帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第八 恋下 (三百十七)(三百十八)

2015-07-25 00:23:19 | 古典

           


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任撰「拾遺抄」を、公任の教示した「優れた歌の定義」に従って紐解いている。新撰髄脳に「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」とある。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

清少納言は枕草子で、女の言葉(和歌など言葉)も聞き耳(聞く耳によって意味の)異なるものであるという。藤原俊成古来風躰抄に「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」とある。この言語観に従った。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような、今では定着してしまった国文学的解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。和歌は「秘伝」となって埋もれその真髄は朽ち果てている。蘇らせるには、平安時代の歌論と言語観に帰ることである。


 

拾遺抄 巻第八 恋下 七十四首

 

(題不知)                        読人不知

三百十七 わびぬればいまはたおなじなにはなる みをつくしてもあはむとぞおもふ

題しらず                       (よみ人しらず・男の歌として聞く)

(恋に・苦しくつらくなった、今、それでもやはり、どちらにしても・同じこと、難波なるみをつ串・難所にある我が身を尽くし、そうしてでも、あの人に・逢おうと思う……身も・苦しく辛くなってしまった、今さら、どうなっても同じ、退いて・何は成る、身を、尽くしても合おうと思う)

 

言の心と言の戯れ

「わびぬれ…(恋に)わびぬる…苦しくつらくなってしまった」「ぬ…完了した意を表す」「はた…それでもやはり…上の意をひるがえす意を表す」「おなじ…(どちらにしても)同じこと…(どうなっても)同じ」「なにはなる…難波津にある…難所にある…何はなる?」「みをつくし…澪…水をつ串…身を尽くし…身が尽き果てるまで」「あはむ…逢おう…恋を成就しよう…合おう…和合しよう」

 

歌の清げな姿は、恋してはならない人を恋してしまったらしい男の苦悩、我が身を省みない破滅型の決心。

心におかしきところは、苦しく辛い情況になっても、合うために、なおも奮起しようとするおとこの心根。

 

此の歌、「後撰集」恋五に「事いできて後、京極御息所につかはしける、元良親王」として既にある。詠み人も作歌事情も、誰でも知っている。それらを抜きにして、公任は、歌そのものと対峙したのだろう。やはり優れた歌だったのだ。百人一首に撰んだ藤原定家は、この歌の「心におかしきところ」を承知していたに違いない。

 

 

(題不知)                      坂上郎女

三百十八 しほみてばいりぬるいその草なれや みらくすくなくこふらくのおほき

         (題しらず)                    (大伴坂上郎女・大伴家持の叔母)

(潮満てば、わたしは海中に・入ってしまう磯の草なのか、君の顔・見ること少なく、恋することの多いことよ……肢お満ちて、我が中に・入った、それ・磯のなよなよした草なのか、覯少なく乞うことが多い)

 

言の心と言の戯れ

「しほ…潮…肢ほ…子お…おとこ」「ほ…お」「みてば…満てば…満潮になれば…充実すれば」「いりぬる…入りぬる…入ってしまう…入り濡る…入り微温…入り生ぬるい」「いそ…磯…浜などと共に、言の心は女」「草…海草…海藻…草の言の心は女…なよなよとしている」「や…疑問を表す…詠嘆を表す」「みらく…見らく…見ること」「見…お目にかかること…覯…媾…まぐあい」「らく…動詞などを名詞化する詞」「こふらく…恋うこと…乞うこと」

 

歌の清げな姿は、縁遠い人を恋いしたか、出遭う事さえ少ない恋い。

心におかしきところは、そのもどかしさの比喩か、添えられた情感か、尽きたおとこのわが中に有るありさま。

 

万葉集 巻第七 譬喩歌「寄藻」、よみ人しらず。

 

塩満者 入流磯之 草有哉 見良久少 恋良久乃太寸

(しほ満てば入りぬる磯の草なれや 見らく少なく恋ふらくのおおき……しお満ちれば、入り流る、井その、うみ藻で有るか、覯少なく、恋うことの太き)

 

