黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

黒猫とのの冒険 その2

2010年11月30日 09時18分08秒 | ファンタジー
四 網走行き
 昭和六三年五月初め、暁彦の転勤で網走行きが決まった。とのが家に来てから半年ちょっと経ったころだった。部屋の荷造りを始めると、とのは楽しそうに箱から箱へ飛び移り、呼んでも隠れて出てこなかったりした。荷造りが終わり、荷物をすべてトラックに積み込むと、ガランとした部屋の中は、まったく見慣れない殺風景な空間に様変わりした。そこに立ちつくしたとのは、一瞬自分が住んでいた部屋を見失ったのだろうか、「ここはどこなの?」と、部屋の中をかけ回って鳴いた。
 とのの家族は、荷物を積んだトラックを送り出し、ヴァロンの家に一晩泊めてもらうことにした。次の日からしばらく会えなくなることを人間の言葉や振る舞いなどから察知したのか、興奮した二匹は、家の中で夜中まで追いかけっこや取っ組み合いを繰り返し、勢い余ったヴァロンは寝ている人間たちの足にかみついた。翌朝、とのとヴァロンは、「ヴァロン、いっしょに行こうよ。」「との、どこへ行くんだよ。」と、互いに何度も体を寄せ合い語りかけたのだが、両方の飼い主によってむりやり引き離された。二匹は、その後も飼い主の転勤に同行して何度か引っ越して、離れて暮らす年数の方が長かったものの、飼い主が姉妹同士だったので、会う機会はわりあい多かった。
 網走は、豊かな自然に恵まれ、寒暖の差が大きく四季がはっきりした土地柄だった。天気がいい日には町の中から壮大な知床連山の山影が見え、町を一歩出るとたちまち目を奪われてしまいそうな美しい景観が広がった。海や山からの多種多様な恵みは、そこに住む人々や猫たちの消費量をはるかに超えていた。
 とのの食べ物の好みは、一才になる前に網走に住んだことが大きく影響した。たまたまもらったカニの足や北海シマエビを食べて味をしめたとのは、カニ、エビのほかに、ホタテ、イカやそれらの調理品などをうるさくねだるようになった。その話が広まったためか、知り合いの人たちから、とのに食べさせて、と様々な海産物の差し入れがあった。とのは猫には珍しく、美味いものでも好きなものでも、同じ種類の餌が二、三日続くと、「えー、今日も同じなの?」と食べなくなったので、多くの種類の食材を備蓄しておく必要があった。特に初物に目がなかったとのは、緑色をした生の北海シマエビを初めて口にしたとき、あまりのおいしさに、三、四匹続けざまに食べた直後、喉つまりしてグェッグェッと吐いてしまった。床に散らばったエビの残骸の前から、じっと動かないとのを見て、奈月たちは可笑しくて吹き出してしまった。
 一才前後のころまでは、人間も他の動物も、まだ判断力が的確に働いていない時期なのだろう。とのは、どこの家に上がり込んでも人見知りしなかった。海のそばまで車を走らせたとき、とのは自分から海を見に行こうとした。人間や他の動物を疑ったり、自然を怖がったりすることがない幸せな時代だった。その時期を過ぎると、とのは幻の猫になるのだが。
 稚内の親戚に用事があって、とのが嫌いな車に乗って網走から五時間の旅をした。奈月の姉の家に行き、同年代の雌猫の「ラン」と会った。このとき、ランはとのを見るなり、敵が侵入してきたかのような勢いで攻撃を仕掛けた。この予期しない追いかけ回しに遭い、猫見知りしないとのも、このときは突き当たりの部屋に追いつめられて小便を漏らしてしまった。
「びっくりしちゃったよ。よその家だったから逃げ場所がわからなかったんだ。」
 とのは照れくさそうな顔で言い訳をしたが、翌日にはランと大の仲良しになった。
 骨の発育不全と直接の関係はないが、とのの尻尾は三ヶ所で折れ曲がっており、網走に行ってすぐ、先端部分がドアに挟まりちぎれてしまった。尻尾の切れ端と毛を見つけて病院に連れて行くと、傷口を縫う手術をして痛い思いをさせるより、自然治癒力に任せた方がダメージは小さい、という診断だったので、そのままにしておくと、とのは、尻尾の先の傷口をなめ続け、最後は飛び出した骨を食いちぎって自力で治した。傷や血が嫌いな暁彦は、とのの様子を見ていると、退化した自分の尻尾が痛むような気がしてならなかった。

 三年間の網走生活で、いささかバランスの崩れた多くの猫たちに出会った。近所の住人が「ため吉」という名前をつけた猫がいたが、その名前は彼の風貌にぴったりだった。年輩の雄猫で、大きい体のわりには足が短く、体の毛はボソボソに逆立ち、口の周りはいつも汚れていて、野良のキャリアが見るからに長いと思われた。あるとき、ため吉がとのの家の開いていた窓から中に入ってきたことがあった。まだ一才になる前のとのは喜んで、「おじさん遊ぼう。」とため吉にかけ寄ったところ、ため吉はとのの頭を前脚でポンとたたき、そこにあったとのの餌を悠然と食べた。その様子からは、若い雄猫など相手にしないという貫禄と気迫が感じられ、暁彦と奈月と怖じ気づいたとのは、その悠然とした彼の行動の一部始終を黙って見つめた。その後もため吉は何度も侵入したが、とのに悪さをするようなことはなかった。彼は豪快な反面、知り合いの人から道ばたで、「ため」と声をかけられると、うれしそうに走り寄る人間好きな性格をも持ち合わせた猫だった。
