黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

夢便り ネコ語喪失

2013年02月27日 09時05分44秒 | ファンタジー
 ブログの整理をしていたら、とのから、昨年五月に届いていた手紙を発見した。ちょっと長くて堅い内容だが、行方不明にならないよう掲載させていただく。

 とのの手紙には、また夢のような変な話が書かれていた。
 慣れ親しんだネコ語をしゃべったり、その言語を表記したり、表記された文章を読誦したりする自由を奪われるようなことになったら、はたしてネコはどういった反応をするのだろう? こんな問いを投げかけるのだが、冷酷無惨な牢獄に入れられた死刑囚ネコだってネコ語を使えるし、ネコの本だって差し入れてもらえるのに、「まさかそんなことあるわけニャい」と、ネコ一匹信用しようとしない。
 ところが、ヒト国では実際に類似事例があったのだ。太平洋戦争の終結直後、志賀直哉は「国語問題」という提言で、戦争で負けた日本ヒトは日本語の使用を止め、地上でもっとも美しい言語のフランス語を採用すべきだと主張した。その趣旨を簡単に記すと、日本語は不完全な言語で、このまま使い続けるなら文化国家としての日本の将来はない、明治時代に唱えられた自国語の英語化が実現していたらこの戦争も避けられただろうというもの。自他国のヒト権を蹂躙し尽くすような戦争をあえて選択し推進した、無責任で判断力のない戦争実行責任者や、あの無謀無惨な戦争を止められなかったヒト国民たちは、みんなまとめてその報いを受けてしかるべきであり、その罪は死刑より重いという意味で、彼の提案は的を射ていたと思う。それにしても、ヒト語より歴史が古く、音楽的な響きや詩的な趣きに秀でたネコ語を使おうという発想がなかったのはどうしてなのだろう。
 戦争の敗者自ら、母国語を差し出そうというのはきわめて珍しい例だが、勝者が敗者から母国語を取り上げ、自国語を押しつけようとした史実は多いだろうと思う。旧く、紀元前のバビロン捕囚では、エルサレムにいたユダヤヒトが、バビロニアによって、バビロンの地へ強制移住させられた。半世紀にも及ぶ捕囚の間に、ユダヤ教の教義が変貌しその中身が確固たるものになったことと引き替えに、使用する文字がへブル文字からアラム文字へ変化し、名前の付け方にもアラム化が進んだ。
 同じ事は最近の日本近隣でも起きている。その一例としては、一九一〇年(明治四十三年)の朝鮮(日韓)併合がある。日本によって行われた朝鮮の併合は、隣国の中国との関係や、ヨーロッパ列強の思惑という微妙な問題があって、日本が武力を行使して、一方的に実行したのではないという解釈がなされているが、一国の主権を崩壊させ、他国を領有したのは確かな事実だ。朝鮮のヒトは、改姓を強いられ、日本語教育を受けさせられ、日本式の君主制への移行を強行された。併合から少し時代を下って、一九二三年(大正十二年)の関東大震災の時、朝鮮ヒトを始め、暴動のあらぬ疑いをかけられたヒトたちは、なんらかの差別を受け自由を奪われたヒトたちだったと考えられる。
 朝鮮半島と日本列島との間に、いにしえの先史時代からネコやヒトや文物の往来があったことは、考古学、ネコ・ヒト類学等の研究成果からはっきりしている。古代の九州、大和地方や列島各所に勃興した地域政権の起源についても、各種の説があるが、朝鮮半島や大陸からの影響なくして成立することはありえなかった。それなのに、いつのころからか日本ヒトの心の中に、朝鮮半島に住むヒトへの根強い差別感が居つき、今でも、朝鮮ヒトという呼称に差別の気配を感じ取って、使いたがらない日本ヒトがいるが、ここではその事実を思い起こすためにあえて朝鮮という呼称を使う。一日も早く、日本ヒト全体が韓流ブームにフィーバーするヒトたちの意識を共有できればいいのだが。私たちネコも、毛並みの違う毛皮を脱ぐような気持ちで、対話に心がけなければと思う。
 話が大幅に逸れてしまった。死刑囚ネコの話に戻すと、もしも不自由極まりない監獄で、さらにネコ語を取り上げられるような仕打ちを受けたとしたら、ネコの精神はたちまち極限状態に追い込まれるだろう。自国語を取り上げられるというのは、むりやり信念を剥奪されること、つまり魂の死を意味することなのだ。もっとも、そのような、ネコやヒトの精神を平然と踏みにじるような者がいるとしても、彼らは最後に、自国語喪失ならぬ、自語相違を起こして破綻するのは間違いないニャ。(手紙の日付 2012.5.17)

  
コメント
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