代はこのようなヒトの自意識が芽生える時代だった。そこで行われた占卜は、自分に都合良い結果が得られるまでなん度も繰り返され、その度に生け贄が増えたという。冒頭に戻ってしまうが、姓名判断がだめなら星占いがあるさ、と今でも占いなどという効力の切れた儀式を求めるのはどうしたことなのか、私にはよくわからない。カミの世界と完全に離別した現代のヒトは、自分だけの考えでなんでもやり放題のいい時代を過ごしてきたはずなのに。(2011.12)

※漢字の解釈はおおむね白川静氏の著作(字統、説文新義など)を基にしている。
※白川漢字学に興味のある方は、氏が初めて一般読者向けに著した岩波新書の「漢字」(1970年刊)がおすすめ。氏の気迫が伝わってくる本。平凡社からきわめて専門的な論攷を含む著作集が刊行中。   
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そのころトントは猫だった

2011年12月08日 09時59分16秒 | ファンタジー

 映画やテレビに出演した多くの猫たちの中で、なぜかときどき頭に浮かぶのがトントだ。米映画「ハリーとトント」(1974年公開、日本では翌年)に猫として登場した彼だったが、残念ながら、題名に名を連ねるほどの存在感はない。年老いた相棒のハリー(人間)は、居場所の建物から追い出されたために、子どもたちの住処を訪ねて放浪の旅に出る。いっしょに暮らしていたトントは、ハリーになんとなく同伴し、映画の終盤で病死してしまう。彼にカメラが向けられるのは、前半では数回の短いショットだけ。しかし、カメラの前で萎縮も興奮もせず、まるで撮影中だなんて感じさせない演技力は大したものだ。ぼくにはマネできないな。
 中盤のバス旅行の最中、隣に座った人のパンを分けてもらったり、バスから用足しに下りたとたん走り出して、ハリーが結局バス旅行を続けられなくなる場面は、トントの猫らしい習性がよく出ていて痛快だ。猫は自分の思ったとおり行動するものさ。
 その後の筋書きでも、取り立てて彼がクローズアップされる場面はないのだが、突如、主役になる場面がやってくる。それはハリーの得意な鼻歌に送られて、トントが永眠する場面だ。彼が息を引き取る演技は玄人の域に達していると、ずいぶん賞賛が寄せられた。眠くなって、コトンと首が傾いただけなんだけどね。
 六〇年代から七〇年代にかけてのアメリカは、十数年も続く泥沼のベトナム戦争や政治家の不正、ボジティブな市民運動の衰退、先鋭化した反体制テロの続発など、暗く陰惨な世相の中でやり切れない気分が広がり、なんのために生きるのか決めかねた人たちがちまたに溢れていた。ハリーもまた、わずかに残った人生を賭けて、なにかを求めて流浪した。映画の中のトントは、適度な食べ物と落ち着ける寝床があれば、どんな場合でも悩みはしないという顔をしているけれど、妻を亡くし所を逐われたハリーの寂しさを感じていないはずはないのだ。
 ハリーは流浪の果てに、トントの死に直面して初めて、彼といっしょの生活が最良だったと気が付いたんだと思う。エンディングの浜辺で遊ぶ猫はトントによく似ているが、トントではない。そもそも人も猫もひとつの場所にとどまってはいない。そのときから数十年が経とうとする時代になっても、暁彦たち迷える人間と、名前をとのはなに変えた猫たちは、確かさとはどんなものか知らないまま、相変わらず流浪の旅を続けているのだ。(2011.12.8了)
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