BIN山本の『映画にも程がある』

好きな古本との出会いと別れのエピソード、映画やテレビ、社会一般への痛烈なかくかくしかじか・・・

不 憫

2018年02月25日 | 映画
世間はスポーツ大会で騒がしい。こんな時は外出してみたいものを観に出かけるに限る。IOCの汚い金まみれ
大会に涙など流す場合じゃないのだ。
先ずは近代美術館「棟方志功展」65才以上だと1100円だった。アタシはいつも財布に更新した以前の運転免
許証を入れてあるのでそれを提示。平日なのに入場者が多い。年配のご婦人たちの割合が多いのは、年配の男ども
は家でテレビでも見ているからだろうか。
版画ではなく板画と志功さんはそう表現したようだ。わだばゴッホになると言ったそうだが、むしろ晩年はピカソ
の影響的作風がみてとれる。ロビーには数十万円から一千万円近い作品が十数点販売されていたが、そこでみてひ
ょいと買う人などいるのだろうか。
まあしかし、温度と湿度が管理されていて、ああいうところで展示される作品は幸福なことだと、ふとわが博物館
の寒さに震える機材たちの不憫さを想う。絵画的美術品と映像機材を比較してもしょうがないのだが、表に直接で
る芸術作品と芸術作品を生み出すであろう裏方の機材ではその晩年において大きな差が出る。かたや時間経って値
が上がったりするが、こちらは下手すると産業廃棄物だ。新品の時の金額なら機材だって負けていないのだが(笑)

近美を出て駅のシネコンまで歩いた。多分1,5キロくらいだ。道路はことごとく雪道で転ぶのが嫌でつい腰をかが
めてゆっくりバランスをとって歩く。するとほぼこれは老人の歩き方で、まるでジジィになった気分だ。歳をとった
ことは認めるが、まだアタシはジジィじゃないのだぞ。雪道でなければ背筋をキッーとのばし、普通の速度で歩ける。
途中でおにぎりが美味しい「ありんこ」で昼飯でもと思ったが、移転してそこは本部事務所になっていた。しょうが
ないので札駅内にあるコンビニでおにぎり2個とお茶を買う。近くに無料の休憩所があるのでもぐもぐタイム。しかし
これもなんだか老人くさくて、笑える。若者がたむろする飲食店などはもはや入りずらいのだわ。

して観たのはマーティン・マクドナー監督「スリー・ビルボード」。ここのシネコンは上映が始まると全てのチラシ
を撤去してしまうので、嫌いなのだがしょうがない。あとで諸々調べようにもそれが紙で出来ないのが困る。
米アカデミー賞にノミネートされ前評判がいいようだが、アタシにはそれほどでも。娘がレイプされ焼き殺された。
犯人らしき若者(白人)が酒場でそのことを吹聴するのを、黒人差別主義のポリスが聞いた。母親と差別が基でクビ
になったその元ポリス、車に銃を積んで違う州に住む吹聴男の復讐へと(?)母親と走るのだが、行ってどうする。
犯人とDNAが違うとされて真犯人とは言い難いのだ。映画はそこで終わる。だがその後の展開をちゃんとみせろよ。
その後をどうしたのかということを、監督は投げだした。そのことを観客に考えさせるというより、その後に起こっ
たであろう出来事を観客にみせ、さあどうなんだと、そのコトを観客に考えさせる。そこを描いてこそこの作品はも
っと深いものになったに違いない。

観劇などした半券を手帳に貼り付けるのだが、2月はもうスペースがない。「志功展」の裏には「ミッドナイト・バス」
が貼ってある。あとは3月としょう。

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