黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

いわし雲が出た

2014年09月29日 14時06分55秒 | ファンタジー

 今朝の雲の写真。さんまとともに、いわし雲(うろこ雲とも言う)がやってきて、いよいよ秋真っ盛りを感じさせる。
 この写真を撮る前のこと。家から出がけに、はなが、二階の窓際の狭い板によっこいしょと飛び乗って、「外へ出たいよ」と言う。一階の屋根に通じる窓を開けたら、はなは慌てた様子で、大きな身体をパッと翻して飛んだ。私も窓からのぞいてみると、上空の電線に小さな鳥が二羽留まっていて、しきりにさえずり合っている。はなは意味がわかるのか、口をすぼめて応答している。
 アマゾンには鳥語をしゃべる少数のヒトがいると聞いたことがある。中国の紀元前後を記述した文献には、東方海上の島々に野蛮なヒトが住んでいて、彼らの言葉は、鳥のさえずりようにうるさくて耳障りだと書かれている。そもそも言語という高度な意志伝達手段の始まりは、動物の鳴き声(シグナル)にその源があるとするのは理にかなっていると思うが、なかでも鳥のさえずりの多彩さは、ヒトの言語にもまさるのではと、何の根拠もなくそんな気がする。
 電線の鳥は見る間に増え、二十羽、いや四十羽くらいの大集団になった。はなは急に黙ってしまった。私は時間がないので、はなを置き去りにして家を出た。
 雀より一回り大きい鳥たちは、毎年春秋にこの地を訪れ、上空からかなりの量の糞をまいて、一、二週間で姿を消す。(2014.9.29)
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仕事を愛す

2014年09月18日 15時17分05秒 | ファンタジー

「やる気がなくても仕事をする方法(抜粋)」
          Mihir Patkar(原文/訳:堀込泰三)

仕事に対するモチベーションが枯渇してしまった。でも今は、辞められる状況ではない。
そんなとき、あなたならどうしますか?

○自己非難ではなく、自己責任を!
 モチベーションは、内部に起因します。たしかに外的要因の影響も受けるのですが、最終的にモチベーションを下げているのは、それらに対するあなたの反応なのです。
 勘違いしやすいのが、自己責任と自己非難。しばしば私たちは、後者を選んでしまうので注意が必要です。
 確かに、仕事がつまらないと感じる原因は、自分自身にあるのかもしれません。でも、そのことで自分を責めて恥じ入るのではなく、責任を持ってその問題を修正することの方が重要です。

○自分を責める人の発言:
 自分を直さなきゃ。自分には罰が必要だ。自分のやったことを後悔しなくちゃ。

○自己責任を持つためには、こう自問します。
 「自分は何かを変えたいのか?」
 「そうであれば、どんな方法が考えられる?」
 「変えるために必要な行動は?」
 これらの質問をすることで、常に未来に向けた前向きの姿勢を保つことができます。
 そして、自分の行きたい方向に歩みを進めることができるのです。

○あなたの今後の仕事人生を考えるなら、パーフェクトな仕事を見つけなくちゃというプレッシャーから自分を解放することが何よりも大切。
 そのような期待や高度な基準は、捨ててしまいしょう。
 それらを捨て去った瞬間、いま自分にあるものの素晴らしさに気がつくはず。
 何かとの比較ではなく、そのものに目を向けることができるようになるのです。

○仕事が嫌いでも、仕事以外の人生の充実に生きがいを感じている人はたくさんいます。
 だから、誰が何と言おうと、仕事を愛せなくてもまったく問題はありません。
 「仕事を愛せ」という圧力に、屈する必要はないのです。

○モチベーションの回復は、一筋縄ではいきません。
 時間をかけて、あらゆる手段を講じるよりほかないのです。
 幸運にも長期休暇が取れる人は、それを利用しましょう。
 そんな贅沢は許されないという人は、J. D. Meierさんが提唱する生産性向上メソッド「3つの法則」、毎日その日に達成したい成果を3つ書き出すことを勧めます。
 毎日を、毎週、毎月、毎年に変えても構いません。
 でも、気をつけてほしいのは、ここで書くのはあくまでも成果であり、行動ではないこと。

○あなたが目指すのは、3つの結果です。
 手段ではなく最終結果を視野に入れつつ、アプローチには柔軟性を確保しておくことが、結果を出すための最善の策なのです。
 ここでいう成果とは、複数の行動による結果を意味します。
 ですから、「チームと豪華なランチをとる」は成果であり、そのためには、全員の都合に合った場所と時間を決め、ハッピーな環境であることを確認するなど、たくさんの行動が必要になります。

 以上、ネットで見つけた記事の抜粋を掲載しました。仕事嫌いな私としては大変参考になりました。この記事の終わりに、バーンアウト(燃え尽き症候群)について言及があります。勤務時間終了後、仕事以外に楽しみや打ち込めることがなければ燃え尽きの危険水域だということのようです。人のすばらしさは仕事によって決められるのではなく、その人自身の価値、つまりその人が何を目的に生きているかによるということなのでしょうか。
 今さら、申し上げるまでもないのですが、私は、人生の目的をひたすら探し続けています、仕事中、パソコンの中に。(2014.9.18)
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加藤九祚氏の本を読む

2014年09月18日 11時38分53秒 | ファンタジー

 加藤九祚(かとう きゅうぞう)氏は、一九二二年(大正十一年)五月、朝鮮の生まれ。一九五三年上智大学文学部ドイツ文学科卒業。文化人類学者で、専攻は、北・中央アジア文化史。現在、国立民族学博物館名誉教授・創価大学名誉教授・ロシア科学アカデミー名誉歴史学博士。
 著書に、「シベリアに憑かれた人々」(岩波新書)、「中央アジア遺跡の旅」(NHKブックス)、「シルクロード文明の旅」(中公文庫)などのほか、訳書も多数。(ウィキペディアほか)
 加藤氏は、九十二才を過ぎた現在も、現役の学者として、広大無辺の中央アジアにおいて発掘調査に当たっている。その情熱は驚嘆の一語に尽きる。昨年(二〇一三年)九月には、調査報告を兼ねた「シルクロードの古代都市ーアムダリヤ遺跡の旅」(岩波新書)が出版された。 

☆著書紹介(岩波書店より)
 中央アジアの大河アムダリヤは、パミール高原の氷河に発し、北西へ流れて、中央アジアの沙漠をカラクムとキジルクムに二分してアラル海に注いでいます。まさにシルクロード文明の中心となったさまざまな都市を流域にもっている河。本書は、九十歳を超えてなお発掘現場に足を運ぶ著者ならではの生きたシルクロードの歴史の紹介です。

☆著者メッセージ
 ここでとりあげた古代遺跡はいずれも世紀の大発見であり、極めて興味深く、その記述は自分の能力にあまると思いながらも、あえて紹介を試みました。
 私はただいまウズベキスタン南部、アムダリヤの右支流スルハンダリヤの上流部にある紀元前後の大遺跡カラテグバパを発掘中です。多くの建物からなる約五千平方メートルの遺跡全体が、古代ギリシア人によって中央アジアにもたらされた工法(砂利と粘土を混ぜた土台、アイハヌムと同じ)の基礎の上にあり、私どもとしては目ぼしい成果を期待しています。

 加藤氏は、六十才を過ぎてから、本格的に考古学の道に踏み込んだという。もちろんそこに至る学究の積み重ねがあったからこその展開なのだが、身を捨てるような研究心と努力にはひたすら頭が下がる。人の行いに不可能なんてない、という生き様に驚嘆を禁じ得ない。
 私は、この本を手にして、久々に若き日に目指した中央アジアの「さまよえるロプノール」に関する記憶を取り戻し、思わず本の表紙を撫で回した。(2014.9.18)

 

