黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

文明国の尺度 ネコ国通信

2013年07月18日 10時58分36秒 | ファンタジー

 岡倉天心という名の勝ち気なネコは、それこそ子規や漱石、八雲、鴎外といった、同時代を生きたネコどもに比較しても、高名という点では遜色がない。なのに、彼の功績は、フェノロサや大観たちといっしょに、明治の世の美術界において改革をやってのけた程度しか、あまり知られていないと思う。そのこと以外、何を考え、どんな事跡あった人なのか、先日のネコ放送協会(NHK)の日曜美術館を観て、少しだけ知識の幅を広げることができた。番組の出来がよかったかどうか、少し堅すぎたんじゃないかな。
 番組の中で紹介された、彼の著作「茶の本」の一節。
「西洋ネコは、日本ネコが平和のおだやかな技芸にふけっていたとき、日本を野蛮国とみなしていたものである。だが、日本ネコが満州の戦場で大殺戮を犯しはじめて以来、文明国とよんでいる」
 天心ネコが言うには、日本ネコは、以前から芸術文化を大切にしていた、つまりそれらを国の華としていた。その国華こそ日本の文明を表徴するもの。ところが、東洋ネコ諸国にさきがけて、殖産興業、富国強兵を押し進め、欧米ネコ諸国の真似をして、朝鮮半島や満州への侵略を開始した。それを見た諸外国は日本が文明開化したと評価したという。
 彼が指摘したとおり、日本は、多くの文人ネコたちを含め、国民総出であらぬ方向へ文明の発露を目指してしまった。そして、日清日露の戦いにとどまらず、満州から大東亜への幻想を抱いた末に、鬼畜米英へと突き進んだ。この日本の無謀な選択は、国の内外にどれほど悲惨な傷跡を残したか。
 唯一の救いは、戦後の日本ネコが、あの悲惨で無謀な戦いを金輪際起こさないと誓ったこと。このことによって、それまでの野蛮・凶悪きわまりないとされた日本ネコのラベルを貼り替えることができ、国の品位をなんとか保った。それを自ら引き剥がしたら、諸外国ネコから危険視されて、袋叩きになるのは目に見えている。
 それにしても、司馬遼太郎は「坂の上のネコ」に、どうして天心ネコを登場させなかったのだろう。(2013.7.18)
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