 ため吉の縄張りと隣り合うエリアを牛耳る「アトム」という若い雄猫がいた。目の上から耳にかけてついている真っ黒な模様が、鉄腕アトムの帽子にそっくりだったのでその名前をつけた。精かんな目でにらみを利かせて歩く猫だった。ため吉とアトムは、「くろ」という名前の真っ黒な雌猫を取り合っていた。年齢的にも体力的にもアトムが優勢だった。耳や尻を噛まれ血を流すため吉を放っておけなくて、近所の人たちと奈月が仲裁に入った。ため吉は、興奮のあまり自分を応援してくれる人間の長靴や腕にむやみに噛みつき、人間側にも多少の負傷者が出ることがあった。
 アトムには、うりふたつの顔をしたひと回り体の小さい弟がいた。とのにとってアトムは不得手なタイプだったが、弟は、兄とは違い温厚だったから、ときどき挨拶を交わした。ある日の夕方、とのは、暁彦と連れ立って買い物に行く途中、車の通行が比較的多い道路の真ん中に、立てた尻尾を振りながら得意げに歩く猫を見つけた。「アトム、危ない!」走ってくる車を見つけたとのは大きな声で叫んだが、その猫は落ち着き払って車をやり過ごし、こちらに向かって歩いてきた。驚いたことに、近づいてきたのはアトムではなく、おとなしい弟猫の方だった。弟猫は、とのの鼻先をなめながら言った。
「アトムはシャイなやつで、本心をなかなか明かさないけど、ほんとうはつらい目にあっているんだ。」
 弟猫の話はこうだった。もともと飼い猫のアトムは、小さなころから体が大きくわんぱくで、飼い主から怒られてばかりだったからなのか、大きくなるにつれて意固地な性格になり、飼い主にさえ反抗的な態度を取るようになった。そのため、帰りが遅くなると家の玄関に鍵をかけられ、餌さえもらえなくなった。アトムは、自力でたくましく生きてはいたが、時々、「俺には誰もやさしくしてくれないんだ。」と、兄弟にさんざん当たり散らした後で、泣き崩れることがあったという。
「アトムはときどき凶暴になることがあるけど、大目に見てやってくれよ。」
 弟猫は片目をつぶって、暮れなずむ海に向かう道をゆっくりと下りて行った。
「家に入れてくれないなんて、ほんとうなの?」とのが不安な顔で暁彦に尋ねると、表情を曇らせた暁彦は、とのを黙って強く抱きしめた。
 ある日のこと、ため吉とアトムは、互いの顔をくっつきそうなくらい近づけて、いちだんと大きな威かくの叫びを上げ、暴力沙汰になるかと思われたとき、突然アトムは一目散に退散した。ため吉が勝った理由はわからない。その場所が彼の縄張りだったことや、彼に加勢する大勢の猫と人間が周りにいたことが後押しにつながったのだろうか。秋になり、くろはため吉によく似た子猫を五、六匹生んだ。
 野良のくろはまじめに子育てする母猫だった。とのが住んでいたアパートの真向かいの単身者住宅前にほとんど使われていない物置があったが、くろ一家はそこに住みつき、引き戸の破れた穴から出入りしていた。しかし、次第に住みにくくなってきたのだろう、ある日、奈月がアパートの玄関前に出ると、くろが子猫を一匹くわえてやってきた。人慣れしていない子猫は大きな口を開け奈月を威かくしたが、くろはかまわず他の子猫にも出てくるように促した。子猫たちの行列がくろの後ろに続いた。自分の子供を何とか生き延びさせたいというくろの気持ちが切々と伝わってきて、奈月はアパートの裏にあった自分の家の物置にくろ一家を移動させ、餌を与えることにした。くろは若くはなかった。面倒見のいい住人の一人は、これからもくろが子供を産み、子育てを続けることをかわいそうに思い、知り合いの動物病院に頼み込み、くろの避妊手術をしてもらったうえ、引き取り先の手配までお願いした。くろ一家は網走郊外の牧場などに無事もらわれていき、長く大事にされた。

「ミッキー」は、アパートの前に唐突に現れた。二階の猫好きの婦人が何気なく窓から外を見ていたとき、首輪をつけた小さな猫が草むらを歩いていた。不自然に思い見に行ってみると、生まれて二、三ヶ月くらいの飼い猫だった。自分の家に帰る道すがら立ち寄ったのかもしれないからと、そのままにして家に引き返した。次の日、外が明るくなってきたころ二階からのぞいてみると、前日の子猫がほとんど動かずにうずくまっているのが見えた。彼女は、自分の気持ちを押さえることができず、ただちにその猫を迎えに行った。こうしてミッキーは、二階の家の一時預かり猫になった。念のため、地元の新聞に迷い猫の広告を出したが、飼い主は現れなかった。
 ミッキーは狩りが得意で、いつも家から脱走し鳥たちを追いかけていた。カラスからはときどき逆襲されたがこりることはなかった。やっとのことでスズメを生け捕りにし興奮状態で帰ってきたミッキーは、たまたま階段で遭遇した奈月から、かわいそうだから離しなさいと言われ、腹立ち紛れに彼女の腕に思いっきりかみついたりもした。ミッキーは預かり主の転勤のお供をして数ヶ所の土地に暮らし、岩見沢の地で十数才の寿命を全うした。