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文章能力の欠如

2014年09月12日 14時19分51秒 | ファンタジー

 新聞社が自社の記事の誤りを何度も謝罪するという、きわめて異例な事態が起きている。間違いは誰もが犯すが、巨大な正統派メディアには許されないということなのだろう。それも一理ある。大衆に自身をさらけ出している限り、何か落ち度があれば問題視されるのは宿命的なことといえるだろう。
 慰安婦問題も、爆発した原発での退避の件も、新聞社自身が、様々な見解があることを知っていながら、その中からひとつの見方だけをあたかも自社の主張だと強調してしまった。これは事実誤認でなく、記者が集めた様々な事実を分析して、それを表現する文章能力の欠如を意味している。要はデスク、論説委員の、他紙に先んじてニュースを作ろうとする魂胆が招いた悲劇だ。現場で必死に取材する記者がかわいそうだ。新聞社の大多数の方々に罪はないと思う。
 事実認識というものは、現場とデスク、書き手と読者、侵略者と解放者などの立場の違いによって、百八十度異なる場合があるものだ。立場によって正義の基準が変わることさえある。いずれにしろ、こんなことが起きたって、日本の新聞の一般的な読者には、特別驚くようなことではない。驚いて飛び跳ねているのは、政争好きな巷の政治家連だけだ。(2014.9.12)
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グノーのアヴェマリア

2014年09月10日 14時37分16秒 | ファンタジー


 先日、ラジオを聞き流していたとき、たまたまバッハの「平均律クラヴィーア曲集の前奏曲第一番ハ長調」という曲の一部分が流れた。クラヴィーアとは鍵盤楽器全般を指す言葉。そのころはピアノの登場する前で、オルガンやチェンバロなどの学習用?に作られたという。
 単調だが耳障りの良い曲で、どこかで聞き覚えがあるような、ないような、じれったい気持ちで鑑賞していると、解説者がもったいぶった調子で次のような意味の話をした。
「フランスの作曲家シャルル・グノーは目立った活躍をした作曲家とは言えない。だが、このバッハの前奏曲第一番ハ長調の曲を聴き、その奥に、あの「アヴェマリア」の旋律を発見したことは歴史に残る大功績だ」
 要するに、アヴェマリアは正真正銘、バッハの手になるのであって、グノーは旋律の発見者だということ。この放送をグノーが聞いていたら、どんなコメントを付けたのだろう。
 一方、作曲はグノーによるもので、バッハのクラヴィーア曲集を伴奏にしただけ、という違う解釈もある。しかし、いずれも、グノー一人ではこの曲は生まれなかったという点で一致する。過去の積み重ねなくして現在を語れないとは誰もが認めるところだが、私としては、バッハの曲にインスパイアされたグノー独自の作曲なのではと思う。
 なぜそう思うか。グノーは、このメロディーを紡ぎ出してから、書き換えを繰り返したという。ゆっくりと時間をかけて生ものを熟成させるように、彼の生涯かけてこの曲を深化させたのだ。(2014.9.10)
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泣ける映画

2014年09月09日 16時34分12秒 | ファンタジー

 高畑監督のアニメ「火垂るの墓」を思い出すと、ただでさえ感情が高ぶりやすい性格の私としては、どこまで冷静にこのブログを書けるか自信がまったく持てない。このアニメは一九八八年公開とあるので、その翌年か翌々年、職場の方から勧められて、ビデオを借りて観た。野坂昭如の原作をずいぶん前に立ち読みしたことはあるが、彼のごてごてと泥臭い作品の中では地味だったためか、読後の印象はほとんどない。
 ところがアニメの内容は想定していたものとまったく違い、鮮烈だった。戦争が激しくなるころ、二人の幼い兄妹は親戚の家を出て、食い物も事欠く生活を送る。兄は、次第に体力が衰えていく小さな妹を思い、盗みまでするようになる。私は辛くなって、画面から目をそむけ一息入れようと思う。しかしできない。けなげな妹への兄の気持ちがひしひしと痛いほど伝わってきて、嗚咽が始まる。もう止められない。こういう悲惨を目の当たりにすると、五官によって得られるものが解釈不能になるのだろう、たいがいの場合、言葉の前に感情が先行して出てきてしまう。
 原作者自身、亡くした妹に対し自分はこんなに優しくなかったと述懐しているという。高畑アニメを観て、やっと過去を正視できるようになったとも言っている。このように、自身の思いを言い尽くせないことや、思っていても言えないことはよくあることだ。ヒトには言葉が先天的に身についているという学説があるが、本物の言葉とは、文化という土壌の中で、長い年月かけて深く豊かに醸成されるものだと思う。
 蛇足だが、文化ヒトの端くれとしては、大勢に迎合して思ってもいないことをしゃべったり、意図的に言葉を正しく使わなかったりすることは、できる限り差し控えようと自らに言い聞かせている。(2014.9.9)



