黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

本がちがう

2020年04月29日 22時25分20秒 | ファンタジー
 自宅をくまなく探しても、小説の単行本(文庫本ではない)はほとんど見当たらない。全集本はいくらかある。筑摩の明治文学全集およそ30冊、岩波版志賀直哉全集全巻、講談社の世界文学全集5,6冊くらい。ところが、なぜか古井由吉氏のS46年出版の芥川賞受賞作の「杳子 妻隠(ようこ つまごみ)」、その前年に出た「円陣を組む女たち」の2冊が、書庫ではなく居間の書棚の上の段に収められている。彼の書いたものは、ほかにも「雪の下の蟹」「男たちの円居」など、内容はすっかり忘れたが読んだ記憶がある。
 その2冊のほかに、古井氏が翻訳したヘルマン・ブロッホ「誘惑者」を収めた本がある。これも書棚のいちばん上、白川(静)先生の著作といっしょに並んでいる。40年以上前、この「誘惑者」を読んでみようと思ったのは、古井氏の翻訳だったからだ。ちゃんとそのことを覚えている。
 私は、この本をとても気に入り、時間をかけて読んだ。あまりにおもしろかったので、東京近郊に住んでいた高校の同級生に贈った。なので、今ある「誘惑者」本は、そのとき購入したものではない。贈った本は、大手出版社の文学全集の1冊で、確かムージル・ブロッホの2人の作品が入っていたような気がする。その後、何かの折に、東京でその同級生に会ったとき、彼はブロッホのおもしろさがまったくわからないと言った。
 もう10年くらい前になるだろうか、突然、彼の言葉が私の脳裏をよぎった。釈然としない気持ちが抑えられなくなり、40年前に買った本をネットで探した。届いた本はS42年筑摩書房版の世界文学全集56。ところが、本の感触が記憶のものとは違っていた。ムージルの作品が入ってないし、版は一回り小さいような気がした。訳者は確かに古井氏で、巻末には古井氏によるブロッホと本の解説がついていた。
 今回、調べてみたら、筑摩書房は世界文学大系というシリーズも出していて、その64巻(S48年刊)に「ムージル ブロッホ」があった。半世紀近くも前の若き日に手にした本の装幀を憶えているとは、ほんとうに信じがたい。
 本を贈った同級生と会ったのはそれきりだった。彼は私が知らないうちにこの世を去っていた。30年も前のことだ。(2020.4.29)
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マスク考

2020年04月27日 17時13分40秒 | ファンタジー
 コロナウイルスの脅威ばかりか、こんなときでも経済至上主義を唱える日和見為政者たちに接していると、気持ちがどんどん落ち込んでいきそうになるので、思い切って難しい本に挑戦しようと、「仮面の道」(クロード・レヴィ・ストロース著、ちくま学芸文庫)を手に取った。
 読む前に、ページをパラパラめくってみると、見たことがあるような仮面の写真が次々出てくる。目が飛び出した仮面は、確か中国大陸の長江流域からも出土しているはず。甲骨文の「臣」の原型かと思うようなやつだ。
 ところで、仮面とは英語ならマスク。またもや今話題のマスクか、とげんなりしつつ、マスクにあたる日本語を調べてみた。
①仮面とは、正体・本心を隠すみせかけのもの。宗教儀礼に使うもの。
②覆面とは、顔を覆うもの。姓名などを明かさない、知られないようにするもの。
③面とは、顔。顔に似せて作ったもの。顔につけるもの。
 これらの名称を付けた単語はいっぱいある。たとえば、月光仮面、鉄仮面、仮面夫婦、能面や覆面作家とかタイガーマスクとか、あげればきりがないけれど、なんといっても今一番有名なのは、時の総理の名を冠したアベノ仮面、いやマスクだ。ネコだけがサイズぴったりと喜んでいるらしい。
 不思議なことに、マスクはなぜか日本語で表記されない。確かに、仮面でも覆面でもお面でもなんだかしっくり来ない。外気内気遮断用耳掛け付き布地では舌をかんでしまいそう。
 そこで私が眠りを絶って考案した名称を紹介しよう。日本古来からの使用方法を尊重して、顔につける布の意味で、「お面布」あるいは「面布」はどうだろうか。読み方は、「おめんぷ」「めんぷ」。意味も文法もゴロもまさにぴったり。
 日本語の名前がついたら、まがい物は恥ずかしくて世の中に出てこられないだろうな。(2020.4.27)
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清き心でいたい

2020年04月17日 22時06分30秒 | ファンタジー
 昨晩、いろいろ考えていたら、興奮してなかなか寝付けなかった。今朝、目を覚まして頭に浮かんだのは、なぜだか清き心という言葉。戦後の学校教育で習ったんだろうか? とにかくその心で書いてみる。
 緊急事態宣言は出そろったが、コロナはおさまるどころか、連日、過去最高の感染者を出している。コロナ拡散の危機感に焦りを募らせる人たちは必死だ。医師会は独自の検査・診療体制を構築し始めたし、都道府県の首長たちは、腰の重い国がやるべき防疫体制を代行すべく血眼(まなこ)になっている。
 一方、国や政府の中枢部は本気でコロナを退治する気があるのかないのか、マスクを配布するとか一時金を払うとか、的外れの対応でお茶を濁しているように見える。彼らが手をこまねいている間にも、どんどん被害は拡大する。緊急事態宣言を発しておきながら、強制力があるわけでなく、感染拡大阻止の効果なんてまったく期待できないと言わんばかり。この期に及んでこんな態度だと、オーバーシュート、医療崩壊を呼び込むようなものだ。
 もう一つ。昨日16日、衆議院では国家公務員法と検察庁法改正案の審議に入った。国家公務員60歳、検察官63歳の定年を65歳まで引き上げる法案だ。問題なのは定年延長ではなく、63歳で役職を退くところを、特定の役職者だけは内閣や大臣などの判断でその役職にとどまることができること。つまり、時の政権に都合のいい官僚は優遇され、嫌われるものは排除されることになる。何とあからさまな権力のやりたい放題。
 これ以上書き続けると、今晩も寝不足になりそうなのでこの辺で終了する。(2020.4.17)
 
 
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書評読み三昧

2020年04月07日 17時49分08秒 | ファンタジー
 本を読むには時間と金がかかるので、新聞、雑誌などに書評が載っていれば、くまなく目を通すことにしている。そんな習慣を何十年も続けているからなのか、本を一冊読み通すのに難渋するようになった。でも、書評読みを止める気にはならない。書評とはさっと読むだけで本を読んだ気になれるのだから、それも一つの読書法だと割り切っている。
 みすず書房の月刊誌「みすず」1・2月合併号は、前年に発刊された内外の書籍を中心に、読書アンケートを特集している。数年前にも「みすず」を取り寄せたが、そのときは途中挫折。なにせ、約140名もの各界のつわものたちが、一人5冊前後の書籍と読後感想を披露するのだ。
 取り上げられた書籍の一例をあげると、
加藤尚武氏推薦「大洪水の前にーマルクスと惑星の物質代謝」(斎藤幸平著)
成田隆一氏ほか推薦「柳田國男全自序集」(中公クラシックス)
野田正彰氏ほか推薦「ボランティアとファシズムー自発性と社会貢献の近現代史」(池田浩士著)
宮地尚子氏推薦「波」(ソナーリ・デラニヤガラ著) 
など、600冊あまりの本が3段組みの紙面に紹介されている。タイトルを読むだけでも疲れてくるが、解説が短くもっと内容を知りたいと思わせるところが心憎い。今年はたっぷり時間があるので、書評読みの楽しみが長続きする。改めて、これだけの数の地味な本が出ているとは出版業界の気骨を感じる。ユメミテも売れることを夢見て辛抱強く営業を続けなくては。(2020.4.7)
 



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