黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

シーバスリーガル

2021年04月25日 16時39分22秒 | ファンタジー
 いただき物のシーバスリーガルを一晩ゆっくり眺めてから、昨日、封を切った。久しぶりのウイスキーだ。昨年3月から、友人・知人との飲み会を完全自粛しているので、二次会のスナックでいつもの水割りを飲むこともなくなった。
 家ではこの十数年、ウイスキーを飲んでいない。昔々、洋酒類の関税が高かったころ、オールドパー、バランタイン、ジョニーウォーカー黒などは、信じられないだろうが一万円以下では買えなかった。家では国産の赤や黒のラベルを飲んでいた。それがガットだかウルグアイだかのお陰で、関税が下がったとたん、なんとスコッチの値段が半分以下になった。そのときは喜び勇んで飲んでみたが、それくらいの値段なら国産ウイスキーもたくさんあるわけで、なんだかスコッチを飲む張り合いがなくなってしまった。
 夜も更けて、ロックのシーバスリーガルを口に含むと、得も言われぬ芳醇な香りを放つ、とろけるような深い味わいの液体が染み渡った。コマーシャルみたいだが、それくらい久しぶりのウイスキーだった。
 ところで、私は古い時代のウイスキーの値段を知っているが、年齢は厳密に言うと70歳の古稀には達していない。なので、祝いの品としてシーバスリーガルをいただくには早すぎる。でも、美味かった。(2021.4.25)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

50年ぶりの大学

2021年04月10日 17時52分10秒 | ファンタジー
 あまり気持ちのよくないコロナ風が吹き止まずといった情勢なのに、私は今週からS大学(札幌市内)へ通い始めた。歴史文化専攻の科目履修生として。 今年の前半は、H教授(北海道平取(びらとり)町で萱野(かやの)茂(しげる)さんの助手をやっていた方)の 「アイヌ文化論」を週2回のペースで受講する予定。 
 先生に教室で挨拶したら、一目でわかったとのこと。本人は若いつもりでも、孫みたいな学生たちの中で老いを隠しおおせるわけがない。 
 H先生の名前は、ずいぶん前からアイヌの熊送り関係の本で知っていた。その本に出合ったおかげで、「龍」と「竜」字の二字がなぜ存在するのか、その答えに結びつくインスピレーションがわいた。ほんとうに昨日のことのようだ。 
 若いころの勉強は大して面白いものではなかったが、遅まきながら今は楽しくてしかたがないといった感じ。 無理せず、できるだけ長い期間、大学に通いたいと思う。キャンパスで若い人たちから頭を下げられるのは、何となく気まずいが、そのうち皆さんもわかるだろうな。  (2021.4.10)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3月のはな

2021年04月02日 19時51分10秒 | ファンタジー
 昨日、いっぺんに5冊の本が届いた。T書店、Rブックス、K書店オンラインストアから。

 そのうちの1冊「ある家族の会話」(ナタリア・ギンズブルグ 1985年白水社刊)について、翻訳者の須賀敦子は、「トリエステの坂道」(1995年 みすず書房刊)でこんなふうに紹介している。
「表紙カヴァーにエゴン・シーレの絵がついた美しいエイナウディ社の本で、そのころ(須賀敦子がミラノで暮らしていた30年前、年表によると1963年のこと)評判になっていた。第二次世界大戦に翻弄されながら、対ファシスト政府と対ドイツ軍へのレジスタンスをつらぬいたユダヤ人の家族と友人たちの物語が、はてしなく話し言葉に近い、一見、文体を無視したような、それでいて一分のすきもない見事な筆さばきだった。」
 また、「私のなかのナタリア・ギンズブルグ」(「ある家族の会話」あとがき)では、
「若い頃、ナタリア・ギンズブルグはいわゆる女性的な、感性だけにたよった文章を書くことをなによりも恐れていた。「男のように書かねばならない」とたえず自分に言いきかせていたギンズブルグは、できるだけ自分本来の感性から遠い文体で作品を書くことを自らに課した。そして長い遍歴の結果、人生のある円熟の季節に、ふとそれまで自らを縛りつけていた制限をすべて捨てて、最も自由な状態に自分を置いてみる。『ある家族の会話』は、そのような豊饒の時間に生まれた作品である。」と記している。
 いつころから読みだしたのだったろうか、1年以上も経ったような気がしている。河出書房新社版の「日本文学全集・須賀敦子集」500ページあまりを、昨晩、全ページ読了した。この本の巻末には、須賀の年譜がついている。1929(昭和4)年生まれ、1998(平成10)年帰天。享年六九。この年譜に何度目を通したことか。もっと長生きしてくれたら、と残念でならない。
 2冊目は、メルロ・ポンティの「精選シーニュ」(ちくま学芸文庫2020年)が最近発刊されたのを知り、全編入った本を現在の書庫に探したが、ない。実家を始末したとき廃棄したのだろう。
 3冊目、「カラヴァッジョ《聖マタイの召命》」(ちくまプリマ―新書2020年。「トリエステの坂道」所収の『ふるえる手』に、須賀が、ローマのサンタ・マリア教会で、カラヴァッジョの『マッテオの召出し』という絵を見たようすが載っている。これを読んでむしょうにカラヴァッジョの本を読んでみたくなった。
 4冊目は、「日本人の源流」(斎藤成也 2017年河出書房新社刊)で、つい先ごろ読んだ「日本人の誕生」に比べると、列島人の成り立ちに焦点を絞って記述しているので数倍おもしろい。
 5冊目、「あいたくてききたくて旅にでる」(小野和子 2019年PUMP QUAKES刊)。なんと紹介したらいいのだろう。この本にも年譜がある。もうすぐ90歳に手が届こうとしている宮城県在住の著者は、岐阜県で大戦を体験し、それを境にそれまでの拠りどころだった教科書の黒塗りを指示された経験をもつ。そして信ずべきものを無意識に求めていたとき、初めて民話の語りを聞き、心を奪われたのだった。
 須賀敦子「ミラノ 霧の風景」(1990年白水社刊)所収のウンベルト・サバのユリシーズという詩(須賀訳)を、全集本須賀敦子集の編者、池澤夏樹は須賀への哀惜の念を込めて、全集の巻末の解説に載せている。
「若いころ、わたしはダルマツィアの
 岸辺をわたりあるいた。餌をねらう鳥が
 たまさか止まるだけの岩礁は、ぬめる
 海草におおわれ、波間に見えかくれ、
 太陽にかがやいた。エメラルドのように
 うつくしく。潮が満ち、夜が岩を隠すと、
 風下の帆船たちは、沖あいに出た。夜の
 仕掛けた罠にかからぬように。今日、
 わたしの王国はあのノー・マンズ・ランド。
 港はだれか他人のために灯りをともし、
 わたしはひとり沖に出る。まだ逸(はや)る精神と、
 人生へのいたましい愛に、流され。」
 (2021.4.2)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする