黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

サロベツ

2014年07月29日 16時11分01秒 | ファンタジー

 サロベツ原野の町へ雨の中を行ったら、夏風邪を引いてしまった。喉の痛みに始まり、四日目の今日は鼻水と涙が止まらない。ときどきクシャミと咳き込みが襲ってくると、切ってからまだ一月にならない下腹の傷がじくじくと痛む。調子の悪いときブログかよ、と言いながら、そうだからこそ物を書く気になれるんだと自身に歯向かっている。
 サロベツの地名はアイヌ語の「サルオペツ」(葦の生える川)に由来するという。先日訪れたサラプツ(猿払)の「葦原の河口」と、風景が共通する場所なのだ。緯度もほぼ同じ。ただし海は違う。サラプツはオホーツク海、サロベツは日本海に面している。それともう一つ違うところは、サロベツに漢字の表記がない。入植者がそれほど多くなかったためなのか。
 そういえば、宗谷の内陸には神社がない。外来の神の手が届かない土地なのだ。(2014.7.29)
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予備校の教師

2014年07月18日 14時27分59秒 | ファンタジー

 七十年、センター試験なんて始まるふた昔も前、私は、札幌に下宿して、田んぼの中の小さな予備校へ通っていた。ところが、その年の夏の終わりころ盲腸手術を受けるため実家に戻ったきり、予備校には行かないで自宅に引きこもった。
 その予備校での数少ないエピソードの一つを紹介する。個人情報の実名を上げるのは気が引けるが、四十年以上経っているし、使わなければ意味が通らないのであしからず。
 何の教科だったか、中年の教師が一人の生徒に名字を尋ねて、「安保(あんぽ)さんというのか」とおうむ返しに言った。七十年はちょうど第二次安保闘争の年、安保という二字略語はちまたにあふれていた。
 すると、普段はどちらかというと太い声の教師が、急にか細い声になってこう言った。
「安保反対」「安保反対」
 確か二度繰り返したと思う。
 教室には二、三十人の生徒がいたが、教師の発言した真意がわからなかったので、教室全体にかすかなざわめきが広がっただけで、意味ある言葉を発する者はいなかった。
 教師は、反対闘争に参加しないまでも、反対の考えを持っていたのだろうか。それとも世間の動静に対し、ただ揶揄するだけの気持ちで言ったのだろうか。
 私は、六十年安保のころ、小学校低学年だったが、市民のジグザグデモや工場のストライキを生々しく記憶している。まだ、この国の人たちが心を合わせて政治闘争をしていたころのことだ。
 それから十年、七十年闘争に差しかかったころ、先鋭化した学生運動は国民の支持をほぼ失い、同時に国民は政治闘争に参加する意欲をなくしていた。その教師がつぶやいた程度の声が散発的に上がっただけのことだった。
 今となっては、政治や社会にストレートに文句や意見を言える時代は、完全に過去のものになった。何か重大な政治・社会問題が勃発したときだけ、普段、そんなことを忘れていたはずの文化人たちが登場し、単発的にもっともなことをのたまう。問題意識との間断なき格闘、永続的闘争というのはほんとうにむずかしいことだと思う。(2014.7.18)
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見にいきたい映画

2014年07月17日 11時49分52秒 | ファンタジー

 六月三〇日の猿払からの帰り道、車のラジオで、「インサイド・ルーウィン・デイヴィス」というタイトルの米映画のあらすじを聞いた。一九六〇年代初頭、ボブ・ディランが憧れた伝説のフォークシンガー(名前はまったくわからない)の若き日の一週間を描いた作品。コーエン兄弟が脚色、監督し、カンヌ国際映画祭のグランプリを受賞した作品だという。初耳だった。
 主人公のフォークシンガーは何をやっても裏目に出、うまくいかない自分の人生と苦闘しながら、ひたすら夢を追う。そのフレーズを聞いただけで、私の心はその頃の年代に引き戻された。おまけにディランの初期のレコーディングから漏れたという曲を聞き、うれしさのあまり、しばし車の運転さえ忘れた。
 その二日後、私はヘルニア手術で入院。その後十日間、傷の痛みが治まらないとぐちぐち嘆いていたためか、多大な衝撃を受けたはずの映画の件をすっかり忘れていた。そして昨日、なんの前触れもなくその記憶がよみがえった。忘れたこと自体問題なのだが、思い出したきっかけがはっきりしないので、そっちの方が少々気持ち悪い。
 期待に胸弾ませネット検索してみたら、北海道では七月四日に上映終了し、これから上映する映画館はないとのこと。いつものことだが、傷が良くなるのを待って、本州に飛んでいけばいいのだ。(2014.7.17)
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出てきました

2014年07月06日 10時44分28秒 | ファンタジー

 監獄から出てきたわけではありません。
 先週、例の手術を受け、病院に一泊し無事退院しました。
 術後72時間、子供じみたパフォーマンスをしてはいけないというので、元気なときにできなかった本作りにでも精を出そうと思います。
 以上、近況のお知らせでした。(2014.7.6)
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再びサラ・プツへ

2014年07月01日 17時14分51秒 | ファンタジー
 ◇サラ・プツとは「葦原の河口」という意味のアイヌ語だという。普段は猿払と漢字で書かれる。彼らアイヌが北海道を跋渉していたころに見た葦原の河口と、日本神話に述べられる葦原の中つ国との景観を見比べてみたい気が起きる。私は一年半ほどの間に、四回もこの葦原にやってきた。来る度に少しずつだが、数十年前、近くの町に住んでいたころの記憶がよみがえる。記憶が明らかになるにつれ、時間の経過によって塗り替えられてしまった景観への郷愁が起き、つい車を止めてその自然に目を凝らすのだ。  ◇サラ・プツまでの道を北上するほど、昔とは比較にならないくらいヒトの住むマチが寂れていく。ヒトの生活していた痕跡が薄れていく。山奥には道路が通じているだけ。以前叔母とその家族が住んでいた家、数百年前に作られて誰もいなくなったあばら屋の方へ、たった一人で近づくにはそうとうの勇気がいるものだ。誰一人戻ってこない家は、そこで何を考えているのだろう。振り返らずに一気に車を加速すると、とたんに舗装道路は深く濃い色の草木に覆われ、鳥の様々なさえずりに溢れ、夏の甘い香りを含んだ風が舞い、沈みそうになる気分が晴れ晴れとするのだ。  ◇葦原の河口の近くの、一面に密生した草原にぽつんぽつんと丈の低い灌木が生えている見晴らしのいいところを走っていて、この草原にずっと命の尽きるまで住んでいたことがある、というような感慨がふと起きた。この草原には人の目に触れることなく、たくさんの動物や虫、名も知られない植物や微生物がじっと生きている。当たり前だが、ヒトは暮らせないが、虫や動物になればこれほどの豊かな自然はほかにないだろう。その日、サラ・プツは珍しく夏日だった。海は淡い色をして、信じられないくらい静かだった。(2014.7.1)
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