黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

ネコキングとの 天皇に関する条文

2016年09月30日 17時14分59秒 | ファンタジー

〇天皇に関する条文<抜粋>は次のとおり。
 なお、カタカナをかな表記とし、新かなづかいに改めた。

「ジミ案」
「天皇は、国の元首であり、国及び国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する国民の総意に基づく。」
「天皇は、この憲法に定める国事に関する行為を行い、国政に関する権能を有しない。天皇の国事に関する全ての行為には、内閣の進言を必要とし、内閣がその責任を負う。ただし、衆議院の解散については、内閣総理大臣の進言による。」

『現憲法』
天皇は、国の象徴であり国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する国民の総意に基く。』
天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。』

 ネコ国において、天皇の権能を初めて法制化した、1890年施行の【大帝国憲法】(以下【帝国憲法】という。)を参考に載せる。
【大帝国は万世一系(ばんせいいっけい)の天皇これを統治す】
【天皇は神聖にして侵すべからず】
【天皇は国の元首にして統治権を総攬(そうらん)し、この憲法の条規によりこれを行う】
【天皇は公共の安全を保持し又は其の災厄を避けるため、緊急の必要により帝国議会閉会の場合において法律に代るべき勅令を発す】
【天皇は陸海軍を統帥(とうすい)す】
(2016.9.30)
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ネコキングとの 国旗国歌、戦争放棄、自衛権

2016年09月30日 09時04分15秒 | ファンタジー

 残念ながら、「ジミ案」には、国家が、国民に義務を強制し、国民が本来有している自由を制限し、軽んじようとする意図が、ほぼすべての条文に散りばめられている。近代憲法では、主権者たる国民にとって、人権と自由は本然的に備わっていることを前提とする。また、国民主権の政体は、長い歴史の中で、国民の犠牲のもと勝ちとったものであり、その政体の先進性を犯し後戻りさせるのは許されない。そもそも、「ジミ案」のような、現憲法に対し後ろ向きの議論をすること自体、誤りなのである。


〇国旗国歌に関する条文
 1999年施行「国旗国歌法」を先に掲げる。この本則二条の法律の成立は苦渋の選択であった。
《国旗国歌法》
 第1条 国旗は、日章旗とする。
 第2条 国歌は、君が代とする。


「ジミ案」
1 国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする。
2 国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない


〇戦争の放棄、自衛権に関する条文
「ジミ案」
「1 国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。
2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。」

「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。国防軍は、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。」
「国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。」

『現憲法』
1 国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。』
(2016.10.)
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チェックメイト・ネコキングとの 前文

2016年09月28日 14時36分58秒 | ファンタジー

「こちらチェックメイト・ネコキング との」とコールサインが入った。
 とのによると、ネコ国政府は憲法改正に向けて着々と準備を進めているという。
 政府は、改正案を広く国民から聞くのでなく、最大与党のジミ党有志による古い改正草案をベースにしようとしている。現総理大臣のマニアックなこだわりが背景にあるのは明らかだ。それはともかく、後世への戒めとするため、ジミ党の草案を順次掲載する。

〇前文について
 ジミ党の草案(以下「ジミ案」という。)は次のとおり。
 「ネコ国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
 我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。
 国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
 我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。
 国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。」


 1947年施行の現ネコ国憲法(以下『現憲法』という。)の前文は次のとおり。
政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言
 その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理。
 われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。』


 ついでに、先の大戦の相手国であった《オオカミ合衆国憲法》(1788年発効)の前文も紹介する。
《われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここに合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。》(2016.9.28)
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アウトドア嫌い(11)夜店

2016年09月27日 14時24分56秒 | ファンタジー

 先日の日曜日、早めの夕食を終えるころ、窓の外はかなり薄暗くなっていた。カーテンを閉めようとして、なにげなく窓を開けると、屋外の様子がどうも変。ピーヒョロ・ピーピーヒョロロと、トンビの啼き声のような笛の音が、風に乗ってときどき聞こえてくる。その日は近所の神社の祭りの最終日だと妻が言う。顔など洗って寝る準備を開始するまでには、だいぶ時間がある。それに外は日中の暖気が残っていて、上着がなくても大丈夫そう。
 人ごみが得意でない出不精な者にとって、時間がたっぷりあってもこんな気持ちにはなかなかならないものだ。思い切って、にぎやかななところにでも行ってみるか、ということで、妻と二人で数十年ぶりに、神社の境内から少しはずれた路地に出ている露店をのぞきに行くことにした。
 駅前の小さな商店街に足を踏み入れると、縦横の小路にぎっしり屋台が出ていた。狭い通路は、予想よりはるかに大勢の人々でごった返し、騒音が渦巻いている。いつもは暇そうにしている小さなイタリア料理店も満席。若い人たちは流行の衣装で身を引き締め、高すぎるハイヒールの女性などは危うく転びそうだ。昔と違い、屋台の中で働く若い女性の姿が目立っていた。彼女たちも各地の祭りを求めて旅しているのだろうか。
 金魚すくい、お好み焼きなどの焼き物、ホットドッグ、たい焼き、なかでもクロワッサンたい焼きという変わり種があった。カラフルなチョコバナナには目を奪われた。顔になったようなバナナの細工物は、ひとつひとつ手作りしているのだろうか。スマートボールは昔通りの台を使って健在。飴細工、おめん、こんぺいとう、射的、型抜きは数が少なくなった。
 見かけなかったものは、懐かしい天津甘栗、綿飴、輪投げ、ラムネ、ヨーヨーつりなど。とうとう綿飴に中身がないと、子どもにも見破られた?
 これだけの人が繰り出しているのに、徘徊する年寄りは数少ない。小さい子どもがいない老人たちは、夜店の板台にあふれんばかりの品物を目の前にして、その中からほしいものひとつ選べない。ただおし黙って自分の目や耳をヒクヒクさせるだけだ。
 孤独な老人とは、露天商にとって、いたずらに砂ぼこりを立てるだけの迷惑な客? コミュ二ティーに何も貢献できない用のない客?
 眠れもしないのに寝床でじっと目をつぶり、夜が明けるのを心待ちするのはやめよう、それよりも、体力が続く限り夜更かしして、そこにいるだけで多少とも場を盛り上げられる年寄りになろう、そして、有り金はたいて少しだけ使おう、と最近思うようにしている。(2016.9.27)
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ヤリキレナイ川

2016年09月26日 13時47分40秒 | ファンタジー

 家から数十キロ行ったところに、ヤリキレナイ川という珍しい名の川がある。一度聞くと忘れられない名前だ。以前、テレビ番組で紹介されたのでご存じの方も多いかと思う。アイヌ語のヤンケナイ(魚がいない)またはイヤルキナイ(片割れ)に由来するとされるが、あえてアイヌ語をもじってヤリキレナイの和語を河川名につけたのは、それ相当の腹に据えかねること、恨みに思うこと、悲しいことなど、マイナスイメージがあったのだろう。
 私は数え切れないくらいその川の傍を通っているが、昨日、久しぶりにその大きな看板を目にしたとき、喉の奥に引っかかっていた釣り針がようやく取れたような気分になり、思わず歌を口ずさんだ。
「悲しくて 悲しくて とてもやりきれない……」
 ずっとモヤモヤしていた不鮮明な記憶が、一気によみがえった瞬間だった。

 胸にしみる 空のかがやき
 今日も遠くながめ 涙をながす
 悲しくて 悲しくて
 とてもやりきれない
 このやるせない モヤモヤを
 だれかに 告げようか 
 (作詞 サトウハチロー)

 一番の歌詞しか覚えてないが、歌ってみると懐かしさと悲しさがこみ上げてきて、家に着くまでの四十分間あまり、涙が止まらなかった。
 この歌は川の名前よりずっと有名なフォーク・クルセダーズの「悲しくてやりきれない」。当時、発禁処分に遭った彼らの「イムジン河」の身代わりに、故加藤和彦氏が書いた曲だという。ときどき、私はこの悲しくてと、イムジン河との区別がつかなくなる。

