黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

はなの毛皮の中身と

2013年02月19日 10時57分47秒 | ファンタジー

 今まさにIPS細胞を使った医療が始まろうとしている。まったくの素人が、IPS細胞について素朴な疑問をひとつ。
 猫の毛皮の模様にはひとつとして同じものはない。もちろん人の姿形もそうだ。当たり前だが、遺伝子がまったく同じかと思うくらい外形がよく似た双子でさえ、寸部も違わぬ生命体なのではない。今、IPS細胞を培養して、卵子や精子の元となる生殖細胞を作り出せることが話題になっている。すでにヒトの細胞で。これはとんでもない大逆転の発見なのだ。評論家立花隆氏の言では、光より早く飛ぶ物質を発見する前に、生物学的タイムマシンが作られてしまった。突き詰めると、生物発生前の世界に、ヒトは帰還できるかもしれない。
 ここで疑問。自然界ではあり得ないのだが、同一のIPS細胞によって作られた細胞というのは、同一のDNAを持つまったく同じ生体になるのだろうか?
 仮にそういう複数の同じ生命体に遭遇したら、何と感想を述べたらいいのだろう。もっと有り体に言うと、他人だったらまだいいが、我と同じ我にあちこちで出くわしたり、我と区別できない生命体が我の周囲に浮遊していたりといった世界をイメージするのは、はなはだ気持ちが悪い。
 ところで、我は我であると認識できるのは、やはり意識によるところが大きいのだと思う。意識がなければ、肉体は夢も見ない昏睡状態になったようにピクリとも動かない。すると意識とは、目覚めているとき肉体に宿り、昏睡のとき無になっているのだろうか。そんな重要な働きをしているのに、その意識は単体の状態では存在が確かめられず、肉体と一体のときのみ姿を現す。微生物にも意識があるのだろうか? こんなアホなことさえおおっぴらに言えるくらい、意識とは何だろうね、という疑問は、思想哲学、心理学、宗教、歴史、政治体制が違う古今東西の人々の間で、あまねく共有されてきた。そして未だにぜんぜん解明されていない難解な問題なのだ。
 IPSからどんどん離れていくが、この意識がどうなっているのかという問題は、ほとんどのヒトは、あんたとおれが違うのは当たり前じゃないの、と議論を終わらせようとする。しかし、現時点だけでも何十億人分もあるヒトの我の違いは、その数だけある意識によって個別に認識されている、という事実を前にしたとき、これだけの数の意識があることに感極まるのは、私の意識に問題があるからなのだろうか。なかでも、自分の我と、自分以外の我とを司る意識の違いはどうして醸成されたのか?という疑問を持つことは、ひじょうに重要なことだと思っている。なぜなら、ヒトは、個の意識がなければヒトにはなれないから。科学はこれに明快な回答を得る前に、生命を作り出そうとしている。単なる手続の順番をやり繰りしただけで、それを間違った行為とまで言い切れないのだろうか。
 東洋思想では、個々の意識が大宇宙から発生し、最後に溶け込んでいくメカニズムを経験的に説いているものがあるそうだ。最新の脳科学でも、ヒトの個の意識はそれほど昔から存在するものではなく、今でも、高次霊長類(ヒトはみなここに分類されている?)以外の動物の意識は、あまり個というものを持っていない、つまり自然の一部という感覚に近いと思った方がいいとする説が唱えられている。個は個のように見えて個ではなく、自然の力によってゆっくり醸成されて、未だに未完成のもの、というのは、私にとって耳慣れしたきわめてわかりやすい回答だ。
 とすれば、高次霊長類になり切れていない私なら、実験的に自らのDNAを放棄して、真っさらなIPS細胞と入れ替わり、まったく異なる生命体になれるような気がする。手始めに、はなの毛皮の中身とチェンジしたら、意識はどんな我を認識するのだろう。(2013.2.19)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする