黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

コメントする価値なし

2015年02月10日 09時28分15秒 | ファンタジー

「武力で報復することが、悲惨な戦争を終わらせる唯一の方法である」
「平和を愛する人々はお人好しで考えが薄っぺらだ。なので、わが国は、醜い戦争を繰り広げる者らの法律に従うべきである」
「外国の地で平和に貢献しようとする自国民を守るためには、それら国々を武力で制圧する必要がある」
 某新聞の二日前の一面記事が、あまりにもぶざまで意味不明な文章だったので、添削してみたら以上のようになった。コメントする価値なし。(2015.2.10)
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ノルウェージャンはおしゃべり?

2015年02月05日 14時06分37秒 | ファンタジー

 マーシャというロシアの猫は、写真を見るとノルウェージャンのようだ。賢くてしっかりした目をしている。彼女が自分の寝床にしている箱の中に、人の赤ん坊を見つけたときはきっと驚いたことだろう。一人では何もできない赤ん坊を愛しく思ったのか、数時間もの間、顔を寄せてなめたり抱いたりしていたという。
 別の話になるが、おしゃべりな子は、幼いころから親たちと長い時間かけて会話をしてきたのだという。マーシャと同じノルウェージャンのはなは、極めつけのおしゃべり猫だ。寝ているとき以外、父さんか母さんのどちらかに話しかけてくる。こちらの話に、なになに?と聞き耳を立てるときなど、年取った物知りばあさんのような、しょぼしょぼ目をすることがある、一心に話の内容を解読しようとするように。それともリアクションを考えてる?(2015.2.5)
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映画化される沈黙

2015年02月02日 17時20分16秒 | ファンタジー

 人というのは、自分の命を奪われるわけじゃなく、生活がかかるというだけで、良心の呵責をはねのけて、狂気に手を貸してしまうのが常だ。
 当たり前だが、自分の命がかかったら、それでも筋を通せる者はほとんどいない。ましてや、自分ばかりか、他の人たちの命まで預かったとしたら、正しいことを選択する方が不条理になってしまう。その問題を扱った遠藤周作氏の「沈黙」が、再び、スコセッシ監督の手によって映画化されるという。
 一方で、特別な立場、待遇を与えられて、積極的に残虐を犯す者も大勢いる。ナチスのアイヒマンだけがそれに該当すると考えるのはあまりにも楽観的だ。これに憎悪の念が介入すると、要求された内容の何倍もの悪逆をやってしまう。
 理性の存在を疑うような残虐が行われるときは、たいがい、人間の良心の限界を超えた何らかの理由があるのだ。
 人にそこまでの試練を与えないために、宗教や思想や道徳が営々として、人改造の努力を続けているのだが、なかなか追いついていない。(2015.2.2)

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