 「チャーミー」は隣の家でかわいがられたおとなしい猫だった。隣家が引っ越すと、彼女の姿も消えてしまった。短期間住み着いた「ルパン」という寡黙な猫もいた。その他にも、アパートの前に止まった乗用車からまりのように投げ捨てられた子猫や、段ボール箱に入れられて近くのゴミ捨て場に置き去りにされた子猫たちもいた。このアパート周辺の猫と人間の生態をよく知っている者の自分勝手な仕業に苦々しく思うことが何度かあった。
 網走に住んで二年目の冬の終わりころ、猛烈なブリザードが二日間にわたって吹き荒れた。朝起きると、一階の窓を完全にふさぐほどの雪が吹きつけていた。道路が寸断され、電話も通じず、暁彦の職場は風雪害で休業になった。外の明かりが届かないかまくらの中のような家に手持ち無沙汰でじっとしていると、窓の外がにわかに騒々しくなった。近所の数人の知り合いが手に手にスコップを持ち、人ひとりがかろうじて通り抜けられるくらいの通路をこじ開けながら、町中を行進するパレードのようなにぎやかな騒音を立てて、こちらに向かってやって来るのだった。吹きだまりの雪に足を取られながら、ようやくアパートの玄関に到着した彼らは大量の酒と美味そうな食材を抱えていた。暁彦たちは、かまくらでご馳走を食べて楽しんだ子供のころに戻ったかのように、夜遅くまで大騒ぎした。次の日からは近所総出で雪道をつける重労働が始まったが、車が小路に入るまでには幾日もかかった。
 ため吉がいつまでも現れないことに誰かが気がついた。ブリザードを避けてもぐりこんだ床下か穴蔵が雪に埋もれて、外に出られなくなっているのだろうと、とのたちは、心当たりを探してみたが手がかりはまったくなかった。ため吉は以前、はやり病いにかかり死にそうになったとき、猫好きの人たちの献身的な看護を受け、奇跡的に元気になった。そういう生命力が強い猫だったので、何もなかったような顔をしてひょっこり出て来ることを願ったが、雪が解けてしばらく経っても、ため吉の姿を見た者はいなかった。
 とのの住んでいたアパート周辺を行き交った多くの野良猫たちは、一匹として同じ色、同じ体型、同じ性格ではなかったが、みんな、厳しい掟と生活環境の中でせいいっぱい健気に生きていた。彼らと関わりあった人間や飼い猫たちは、彼らとの短いつき合いの中で、多くの思い出を胸に刻むことができた。
 平成三年、とのは四才になる前に網走を離れ、三年前に住んでいた札幌の四階建てのアパート群に戻った。ヴァロン一家はまだ近所のアパートに住んでいて、その後の三年間、とのはヴァロンと兄弟同様につき合った。(この章了)

五 盟友ヴァロン
 ヴァロンは猫には珍しく、家の番猫の務めを果たしていた。侵入者を発見すると、それが知り合いであろうと外敵であろうと、ただちにスキップしながら近づき、相手が人だったら、足首にがっちり爪を立ててしがみつき、逃げられないようにした。振りほどこうと抵抗する敵に対しては、足の至る所にかみついて攻撃した。同族の猫には、背後から急襲し、首筋にかぶりつき、羽交い締めにして組み伏せた。これにはどんな猫もギブアップした。
 ヴァロンのせいではなかったが、彼は失そう事件を起こした。ある夏のこと、ヴァロンは家族といっしょに山奥のキャンプ場に遊びに行った。そこに見たことも聞いたこともないたくさんの動物や虫、植物がいることにびっくり仰天して、人間でさえ迷ってしまいそうな山中に無我夢中で飛び込んでしまった。家族は連れてきたことを後悔しながら、テントの周辺をほうぼう探し回ったが、山の中にもぐり込んだ猫を見つけるのは難しかった。家族は翌日から毎日現地に通い、カセットテープに吹き込んだ家族の声を朝から晩まで流した。山中のヴァロンは、どうしていいかわからないまま、何日間も水だけ飲んで震えていた。一週間後、地元の人から、キャンプ場の水飲み場にシャム系の猫が来ることを聞き、蛇口から直接水を飲むヴァロンの癖を思い出して、水飲み場周辺で待った。すると、山奥なのにヴァロンによく似た猫が何匹も出てきた。夜中になりあきらめかけたときだった。とうとう蛇口に近づく猫を発見した。こうしてヴァロンは野良になることなく生還した。
 ヴァロンは、キャンプ場での出来事の直後から、腰が抜けたようにふらつきながら歩いた。原因は不明だったが、山奥に取り残されたことで大きな精神的ショックを受けたとも考えられた。久しぶりに網走にいるとのと再会したときのこと、それまで力負けしていたとのが、「どうだい、ボクも強くなっただろう。」と、いつもしてやられているヴァロンの背中に馬乗りになり、口笛を吹くかのように上機嫌にしていた。心配されたヴァロンの腰のふらつきは、数ヶ月後には正常に戻った。成猫になったとのは、ヴァロンより体が大きく体重も重かったが、取っ組み合いをすると、やはりヴァロンに軍配が上がった。
 ヴァロンは強いばかりでなく、雄猫なのに、小さな猫たちの面倒をよく見た。平成五年、札幌に住んでいたヴァロン一家に「マリリン」という雌の猫が加わった。マリリンは、近所の家から餌をもらっていた野良猫の仔で、冬を間近にして寒そうにしていた子猫たちの中から、えりなの妹「はんな」と母親によって連れられてきた。名前のとおりかわいらしい顔をしたおとなしい猫で、人間の指図に忠実に従ったが、部屋のあちこちにお漏らしをして家族を悩ました。
 平成八年には、またしても、えりなが捨てられていた長い茶色の毛の小柄な猫を拾ってきた。家族でくじを引き、「ドンベイ」という名前の紙を引き当てたのだが、後で雌だとわかり「ドンコ」と呼ぶようになった。
 平成一一年、ヴァロン一家は岩見沢に新居を構えた。その町でたまたま入った焼肉屋の店先にたたずむ小さな黒猫を見つけた母親は、帰宅した後も、何度か様子を見に行った末、鳴き声が耳から離れなくなり、とうとう連れ帰った。それが「ひめこ」だった。こうして、ヴァロンは、次々とやって来た三匹の子猫たちを母親代わりに育てた。とのを加えれば四匹の世話をしたことになる。(この章了) 


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黒猫とのの冒険 その1

2010年11月22日 15時28分14秒 | ファンタジー
前略
 黒猫とのが私たちの家にやって来たのは昭和六二年十月のことで、今から数えるとすでに二三年の年月が経ちました。
 このブログを始めたのも、懐かしいとのの覚え書きを記録したいという気持ちが、あるとき、お化けのようにどこからとなくわいてきたからなのですが、平成一四年七月の寒い日にとのが静かに息をひきとった場面をいざ書こうとすると、涙があふれるのを抑えられず、何日もの間、熱病にかかった病人のようにじたばたしたものでした。ついに書くには書きましたが、これをブログに掲載したら、今度は全巻完結したような気持ちになりそうでしたので、しばらくためらっておりました。しかし、その部分を抜きにして、とのの一生を語れはしないと意を決し、とのシリーズの始めから校正し直して、もう一度掲載することにしました。一度見た方は退屈されるでしょうがおつき合いください。

一 との登場
 札幌の西側に横たわる丘陵部のふもとから町の中央部を見下ろすと、そこにはまだ明るい陽ざしがあふれていたが、ふもとの住宅街では、三十分も前に陽がかげってしまった。陽ざしがなくなると、日中の空気があっという間に冷えるので、丘陵部をすみかにしている鳥や小さな動物たち、そして住宅街に住む子供たちは、外での活動を切り上げて自分の住まいに帰って行った。二時間ほど前に小学校を出て、日課になっている長い寄り道をしていたえりなも、ソフトボールのグラウンド二面分もある広々とした公園を斜めに横断して、彼女の家まで約百メートルの地点に来ていた。
 昭和六二年一〇月一三日の夕暮れどき、えりなは、公園の片すみにあるブランコのかたわらに、ふたのない小さな段ボール箱があることに気がついた。しゃがんで中をのぞき込むと、せん切り大根の味噌汁をかけたご飯が入った器に並んで、器と同じくらいの大きさの真っ黒な物体を見つけた。その黒いものは、大きな耳をした子猫だった。えりなは、目を閉じてじっとうずくまっている子猫を思わず両手で持ち上げた。手のひらに乗った頼りなげな子猫の体からぬくもりとかすかな震えが感じられ、生きているあかしが伝わってきた。「だいじょうぶ?」と話しかけたが、すぐには反応がなかった。彼女はそのまま放っておくことができず、子猫の体を温めるようにしっかり胸に抱いて家に連れ帰った。
 家に着くと、えりなはすぐ、母親の目の前に子猫を差し出し、「かわいいでしょう、うちでこの子を飼っていいでしょう?」と息を弾ませて言った。
「うちにはヴァロンがいるし、狭い家で二匹飼うのはむりよ。」
 不意をつかれた母親はとっさに言ったが、目の前の真っ黒な子猫から視線を離せなくなってしまった。この猫を外に放り出したら、小さな命がそこで途切れてしまうことは明らかなのに、幼い娘にそんな残酷な言葉を投げつけたことを後悔した。実は、彼女は猫でも犬でも鳥でも、動物はなんでも大好きで、もしも娘が拾ってくる前にその猫を見つけていたなら、見て見ぬふりができたかどうか自信はなかった。とはいうものの、その猫を家で飼う決心がついたわけではなかった。小学校低学年のえりなには、家にいるヴァロンという生後半年ちょっとの猫に加え、もう一匹飼うことがなぜむずかしいのか理解できなかったが、母親の言葉を聞き、手の中の子猫を見つめたままその場に座り込んだ。
 雄猫のヴァロンは、自分の縄張りに入ってきた動物の気配にすぐ気がつき、興味しんしんの面もちで、ため息をついている家族をかき分けて新参猫に近づいた。寒いのか、緊張しているのか、小刻みに震えている幼い猫を見たとき、ヴァロンは抱きしめたいほどかわいいという衝動にかられ、思わずその猫の背中に飛び乗った。
「わぁ、潰れちゃうよ。」と、えりなは、子猫の倍もあるヴァロンをつかんで引き離そうとしたが、ヴァロンは馬乗りになったまま、ぐいぐいと下にいる猫を締めつけた。すると、子猫は「フギャー」と急に大きな声で鳴き、「いやだよ。」というように体を起こし、意外な力強さでヴァロンを振り払った。不意をつかれたヴァロンの体は、鳴いた猫にしがみついたまま、床にデンとひっくり返った。「あら、こんなに元気だったんだ。」と、そばにいた人間たちとヴァロンはほっと安心した。
 子猫の体長はわずか十数センチメートルしかなかったが、そのわりに腹が出っ張っていて、手足が短い、ずんぐりした体型をしていた。栄養状態は悪くなさそうで、捨てられて長い時間経過しているとも思えなかった。二匹がくっついて離れないのを見たえりなは、「ヴァロン、お友達ができてよかったね。」と言いながら、近所に住んでいて、ちょうど遊びに来ていた母親の姉の方を振り向いた。叔母の奈月は、子供のころから犬や猫と身近に接しており、妹の家にいるヴァロンを見てペットがいる生活をうらやましく思っていたのだが、わざわざペットショップから動物を買うところまで、気持ちが熟しているわけではなかった。そのようなとき、小さな猫が現れたことに、何か運命的な出会いを感じていた。家の中の様子が膠着状態になり、誰かが声を上げなければ収まらない雰囲気になった。
「おばちゃんが捨ててきてあげようか。」奈月は強い口調で言った。それは自分自身の揺れる気持ちに区切りをつける言葉でもあった。そして、「おばちゃんにも触らせて。」と、ヴァロンに声をかけて注意をそらせたすきに、さっと子猫を抱き上げて、家から出て行ってしまった。彼女のすばやい行動に、えりな親子はびっくりしたと同時に、内心ほっとした。
 家を出た奈月は、「捨ててきてあげようか。」という言葉に反する行動をとった。決断力に富んだ性格の奈月は、その言葉を言い終えたとき、自分の言葉に励まされるように、その猫を自宅で飼うときっぱり心に決めた。しかし、そう決めたとたん、彼女の頭の中は、夫から猫を飼う了解をどうして得ようかという心配でいっぱいになり、すぐ近くの自分のアパートまでの道のりをどんな格好で歩いたか憶えていなかった。幸い誰にもあわずに家にたどり着いた。

 部屋に入ると、じんわりと暖かい猫の体温が手のひらに伝わってくることに気がついた。猫は捨てられたことや、行く末がどうなるかわからない自身の境遇など、何も心配していないという顔をして眠っていた。その様子を見ると、こんな無垢な生き物を捨てる人間に対する嫌悪感が頭をもたげたが、飼い主の家庭に、何か抜き差しならない事情が起きたのだろうと思い直すことにした。真っ黒な毛全体の汚れをふき、小さな顔についたよだれや目やにを取ると、雌雄の区別はわからなかったが、黄色がかった銀色の虹彩と、明るい場所でもあまり小さくならない黒い瞳とが印象的な、かわいらしい猫だった。切りそろえたように短い毛は、へその部分に少量の白い色を残し、艶のある真っ黒な色をしていた。
 取りあえず食べ物をやらなければと思い、ちぎった食パンに牛乳を漬けて口元に持っていったが、首を横に振って食べようとしなかった。夫の暁彦はいつも仕事で帰りが遅いので先に食事を始めると、子猫はよちよちと食卓に寄ってきて、味噌汁のお椀に鼻を近づけ匂いを嗅ぐ仕草をし、ニャーと鳴き始めた。猫まんまといっしょに段ボール箱に入れられていたというえりなの話を思い出し、味噌汁を冷まし、かつお節といっしょにご飯にかけてみたら、子猫は、小さな体に似合わないほど大きな口を開けて、「おいしいよ、おいしいよ」とでも言っているような声を発しながら、がつがつと食べ始めた。食べ終わると、台所の隅の暗がりで落ち着かない素振りをしていたが、顔をくるりとこちらに向けて尻を下げたかと思うと、大量の小便をした。今度はトイレを用意しなければと、床の液体を含ませたティッシュペーパーを食器入れのプラスチックトレイにのせた。それ以来、誤って押入に閉じこめられるなどやむを得ない場合以外、大小便の粗相をすることはなかった。
 それから数時間がたち、猫といっしょにいることがこれほどまでに心が和み、家の中にぬくもりがあふれるということに奈月は感動していた。一方で、猫との暮らしをあきらめることなど考える余地がなくなった彼女は、猫と対面したときの暁彦の反応がますます心配になった。暁彦は、育った環境によるものなのか、人間の子どもを含め生き物全般に対し、比較的冷淡なタイプの人間だった。
 夜九時を過ぎたころ帰ってきた暁彦に、知り合いの人から電話があったことを伝えると、彼は着替えをしないまま電話をかけ始めた。そのとき、込み入った話に集中している暁彦の方に向かって、背後からよたよたと近づいていく黒い小さな影に二人とも気がつかなかった。その影は、何を思ったか、あぐらをかいている彼の膝の中にもぐり込みまどろみ始めた。彼は、突然はい上がってきた黒い猫に驚いて、電話の内容に集中できなくなり、用件を途中で切り上げて受話器を置いた。
