黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

ウソばっか

2017年05月26日 17時14分52秒 | ファンタジー

 自衛隊日報、財務・文科省の内部文書をはじめ、政治家、官僚、防衛制服組たちは、ウソばっかりついていることが次々発覚している。
 いい大人がこんな無責任で、自己弁護しかしないとは。いつからこんな世の中になってしまったんだろう。子どものころ、ウソついたら舌を抜かれるとか、針千本飲ますとか、オオカミに食われるとか、頭をたたかれたことがなかったのか。
 私だって、在職中、人様に言えないことを一つや三つしたことはあるが、たまたま見つかって問い詰められたときは、ちゃんとこう答えている。
「やったのは間違いありませんが、見つかるとヤバイので証拠書類は完璧に始末しました」と。
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文科省ルート

2017年05月26日 15時49分00秒 | ファンタジー

 昨日、前川喜平・前文科事務次官が、国家戦略特区への大学獣医学部新設計画をめぐり、内閣府から「総理のご意向」を伝える文書の実在を認めた。間髪を入れず、菅長官は記者会見で、文科省の組織的な天下りあっせんに関与した責任を取り依願退職した前川氏を「地位に恋々としがみついていた」などと強く非難。
 確かに前川氏は、歴代の悪習の責任を一人抱え込み、さらに、他省の天下りまで斡旋したかのように非難され、証人喚問を受け辞任した。他省はほんとうに潔白なのか。それはともかく、菅長官が、人の名誉を毀損するこんなコメントを言い放ったのは、いよいよ本丸に火の手が上がるのも近いと見える。 
 ところで、2013現総理の時代に本格稼働した「内閣人事局」(局長は内閣官房副長官(政務))が、省庁の自主独立を奪う元凶になったのは論を待たないところ。この組織が現内閣の強権発動の根拠になっているとも言えよう。一方、勧奨退職者(定年前)の再就職を斡旋するため、内閣府に設置した「官民人材交流センター」は実はほとんど機能していない。
 つまり、内閣は、省庁の幹部人事だけを掌握し、彼らの退職後の行き先を封じてしまった。なので、省庁としては、2013まで堂々とできた再就職斡旋を、引き続きこそこそやるしかなかった、悪いことと知りながら。 
 この国の現状を見ると、現総理・内閣官房が民間等との癒着をどれだけ深めているか、疑いは泥沼のように深まっている。官僚たちが、言うに言えないそれらの悪事にどれだけ加担させられているか。国の省庁の事務方トップにいた官僚は内心煮えくりかえるものがあるだろう。マスコミは忖度などという言葉をもてあそんで政治家に媚びへつらっているが、国民は物の道理をわきまえている。官僚の中にも、名誉のためには命を惜しまない傾向性の方々がいるのだ。財務省ルートもこれで終わったわけではない。

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新聞記事 恋々

2017年05月25日 15時12分17秒 | ファンタジー
 
 25日の記事記事。
 朝日新聞。
 前川喜平前文科事務次官が、国家戦略特区への大学獣医学部新設計画をめぐり、文部科学省が内閣府から「総理のご意向」と伝えられたなどとする文書の実在を認めた。
 時事通信によると、菅長官はこれを受け記者会見で、文科省の組織的な天下りあっせんに関与した責任を取り依願退職した、前川氏を強く非難。
「当初は地位に恋々としがみついていたが、厳しい批判にさらされ、最終的に辞任した」と語った。
 
 確かに彼は、歴代の悪習の責任を一人抱え込み、さらに、他省の天下りまで斡旋したかのように非難され、証人喚問を受け辞任した。他省はどうなのか。各省歴代幹部の退職後の行き先を見れば、何をしてきたか一目瞭然。菅長官が、人の名誉を毀損するこんなコメントを言い放ったのは、いよいよ本丸に火の手が近づいたということか。

 毎日新聞外。
 自衛隊の制服組トップの河野克俊統合幕僚長が安倍晋三首相が提唱した憲法9条改正案を「ありがたい」と発言したことについて、稲田朋美防衛相は25日午前の参院外交防衛委員会で「政治的目的はないということは明らかで、問題はない」と述べた。

 相当数の国民は、自衛隊が憲法に書かれていなくても、自衛のため最低限必要な武装と認めてきた。にもかかわらず、一部の政治家の考えに迎合して尻尾を振るとは。彼らにとって、自衛隊は国民の安全を守るためでなく、自衛隊員のためにあると考えていることがよく理解できた。

 毎日新聞。
 自民党は24日、安倍晋三首相が提起した自衛隊を憲法に明記する憲法改正について、「9条の2」を新設する案の検討に入った。9条3項ではなく、別条とすることで、現行9条を「堅持」する姿勢を示し、9条解釈の変更や自衛隊の役割拡大を懸念する公明党の理解を得たい考えだ。自民党は年末までの改正案取りまとめを目指すと同時に、与党内の調整も進める。

 9-1で、武力行使せず交戦権認めずとしておいて、9-2で自衛のための戦力を持つと明記するのは、まったく相反する条文を併記するようなもの。今後、北朝鮮情勢等を活用し、国外において自衛力や国際法で認められた交戦権を行使できなければ、他国の脅威から国や国民を守れないと、必ずや9-1の改廃議論を起こそうと彼らは考えているはずだ。
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何処へ?

2017年05月25日 11時22分53秒 | ファンタジー
 
 久方ぶりに東京へ。「エルミタージュ展」、「雪村(せっそん)展」と神田神保町書店・書肆街の3ヶ所の周辺を2泊3日にわたり歩き続けた。東京行きの数日前までは体調が今ひとつ。前々日には、突然の長距離1泊出張が入り、東京までたどり着けるか不安があったのだが、口にすると行くなと言われるので誰にも言えなかった。しかし、摂氏30度もの熱風の中に降り立ったとたん、実に快適な気分。浮き世の憂さなんてすっかり吹き飛び、胸苦しさはどこへやら。
 エルミタージュから来た17cから18cに製作された重厚な絵画、なかでもふくよかな女性に目を奪われた。翌日、最終日を迎えた雪村展の会場前には長い列ができていた。16cの霞がかかったような暗い会場内に入ると、何だか厳かな雰囲気に気おされて、背筋がピンと伸びる感じ。決して年齢のいった観客の背や腰の状態を気にしたのではない。
 雪村は奇想の画家と評されるだけあって、動植物や自画像などに普通でない表現力を感じた。竜虎図の竜の頭は、その体から解放されて宙を飛んでいた。顔にいたっては、そうとう年季が入った老爺のように干からびていて怖くない。 
 神保町には2日間も通って、手作り本の材料や道具を仕入れたほか、学生みたいに時間を忘れて店内を探索した。どの店も古紙やシミの同じ臭いが漂う。昔暮らした本屋にも入ってみた。店の作りはほぼそのころのまま。当時の父親にそっくりな顔がぬっと店から出てきた。驚いたことに、店員さんの顔は、いっしょに働いていた同年配の人にそっくりだった。彼の実家は確か地方の書店のはずで、神保町で修行して実家を継いだとばかり思っていた。翌日も2度3度、店の前を行きつ戻りつしたが、ついに声をかけられなかった。しかし、夜になれば友人たちとグチや本音を語り合い(一方的?)、調子に乗って二晩とも痛飲。
 体にいいわけはなかった。帰宅してから二晩続けて、生々しい出来事が夢の中で起きた。1晩目は、歯医者に無理やりドリルで歯をほじくられた。2晩目、憲法を書き換えたいとダダこねる、どこかの国の大臣の後ろに背後霊が出た。あー気持ち悪い。3日目の朝になり、例の胸苦しさが再来。日常に戻ってみると、テレビの中の要人たちの顔がやけに生気なく歪んで見える。まさか雪村の絵を見た後遺症ではないと思うが。(2017.5.25)
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JNはな TM父しゃん

2017年05月18日 10時02分43秒 | ファンタジー

「JNはな」とは、もちろん「女子ネコはな」の意味。一説に常時寝ている「はな」という解釈もあるとか。では父しゃんにJNをつけたら? 「常時抜けている父しゃん」のこと。「常時ネチっこい」の読みもあるらしいが、どちらもヒトとなりを端的に表している、と言えるかどうかわからない。そもそもそのような造語がどうして必要か、などと考えるのは、もはやTMなのだ。TMネットワークのTMでなく、年寄り男ということ。
 ところで、父しゃんは、今年になって、ある部分の内臓の調子がイマイチ良くない。以前も不協和音を感じたことがあったが、こんな数ヶ月もの不調は初めてのこと。びっくりしたり、怒ったり、激しい運動をしたり、仕事を突きつめたり、ネコやヒトのためにあくせくしたり、そういう無理を極力避けて大事に扱ってきたはずなのに、経年劣化ということなのだろうか。
 それとも、最近の国内外の政治情勢に対し思わず過剰反応したり、政治家や官僚のウソやまん延するヘイトスピーチに対抗してもっと酷いヘイトスピーチしたり、身のほど知らずの行いをやっているのが原因なのか。
 自己診断は禁物なので、心臓・血管疾患専門の病院へ行った。いくつもの検査を経て、やっと診察室に呼ばれた。
「なにせ息苦しくなるんです。胸が重苦しかったり、ときどき痛むこともあります。若いときのキュンと締め付けられるのとは違います」
 父しゃんは、診察室の雰囲気のもやもやを払おうと、ついよけいなおしゃべりをした。
「心臓自体、それに血液や血管に異常は認められませんね。でも、安心は禁物です」
 年配の医者はレントゲン写真を見直した。
「もしもですね、その年齢で狭心症なら、ぽっくり逝く危険性はかなりあります。なので、また症状が出たら、すぐニトロを使ってみてほしい。効果があるなら正真正銘の狭心症。何も変化がなければ心臓のせいではありません」
「心臓の苦しさが長びくのは、あなたの背骨が湾曲しているせいで、上半身の骨格や筋肉に無理がかかり、圧迫されているのが原因かもしれません。肩こりしませんか?」
「えぇ、します」
 そうなのだ、父しゃんは子どものころから肩凝り性だった。今も、狭い椅子に縛り付けられ、エビのようになっている。 
「それに、心臓を正面から見ると、何だかいびつですね。あなたの胸の骨がちょっと引っ込んでるから潰れてるんでしょう」
「そんなこと、一度も言われたことがない」
 そう言おうとしたが、医者の言葉に意表を突かれ、語彙が出てこなかった。
「カイロとか整骨整体で、そのあたりを看てもらったらどうでしょう」
 カイロでなく、パリではダメでしょうか、と父しゃんは軽口をたたく気分にもならなかった。
 心臓は放っておけないので、数日して知り合いの整骨へ行った。医者から聞いた話をしたところ、その整骨院で施術可能とのこと。すぐ30分から40分かけて、全身入念な施術を受けた。
「骨格のうち、とりわけ肋骨の動きが硬いですね。心臓が圧迫されているというより、肺の動きに無理がかかっているんじゃないでしょうか」
 ヒトの体とはなかなか一筋縄で解き明かせないものらしい。でも、あちこちかかってみると、何となく素人にもわかってくるような気がする。様子を見て、来週もう一度、整骨の施術をやってみようと思う。
 帰りがけ、車の中でラジオを聞くともなく聞いていると、今の若者の相当数がスマホ病を患っているという。その症状が、まるで私の具合悪さと同じなのだ。
「ひょっとしたら、君らも狭心症かもしれないぞ」と、ヒトを脅してどうする、父しゃん!(2017.4.18)



