先日書いたように、思いがけなくも猫画家ウェイン氏の本と出会ったことがきっかけで、何なのかな?、と積年私の頭の中にかかっていた「猫ぢゃ」のぼやぼやが一気に吹き払われた。こんなしびれるような快楽を一度でも経験すると、雑本の中の人物・歴史が次にどんな新事実をしゃべり出すか、気になって夜も眠れなくなる。だから本読みは止められない。ただし、度を過ぎて人のゴシップのあら探しみたいにならないよう気をつけよう。
彼ウェイン氏の描いた猫はひょうきんでほんとうに微笑ましい。絵は絵なのだろうが、マンガ・アニメまがいと言った方がぴったり。それに、歌川国芳の自由奔放な猫にどこか似通ったところがあるような気がする。着せ替え猫の一種?
決して彼の絵を評価しないのではない。もしも彼の猫絵がなければ、吾輩の主役キャラが猫でなく犬になったかも。そうではなく、ちと大げさだが、漱石自身、この作品自体を書こうという気持ちにならなかったかもしれないということだ。
こうしてみると、何の役に立っているか見当がつかないような身の回りの些細なものでも、心して大事にすべきであろう。なかでも、物をちまちま記録することで、己の人生の残余を使い果たそうとする者にとって、この世にある様々な物体の価値に軽重をつけることは法度である。(2015.9.1)