「うちで飼いたいと思うんだけど。」奈月は単刀直入に切り出した。
「どこの猫だい?」
「えりなが、すぐそこの公園で拾ってきたの。」奈月は、たとえ夫がダメと言ってもその猫を手放す気はなかったが、余計な言い争いをしたくなかったので、いつもよりトーンを控えめにして言った。
 暁彦は、そのとき突然、小さかったころの自分が子猫を虐待したという話を思い出した。自分の記憶にはなかったのだが、親の話によると、家にいた子猫を乱暴に抱きしめたり振り回したりしたので、親が見かねてその哀れな猫を余所にやってしまったという。そのことが原因かどうかはっきりしないが、物心ついてからの暁彦は、動物から警戒されていると感じるようになり、動物の扱いに臆病になった。唯一の例外は、十年くらい前、奈月の実家に居候していたころ、そこにいた犬のジュリコだけは暁彦に懐いた。いっしょに暮らしたのは一年程度の短い間だったが、自分たち飼い主の事情によって別の家にもらわれていき、そこで死んだジュリコを思い出すと、いつも心に後悔の痛みが走った。
 暁彦は、自分の膝の中で両脚を丸めて寝る体勢に入った小さな黒猫を見ると、彼の心になぜか懐かしい気持ちがよみがえってきて、自分を信頼しきっている様子のその生き物が特別な存在に感じられた。暁彦が返事をするまで、少し間が空いた。彼は、答えを探しあぐねていたのではなかった。その猫の登場によって自分の心にわけがわからない変化が起きたことに驚いていた。
「きれいにするのなら、いいよ。」
 奈月は、彼の明快な答えを予想していなかったので、その言葉を聞いたとき、何時間か胸につかえていた心配が一気に溶けて、うれしさがこみ上げてきた。名前は奈月の提案ですぐ決まった。雄であれば「わか」、雌ならば「ひめ」にしよう。雄であることは一週間後、やむなく連れて行った病院で判明した。その後、「わか」という発音がしっくりこなかったこともあり、「との」という名前に変えた。(この章了) 

二 とのの発作
 夜遅く、暁彦たちが寝ようとすると、とのがベッドにはい上がってきた。暁彦はとのといっしょに寝るのを嫌がり、居間と寝室との間のふすまを閉め切った。すると、居間の椅子の上に取り残されたとのは、家に来てからほとんど声を立てなかったのに、消え入るような情けない声でいつまでも鳴き続けた。とのは、前にいた家やこの数日間に起きたことを、次々と頭に浮かべていた。色とりどりの小さな猫たちと体を寄せ合って暖かで楽しかったこと、次第に数が減り最後の一匹になったとき、その家の人から、「うちには置いておけないから、誰か優しい人に拾われるんだよ。」と、段ボール箱に入れられたことなどが思い出され、急に寂しい気持ちになった。それに、これまで何度か発作を起こしたことがあり、体調が今ひとつよくなかった。発作が起きる日は、夢かうつつかわからないが、前もって何か恐ろしい目に遭いそうな気持ちがした。心の底からその発作が起きるのが怖かったので、この家の二人にそのことを早く伝えたかった。
 家に来て一週間後、とのは発作を起こした。突然、目の焦点が合わなくなったかと思うと、苦しそうなけいれんが始まり、胃にあるものを吐き、小便、大便をたれ流した。奈月は、びっくりしてすぐ近くの動物病院で診てもらうと、年輩の医者から、時間と費用をかけて治療しても育つかどうかわからない猫をわざわざ飼うことは勧められない、保健所に連れて行った方がいい、と言われたが、あきらめずに別の病院を探した。
 交通の便は悪かったが、評判を聞いて行ってみた病院の検査で、骨の発育不全が原因の発作であることがわかり、投薬や注射などによる治療をすることになった。奈月は、心配性の暁彦に遠慮して、町中で車の運転をしなかったので、それからの数ヶ月間、風呂敷に包んだとのを首から提げ、その上にジャンパーをはおって、毎日バスと地下鉄で通院した。
 暁彦は、とののひどい発作を見て、自分が子供のころ夜驚症だったことを久しぶりに思い出した。体調が悪い日の夜中、夢の中の暁彦は、空気の悪い映画館のような場所で、スクリーンいっぱいの大きな海とその片隅に揺れる小さな船を観ていた。その船の形は正月、枕の下に入れて寝る折り紙の宝船に似ていた。見る間に海は大荒れになり、高いマストがゆっくりと海の中に引き込まれていく。彼は、恐ろしさのあまりスクリーンを直視できず、ワァーと言って飛び起きた。そして、眠ったまま家の中を泣きわめいて走った。錯乱状態から醒めて、不安そうな家族に夢の内容を説明すると、祖母は強い口調で、海へは絶対行ってはいけないと何度も言った。夜驚症の発作はいつのまにか治ったが、彼は、泳ぐことや釣りなどのアウトドアの活動はもちろん、生活全般において自分の行動を規制するような弱々しい子供になった。暁彦は、とのも恐ろしい夢にうなされているかもしれないと思うと、とのへの親近感がわき、いっしょに寝ることにまったく抵抗がなくなった。
