黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

チワワの目

2011年10月18日 09時23分00秒 | ファンタジー
 その日の朝、北方の町はいつもと景観が違っていた。それは、健康診断を受けるため、職場とは反対方向の検診センターへ向かって、道を探しながら歩いていたからなのだ。職場に急ぎ足で向かう人並みにあらがいきれず、ずるずる歩いていたら、一方通行の四車線道路の右端前方に、地味なダークグレーの乗用車がぽつんと一台止まっていた。バスレーンもあって比較的交通量が多い道路には、ほとんど停車している車は見当たらなかった。その車の横まで来ると、運転席側の窓が開いていて、私の家にいる猫より小さなチワワの特徴ある目が、こちらをじっと見つめていた。運転席には、普段着の中年男が体をゆったりと沈め、一心に本を読み耽っていた。
 彼らはなんてわがままな時間を過ごしているんだろう、と思った瞬間、ずっと昔の記憶なのか、自分が勝手に思い描く古いイメージなのかはっきりしないが、突如、自分の意識が、学生生活を送っていた京都の町中の一場面に引き戻された。そこは下宿の近くにあった喫茶店のようでもあり、テレビなどで見た京都の古い商家のようでもあった。そこでは、地元京都の人たちが、とるに足らない世間話をしていた。
「先生、今日はどんなコーヒーにしやはりますか?」
「うむ、マンデリンとか、苦いコーヒーにザラメのたくさん入ったのがええなぁ」
「お仕事、順調にいってはりますか?」
「ぼちぼちやな」
 そのころの喫茶店では、間違っているかもしれないが、このような地元の言葉で初老の者同士の会話が交わされていた。そこからまた、意識は別の場面に転じて、京都の町中の呉服か土産物か伝統工芸品かなにかを扱う古めかしい店屋の中に入り込むのだ。そこでまた、日常の会話が聞こえ、私の心はなんとも言えない懐かしさと安らぎに浸ることができる。そういうところこそ、私の暮らしたい場所なのだ。
 そのとき、甲高い金属音が、難聴気味の耳をつんざいた。横断歩道を猛スピードで渡ってきた自転車が、私の目の前を歩いていた人にすんでの所でぶつかりそうになり、急ブレーキをかけたのだ。それで私の宙を飛ぶ惑いはどこかに吹き払われた。なぜそんな思いに囚われたのか、深く考えるのはよそう。そろそろ老年の域に入ってきた昨今、しばしば起きる現象である。(2011.10.18了)
コメント
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