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怪獣が来た

2017年05月16日 16時00分41秒 | ファンタジー

 数日前、夢の中にいたときの話。
 どこやらの宿に泊まっていると、怪獣がやって来た。勇敢にも、小さな「怪獣はな」が応戦している。私は、”はな”の陰に隠れ、右往左往するだけ。オーナーから戦力外通告を突きつけられたプロスポーツ選手のように、自失し意気消沈している。わびしい限りだ。
 こんな夢を見るのは、凶暴ネコ”はな”のことを、普段から怪獣呼ばわりしているからなのか。それとも、つい最近、恐竜むかわ竜の全身骨格発見のニュースが飛びかったからなのか。はたまた小路幸也氏の「怪獣の夏 はるかな星へ」(ちくま書房刊)という小説を読んだからか。
 ところで、空恐ろしいものの名前に獣とか竜とかの字をつけるのは偏見によるもので、獣や竜たちに対し大変失礼だ。突然、暴力ネコに変身し、父しゃんの手を食いちぎろうとする、”はな”だって、普段は優しいし、到底、悪意があるとは思えないので、怪獣なんて呼ぶのは間違いだ。竜も龍も、のべつ使うのは許しがたい。龍はその昔、熊の表徴で聖なる最高神なのだ。怪獣や恐竜、ペットや自身の子などにネーミングするときは これらの事情を十分考慮されたい。(2017.5.16)
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終わりのない休暇

2017年05月12日 14時06分35秒 | ファンタジー

 9連休の後、来週は東京行きの3連休。そして6月を過ぎると終わりのない休暇が待っている。なので、焦ることはないのだが明日も休みたい。でも、家にいたら何かと野暮用が重なり、かえってつらいかも。とて今日は会社に来た。
 物心ついてからずっと宮仕えしてきた男にとって、勤めが終わるというのは、究極の開放感に浸れる唯一無二のチャンスだろう。私の場合はどうだったか振り返ると、3月末か4月末の予想に反し、6月末の退職が言い渡されたとき、やっと辞められるという全身脱力感があったのは間違いないが、6月末が来るのを待ち切れないような焦燥感にも襲われた。
 同時に、長く勤め過ぎた、もっと前に自ら辞める決断を下すべきだったという、ええかっこしたがり屋の後悔、そして、失われたダラダラの時間が惜しくてたまらないという、みみっちい感覚にもとらわれた。この思いは、今回に限ったことではない。自分には別のやるべきことがあるはずだという現実逃避的な、というか誇大妄想的な感覚は、人生の節目に必ず顔を出す。このようなボロ布のような思いが千々に去来するために、せっかくのほっとした気持ちがそうとう減殺されるのだ。
 さて、終わりのない休暇の過ごし方だが、私は数年前から、会社辞めても日々の生活を持てあますことなんてぜったいない、出版社やるのは決まっているし、近所にある図書館に通ったり大学の聴講生になって勉強しなおすぞ、と声高に叫んできた。しかし、ひとつとして具体的な目処がついているものはない。ちょっと心配になって、カレンダーの空白を埋めるため大してやる気のない自治会役員を引き受けたりした。最近は、自分に限ってないだろうと思っていた退屈がほんとにやって来たらどうしようと、焦りの色が濃くなる始末。
 今になって言うのも何だが、実は、私としては家にいるのが嫌いではない。ぐだぐだ家にいたら文句を言われるのに決まっているから、外へ出歩くネタ探さなければという気持ちもある。とにかく退職まであまり時間はないが、いざとなったら、はなの面前にひざまずいて、ずっと家にいられる秘訣を教えてもらえばいいか、と高をくくっているところもある。(2017.5.12)

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