 イムジン河 水清く とうとうと流る
 我が祖国 南の地 思いははるか
 (作詞 朴世永  訳詩 松山猛) 

 残念ながら、イムジン河はこの歌詞しか出てこない。(2016.9.26)
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一人で行ってはいけない

2016年09月21日 15時36分46秒 | ファンタジー

 先日、初めてのライブ能、宝生会の「八島(やしま)」と「巻絹(まきぎぬ)」を鑑賞した。
能は、テレビでずいぶん前から見慣れてはいる。でも、演じている方々に失礼と思いながら、つい途中でチャンネルを変えてしまうので、実のところ全編を通しで見たことはない。
 今回は勝手知ったる?日本の芸能なので、特別な下調べをしなかった。クラシックバレエに行ったときは、念のため原作のあらすじをざっと頭に入れたことを前日になって思い出したが、ときすでに手遅れ。かなり手強い鑑賞会になるかもしれないという予感がしたので、その夜は少し深酒した。
 当日の会場は二〇〇人ほどの小規模なもので、飲食はもちろん、ガムなどをもごもご噛むことさえ、はばかられる空気なのだ。二つの演目にかかる時間が、一回の休憩をはさんでおよそ三時間半もの長丁場だとそのとき知って身震いした。
 最初の演目の「八島」は、有名な源平の八島(屋島)の合戦が行われた古戦場での話。そこに現れた翁、実は義経の亡霊。その合戦は義経の勝ち戦だったのだが、弓矢を海に流したのが悔しかったと恨み言を延々と述べる。その演技はなかなか鬼気迫るものがあって見入ってしまった。でも字幕なしではほとんど聞き分けられない。
 次の演目は「巻絹」。休憩時間にパンフレットに目を通すと、その舞台が若いころぶらっと立ち寄った熊野本宮だった。筋書きはわかったものの、演目後半の巫女の舞いの迫力について行けないまま、フワッと舞い降りてきた眠気に包まれてしまった。目を開けたとき、しまったと思ったが、事は過ぎ去っていた。それでも隣に妻がいたので、寝息を立てる前に正気を取り戻せたようだ。次は文楽を見てみたい。事前準備を忘れず、前の日にたっぷり睡眠をとって。(2016.9.21)

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六〇年代を生き延びて

2016年09月16日 15時04分58秒 | ファンタジー

 この歳になると、タイムマシンに頼らなくても、五、六十年くらいのタイムトラベルなら、瞬く間にできそうな気がする。もっとも時間を行き来するのは私の身体ではない。頭の中のイメージが、行きたい年代にあっという間に飛んでいくだけのこと。
 私が、一九五〇年代の世にちょっと出現したころを思い出すと、明治の半ば生まれの祖母は、今の私より少し若かった。当たり前だが、私の生まれたての身体と明治時代とは、西暦同士を差っ引いてみると、たかだか数十年しか離れていない。漱石、鴎外、芥川たちが亡くなったのも、私が生まれる二十年か三十年前にすぎない。
 かなり古そうな文人たちである荷風や志賀直哉、谷崎などは、意外にも、私の履歴の相当な部分と重なっている。つまり私が年取るにつれ、古い古いと思っていた年寄りたちがすぐ身近に感じられるようになったということ。
 それと比較して、六〇年代に活躍した人々には、異様なほど生々しさが感じられる。強烈なインパクトがあるので、恐る恐る書いてみる。
 ディラン、岡林、キング、ビートルズ、羽仁五郎、佐藤栄作、ドゥプチェク、三島、大江、仲代。卒倒しそうなので、これくらいにする。
 私にとって六〇年代とは、親族といっしょに暮らした最初で最後の時期。抵抗と挫折の記憶が丸ごと収まっている日々。そこから逃げ出すことしか考えていなかった日々。生き延びられるかどうかきわどかった日々。その意味で、今となれば経験することのない大事な日々だったのだ。
 この時期に華々しい活躍をした人々の中には早世された方々も多い。一方で、ローリングストーンズのメンバーのように、いつまでも老体をさらしている人々もいる。どちらを取るかと聞かれれば、今は迷わずストーンズを選ぶ。(2016.9.16)
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最近の龍

2016年09月08日 09時36分30秒 | ファンタジー

 私のライフワーク、「龍」字の解釈については、これまで何度も言及している。ここでは散乱したメモをできる限り簡潔にまとめて記述してみたい。それにしても、二十歳になったばかりの自分が、龍字などの動物文字の概念が中国古代の祭祀から生まれたことを証明してみよう、などと大それた考えに取りつかれた経緯は、この歳になっても、なかなか説明しずらい。後ほどゆっくり時間をかけて文章化したいと思っている。
 なお、龍についてもっと知りたい方は、本ブログ「黒猫とのの帰還」第一の「龍をめぐる一考察」を参照されたい。

 龍とは、いったい何なのだろう。甲骨文や金文が生まれた殷の時代、すでに龍字には丸っこい竜と四角い龍の二文字があった。漢字は一般論では象形文字に分類され、竜字は尻尾のようなものがあって蛇形の動物を表すとされる。ところが角張った龍字は、どんな動物の姿を表したかぜんぜんわからない。龍字のほかにも、熊、猿など、文字の形からは実在の動物モデルを推定できないものがある。一方、鳥や鹿、羊、馬、牛などは何となく実物をイメージできそうだ。
 文字解読の事例をいくつかあげると、羊や牛字はそれぞれ特徴的な角の象形。鳥、馬字はそのものの姿のデフォルメだろうが、不思議なことに鳥には横棒がある。鹿字は一風変わっている。大きな角を振り上げて跳びまわる鹿の象形にも見えるが、鹿革を意味する慶字の場合、まだれへんの中に、頭蓋と心臓、骨などを組み合わせた文字としか思えない。熊の初出の字は能字で、左上のムは頭蓋や魂、左下の月は肉、右側のヒは骨あるいは脚の骨をそれぞれ表している。
 では、四角い龍は? 能字と基本構造は同じだが、横棒を加え、それに頭蓋を載せ、肉や骨をつるし、さらに鹿皮のような線を描いた字に見える。中にはシャーマンらしきものを描いた字もある。つまり、龍字は構造上、我々のイメージする超自然の動物ではなく、熊(能)や鹿(慶)字と同様、解体された動物のパーツを並べた文字であることに疑いはない。横棒のある鳥字も、はたして生きた鳥なのかどうか。棒に足をくくりつけられたように見えなくはない。これらの文字から、狩猟民によって多くの地域で行われた動物の魂送りが想起される。
 一方、甲骨文を作った殷の人々の時代は、すでに狩猟採集を主な生業にしていなかった。しかし、このような動物文字を作れたのは、狩猟民時代の動物祭祀の記憶を鮮明に持ち続けていたからではと思う。彼らはそのころもなお、動物に宿る聖なる力を信じていた。占いにしたがって、それらを生け贄として、存分に神に捧げたのだから。
 物の本によると、ある地域の北方狩猟民の熊送りは、二日間にわたり盛大に行われたという。矢で射られた熊は、首から腹にかけて真一文字に裂かれ、身体の中身をていねいに取り出される。頭部の中もすっかり。残った頭蓋とそれにつながる全身の皮は美しく飾り付けされる。一日目の夜、熊の頭蓋は、室内に組み上げられた櫓の高いところに置かれ、頭蓋から垂れ下がった皮が櫓を覆い尽くして輝く。立ち上がった熊が、今にも広間の中に飛び出してきそうな迫力だ。私は、この写真を初めて見たとき、頭のてっぺんから電撃に打たれた。これはまさに、冠をつけ尾を巻いた甲骨文の竜字そのものだったのだ。
 熊送りの二日目は、戸外に出て、人が住む土地が森の裾野にかかる境目に、細く長く細工した木を立てかけ、それに横棒を組んで作った祭壇において執り行われる。祭壇の真ん中のいちばん高いところに、皮を剥がされ装飾を施された頭蓋が載り、皮や肉、足の骨など、熊の身体の部位がところ狭しと居並ぶ。その様子は、熊字や四角い龍字の文字構造そのものと言えるだろう。
 私はこう思う。熊は本来、自然界の山を支配する百獣の王、つまり神であった。ところが、人間界では、狩猟生活から牧畜や農耕へと社会構造の変化が起き、地上に王権が、天空には最高神、帝の概念が生まれた。こうして、最大の感謝をもって行われたそれまでの熊送りが、動物たちを生け贄として捧げる祭儀体系へと変貌を余儀なくされた。熊は王の地位を追われ、生け贄の化身である龍にとって代わられた。それが龍の起源ではなかろうか。(2016.9.8)

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gooブログ開設七周年 

2016年09月05日 15時08分24秒 | ファンタジー

 ちょっとした事情があって、自身のブログの中に、龍に関してまとめた文章がないか、昨日から調べていた。そして、今朝、その作業を再開してすぐ、記念すべき第一作の「ハクセキレイ」の投稿日が、まさに七年前の2009.9.5であることに気がついた。
 龍探しを中断し、しばらくの間、七年前の私を思い出してみた。第二の職場に入って丸四か月過ぎたけれど、それまでの経験を根こそぎほじくり返され、吹き飛ばされてしまいそうになる衝撃を必死にこらえる毎日。その詳細を述べるとしたら大部の書き物になるくらいの苦難と消耗の日々だった。自身の存在意義は、唯一、このブログを書く作業の中でしか確かめられなかった。今になって、このときのハクセキレイの周辺を思い出すたびに、どんなに最悪の状況に置かれても、あきらめなければ必ず大空へ飛び出していけるという希望と意欲がじわじわにじみ出して来る。ちなみに、私は現在も、その職場に懲りずにいる。
 私自身の後世に残すため、何年も前から、それらのブログ記事を一冊の本にしようと継続して取り組んでいる。レイアウトを調整していて気になった箇所が出てくると、暇な私は、時間と根気の範囲内で、ちょこちょこ手直ししないではいられない。ブログに掲載されている「ハクセキレイ」も、「ハクセキレイその後」(2012.5)を掲載するとき改稿した。その後も、思いつくたび記事の校正を続けている。
 ところで、先日、狩猟民が住んでいた集落を再現した場所に行った。今にも降ってきそうなどんよりした屋外をフラフラしていると、集落の裏側に迫る深い森の端に、ひっそりとたたずむ祭祀の跡があった。ここが熊を送る祭りを実際に執り行った遺構なのか、どこからかこの場所に移設したものなのか、それともただの作り物なのか。私は、大きな家屋の入り口で、黙々と刺繍を刺している中年女性を見つけて聞いてみた。すると、彼女の表情は急にくもった。
「ずっと昔、この建物が集会所として使われていたんですよ」
「そうか」ピンと来た私は、「ここは立入禁止ですよ」という彼女の金切り声を無視して、広い家屋に足を踏み入れた。
 屋内の入り口寄りに切られた大きな囲炉裏で薪がブスブス燃えていた。その煙によって、高いところからぶら下がって口を大きく開けた魚、天井、壁も床も真っ黒にいぶされていた。この広間こそ、熊送りの前夜祭に大勢の人々が寄り集まって、一晩中飲み食い明かした場所なのだ。酔いしれた熊は、翌日、広間の奥の窓から戸外へはい出て、祭壇の柵にしばらく鎮座した後、薄暗い森の向こうへ飛び立った。(2016.9.5)
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ナナカマド

2016年09月02日 09時03分41秒 | ファンタジー

 一本の木の周りの路上に、赤い小さな実がバラバラ散らばっていた。見上げると、道の両側のナナカマドの街路樹は赤い実の房をつけていた。もうこんなに熟したのか、と頭を巡らすと、すぐ傍の電線にカラスが三羽止まって、うなづき合っていた。この三羽がナナカマドの実を突っついてみたのだろうか。きっとマズかった? 今時期、実が色づいたといっても完熟にはなっていないのだろう。ほかにもまだ食い物はたくさんあるはずだ。それでもつい……。冬の非常食は大事に取っておこう。(2016.9.2)
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