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シャイン・ア・ライト

2014年09月05日 11時13分27秒 | ファンタジー

 昨日から、ローリングストーンズの「シャイン・ア・ライト(ライトを照らせ)」とイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」の二曲を頭の中でぐるぐる回しにして、両者の旋律の類似性について思い巡らせている。前者は一九七二年リリースのアルバム「メインストリートのならず者」、後者は一九七六年の同名のアルバムの曲。
 リズムやコードが違うが同じ旋律として有名なのは、ニールヤングの「ヘルプレス」とディランの「ノッキンオン・ヘブンズドア(天国への扉)」がある。どの曲も懐かしい。ヘルプレスは、最近、CSN&Yのアルバム「デジャヴ」で何度も聞いている。ディランの曲は映画ビリーザキッドのために作られたものだが、金のない学生時代、友人が買ったレコードを聴くため、彼の部屋に度々押しかけた。
 イーグルスのこの曲はグループ最大のヒット曲で、大方の五十代以上の耳朶なら旋律を憶えていると思う。それに引き替え、シャイン・ア・ライトはストーンズ通を自称する者でもあまり馴染みがないのでは。この曲が一躍クローズアップされたのは、スコセッシ監督によるストーンズのライブ映画(二〇〇八年公開)のタイトルに、この曲名が付けられたから?
 私は、映画を見たが、映画のタイトルがストーンズの昔の曲のものとはまったく気がつかなかった。その曲に行き当たったのは、つい最近、再び「メインストリートのならず者」リマスター版を、車の中で繰り返し聞き直していたときだった。一枚目の十八曲入りCDを聴くこと、五,六巡目ころだったと思う。
 十七番目のシャイン・ア・ライトがかかっている最中、たまたまホテル・カリフォルニアの主旋律が呼び覚まされ、耳から離れなくなった。相前後して、古い記憶の底からよみがえるものがあった。四十数年前の一時期、実家の二階で蟄居していた行き場のないころの記憶だ。そのころ挫けそうな心の支えになっていたのは、ストーンズの音楽と部屋を埋め尽くす本の山だけだったと思う。言いようもなく苦く辛い記憶も、ストーンズを数十年間、繰り返し聴くうちに、少しずつ角がとれてきたように思う。
 ところで、音楽だけでなく様々な創作の分野でも、類似の例は数多い。なかには、先行する作品を頭に描き、あえて引用することさえある。なんら問題はないと私は思う。大げさな言い方だが、たいがいの事象は元々たったひとつの要素から発生しているのだから。(2014.9.5)


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ストレスに強い?

2014年09月02日 13時58分22秒 | ファンタジー

 交感神経が働くのは、身体を動かすときや緊張したとき、刺激を受けたときなど。また、交感神経は、ストレスを感じたときなどにも優位になり、男の場合、大脳の視床下部に作用を及ぼして、精巣に「男性ホルモン(テストステロン)を分泌するな」と指令するので、ホルモンが出なくなる。さらに副腎皮質から出るステロイドホルモンが脳の扁桃体に作用して、うつ状態を助長する。したがって、年取ってから、若いころのように無理をするとストレスとなり、うつへ進んでしまいかねない、とある保険会社のパンフに記載されていた。
 これには多少の疑義がある。若いころに比べ、肉体的に耐久力が減退したのは間違いないが、経験を積んだ分、精神的には忍耐力が増している、つまりストレスに強くなっている、と思うのだが、いかがだろうか。
 それはともかく、目からウロコなのは、男性または女性ホルモンが減少することによって、男女とも更年期が訪れるのは仕方がないが、そうなったときの境地というか生き様というのが男女間で決定的に異なること。それは、女性の場合、女性ホルモンが減少するとアクティブになり、男は男性ホルモンが減ると老け込むのだという。
 ホルモンという物質はなんと強力で、ヒトとはなんと単純な生き物なのだろう。この自然の摂理に逆らってもいたずらにストレスを増進させるばかり、と観念し、男の場合、だらだらとリラックスしているとき活性化する副交感神経の働きにより、せいぜい精巣に刺激を与えてもらうしかないのである。(2014.9.2)
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