 発作が起きていないときの元気なとのは、地下鉄やバスの中で、奈月の服から顔を出し愛嬌を振りまいたので、「わぁ、かわいい」「お利口な猫ちゃんだこと」などと、乗客から声をかけられる人気猫になったが、日に日に体重が増え動作が活発になり、奈月の首筋や腰を苦しめた。しかし、彼女は、とのの元気になっていく姿を見るのがうれしかったので、体への負担や毎日の出費、行き来にかかる時間などはまったく苦にならなかった。とのの発作は次第に軽くなり、数ヶ月ほどで完全に止んだが、発育が一定レベルに達するまでの数年間、朝晩の薬を欠かすことができなかった。 

 幼いころのとのは、骨が弱くてもやんちゃで、高いところから跳び降りた拍子に足がぐにゃと曲がり、「痛いよ。」と、大声で鳴いた。その都度、奈月は心配して病院に連れて行ったが、幸い彼の薄っぺらな骨は折れるほど固くなかったので、しばらくすると痛みは治まった。しかし、薬を飲んでも、骨格がすべて正常な猫のように発達するわけではなかった。大人になっても、下顎の骨は後退したまま、唇がぴったりと閉まらなかったので、真っ黒な顔にはいつも赤い舌がちらりと見えていた。顎だけでなく頭蓋骨全体が普通の猫と違い、明らかにいびつな形をしていたと思う。とのの肉体を構成するパーツの幾つかには傷や歪みがあったが、組み立てられた身体全体を見ると、ずんぐりとした体型を除いて、彼は思いのほかハンサムな猫だった。
 骨の発育不全の影響はとのの動作にもはっきり現れた。大人の年齢に近づいても、ヴァロンのような猫らしいしなやかな身のこなしができなかった。鳥などの小さな動く物を追いかける本能は旺盛だったが、獲物に飛びつくとき必ず一呼吸置いてからドタドタと走るので、すぐに相手に気づかれた。顔見知りの鳥などは、臨戦態勢を取るとのを見ても逃げることさえしなかった。秋の終わりころの弱ったトンボを二、三回捕ったときのこと、奈月に獲物を見せにきたとのの表情は、これ以上ないという喜びに輝き、鼻の穴が大きくふくらんでいた。のんびりした動作の原因は、骨の発育不全ばかりではなかったかもしれない。とのは、目の前で投げ上げられたボールなどを目で追うことができなかったし、遠く離れたものの識別が得意ではなかった。計測したことはないが、視力があまり良くなかったのだろう。
 とのの仕草を見た人から、知恵遅れではと言われたことがある。たとえば、虫が逃げ込んだすき間の前に、忍耐強く何時間でも座っていた。また、大好きなヒモ追いかけっこのとき、息が上がり倒れそうになってもやめようとしないなど、周りの制止がないと限界を超えてどこまでも頑張った。また、身の回りのものへの好奇心が猫一倍強く、きらきらした目をいつまでも持ち続けていたからなのか、獣医師からさえ年相応に見られなかった。暁彦と奈月は、とのの子どもっぽく見える所作などは、とのの若々しい個性の表れだと思っていた。それに、とのの場合、家族二人とヴァロンやごく少数の友達猫に対して、自分の気持ちを率直に伝えることができる猫だった。彼と親しくつき合うと、とても話しやすく理解力に富んでいることがわかった。
 とのの子供っぽさは、幼少期から持病に悩まされて、家族との結びつきが強まったことも影響していたのではないだろうか。とのは何才になっても、母親の奈月には子猫のころとまったく同じように甘えた。とのの遊び心の発達には、どんなに乱暴に遊んでも怒らない暁彦の存在も大きかったと思う。
「今日も帰りが遅いのかな。」いつも不規則な暁彦の帰宅を待つのは大変だったが、眠ってしまったら今夜の遊びがなくなるので、眠たくて顔が床につきそうになると、目をこすりながら起きあがる動作を何度か繰り返していた。そのとき、戸外からバタバタとペンギンが歩くような聞き慣れた足音が聞こえてきた。とのは、研ぎすまされた聴覚で暁彦の足音を捉えると、「よし」と言って体を伸ばし、玄関の前に行き、両手の丸い指を床について正座した。奈月が玄関扉のガタガタという音を聞いたとき、とのはとっくに、彼の寝床にはいなかった。暁彦は、玄関で必ず出迎えてくれるとのが愛しくて仕方がなく、帰宅が夜遅くなっても、根気よくサッカーやレスリングをして遊んだ。とのがやってきてから、暁彦は、自分の周りに多くの動物たちの姿があり、彼らのまなざしが、暁彦の方に向けられていることに気がついた。そのまなざしは好意的なものばかりではなかったが、自分の中に動物たちを優しく見守る気持ちが芽生えたことがうれしかった。
 動物の知恵や知能について解き明かすのは、なかなかむずかしいと思う。数字を数えるカラスや犬、人と会話できるインコ、自分が産んだ子を三匹まで数えられる猫など、賢い動物がいるという検証結果が発表されているが、人が自分の尺度で動物の知能を推定することや、習性が異なる動物同士を比較することは、むずかしいという説が妥当だろうと思う。(この章了) 

三 子供のころのとのとヴァロン
 とのと最も親しく、生涯の友達となった猫が、幼なじみのヴァロンだった。
 ヴァロンは昭和六二年の春に日本海沿いの江差町で生まれ、その年札幌に引っ越してきた。とのより半年、年長のシャム系の雄猫で、ケンカが強くすばしっこい猫だった。彼は小さなころから狩りが得意で、アパートの三階に住んでいたとき、ベランダの手すりに止まった鳥か虫かを襲おうとして足を滑らし、五、六メートル下の地面に落ちたことがあった。部屋にいた家族がびっくりして降りていくと、こわばった様子ではあったが、彼は無事に着地して足を舐めていたという。
 二匹が出会った当初、とのは、二周りも大きいヴァロンに追われて逃げ惑い、九〇リットルの灯油缶の上げ底に開いている縦五、六センチメートル、横十センチメートルくらいの狭いすき間に逃げ込み、そこで居眠りしたり大便を漏らしたりしたが、慣れてくるとファーファーと威嚇しながら、まねごとのようなケンカをした。
「オレが本気を出したらひとたまりもないんだぞ。」と言うヴァロンに対し、「やれるもんならやってみろ。」と、負けん気が強いとのは、ヴァロンの追跡をかわしていた。ほどなく、遊び疲れた二匹が抱き合って眠る姿をたびたび見かけるようになった。出入り自由のヴァロンは時折、とのの家の窓際にやって来て、「行くぞ、との」と声をかけた。発作が治まったとのは、その声を聞くとじっとしていられなかった。動作が鈍いとのは一匹では外出できなかったが、頼もしい先輩猫のサポートで、あちこち冒険して回るようになった。
 とのたちの住んでいた一角は、三〇年以上も経過した古い四階建てのアパートが前後二列に三棟ずつ並んだ場所で、六棟のアパート群の周囲は、無計画に植えられた大きな木々やぼうぼうの雑草に覆われて廃墟の一歩手前のようになっており、彼らには絶好の遊び場だった。当時は、札幌の中心部に近い地域とはいっても、住宅地の中にタマネギや野菜を植えた畑が点在していたから、畑の土をほじくり返して虫を探したり、彼らより背丈が高い作物の陰でかくれんぼしたり、思う存分遊ぶことができた時代だった。
 天気がいい日は少し遠出をして、住宅街の西側の丘に通じる斜面に作られた木の階段を駆け上がって、町の中心部を東に向かって一望できる丘の中腹に陣取り日向ぼっこをした。たまに丘の向こう側の深い森林地帯からキツネの親子が降りてくることがあったが、二匹でいれば怖くなかったし、にらみ合いをするのもスリルがあっておもしろかった。冬になると、ちょうど一六世紀のネーデルランドの画家が描いた絵のような場面に遭遇した。西の丘での狩りに失敗した二匹は、小、中学校の広い校庭でスキーやスケートをして遊ぶ大勢の子どもたちの姿を見下ろし、どんより曇った空と一面の湿った雪に吸い込まれる彼らのくぐもった歓声を聞きながら、帰り道をとぼとぼと歩いた。
 ちょうどバブル経済の絶頂期にさしかかった時期であり、その辺りの住宅街では土地と家が億という金額で売買されていた。億ションというマンションも建った。一方で、庶民的な商店と住居が一体になった古びた下駄履きアパートや、傾いた木造のラーメン屋などが軒を並べていた。階段が大好きなとのは、四階建てアパートの一階に並んだ商店の間を走り抜け、突き当たりの階段を屋上まで駆け上がる遊びを毎日繰り返した。ある日、彼らは、その階段で顔見知りの中年の女性に呼び止められた。若いころ心臓の調子が良くなかったその女性は、犬を飼い毎日散歩することによってずいぶん健康になったのだが、年を取り足が弱った犬に散歩の同伴を断られたので、「君たち元気だね。いっしょに散歩しようよ。」と、ときどき声をかけてくるのだった。とのもヴァロンも人の歩行に合わせることができなかったので、目いっぱい愛想笑いして、その申し出をお断りした。
 ラーメン屋の年取ったおじさんがおごってくれるラーメンの焼き豚の味は、濃厚で格別に美味しかった。おじさんは息子夫婦から、そろそろラーメン屋をやめていっしょに暮らそうと持ちかけられていたが、「道楽でやっているから、売れなくてもいいんだ。」とばかり、野良たちに大盤振る舞いしながら、細々と営業を続けていた。
 とのが住んでいた四階建てアパートには三つの玄関があり、一つの階に八軒の住人がいた。とのも一応猫なので、人間の生活規範より古くからある猫の習性に従い、自分の縄張りを点検しなければ気持ちがおさまらなかった。特に自分の住む階では、毎日ベランダ伝いに、各家庭の様子を窓越しにのぞきながら見回り、窓が開いていれば、部屋の中の様子を探索した。ときどき、部屋の住人と出くわしたが、彼らからは意外にもご苦労さんとねぎらいの言葉をかけられた。後でわかったことだが、暁彦と奈月が前もって各家庭を訪問しお詫びして回っていたようだ。
 しかし、その楽しみは、隣家との境の非常用扉のすき間がふさがれるまでのことだった。暁彦のように、人間が作った細かい基準を嫌い、猫の習性の方が人間の道理よりはるかに優れていると本能的に思う人間には、「なんで、ふさいじゃうの。」という、とのの抗議の声が聞こえるような気がした。まだ幼いころのとのとヴァロンがいっしょに遊んだ思い出は、彼らの記憶にしっかりと刻まれ、永く友情を育んだ。(この章了) 
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