「しほ」「磯」「草・藻」「見」は上の歌と同じく戯れている。「太…とっても大きい…太い…多いという意味ではない」「寸…すん…き…一寸…ものの直経か」

既に、万葉集の歌の言葉は、俊成の言うように浮言綺語の戯れのように戯れている。「歌の様」は公任の言う「心におかしきところ」が添えられてある。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。


帯とけの拾遺抄 巻第八 恋下 (三百十五)(三百十六)

2015-07-24 00:08:19 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任撰「拾遺抄」を、公任の教示した「優れた歌の定義」に従って紐解いている。新撰髄脳に「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」とある。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

清少納言は枕草子で、女の言葉(和歌など言葉)も聞き耳(聞く耳によって意味の)異なるものであるという。藤原俊成古来風躰抄に「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」とある。この言語観に従った。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような、今では定着してしまった国文学的解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。和歌は「秘伝」となって埋もれその真髄は朽ち果てている。蘇らせるには、平安時代の歌論と言語観に帰ることである。


 

拾遺抄 巻第八 恋下 七十四首

 

題不知                          読人も

三百十五 我がごとや雲のなかにもおもふらむ あめもなみだもふりにこそふれ

          題しらず      (よみ人も・男の歌として聞く・拾遺集では人麿)

(恋する・我と同じ如きか、天は・雲の中でも、人々を・思っているのだろう、雨も涙も降り頻る……その時の・我と同じ如きか、心雲の中にも、もの思うのだろう、おとこ雨も、汝身唾も、振りにこそ降る)

 

言の心と言の戯れ

「ごとや…如くや…同じようなのか」「雲…天の雲…心の雲…心のもやもや…広くは煩悩」「おもふ…思う…(恋しく)思う…もの思う…感の極みを思う」「あめ…雨…男雨…おとこ雨」「なみだ…目の涙…汝身唾」「ふりにこそふれ…降りしきる…振りにこそ降る」「ふる…(袖など)振る…振動させる…(雨など)降る……経る…古…古びる」

 

歌の清げな姿は、天は雲の中より人々の生きざまを思って涙雨を降らす。恋に嘆く我のように。

心におかしきところは、我は、心雲の中で、時のおとこ汝身唾の雨を振り降らし、古びる。

 

歌体から、直感的に人麻呂の歌と思える。

 

「伊勢集」巻上に同じ歌がある。次のように聞くのだろう。

(恋する・わたしと同じようね、天は・雲の中でも、人々を・思っているのでしょう、雨も涙もしきりに降る……もの思う・わたしと同じようね、男は・心雲の中にも、もの思うのでしょう、お雨も汝身唾も、振り降りかかる)

 

  詠み人は、人麻呂か伊勢か、公任は「よみ人しらず」とした。誰が作者であろうと、歌の真髄を感じることができれば、それでいい。

 

 

                                    大伴かたみ

三百十六 いそのかみふるともあめにさはらめや あはんといもにいひてしものを

(題しらず)                    (大伴方見・大伴宿祢像見・万葉集に歌がある)

(石上布留、降っても雨のために支障はないだろうか、今日・逢おうと愛しい人に言ったのに……石の上・我が古妻、零しても、おとこ雨にさし障るだろうかな、和合しょうと、愛しい妻に言ったのだがなあ)

 

言の心と言の戯れ

「いそのかみ…石上布留…地名…名は戯れる。女の上、布留から古を連想する、古妻」「いし(石)・いそ(磯)・かみ(上・神)の言の心は女」「あめ…雨…おとこ雨」「に…によって…のために」「さはらめや…支障になるだろうか…さし障りになるだろうか」「あはん…逢おう…合おう…和合しよう」「ものを…のに…のだから…のになあ…のだがなあ」

 

歌の清げな姿は、雨が降っても何が起こっても、心配するのは愛しい女のことばかり。男の純真な恋心。

心におかしきところは、和合を契った古妻への心遣い、お伺い、このおとこやましいことをしたらしい。

 

歌の表と裏の色模様の違いに、何とも言えない味わいがある。

 


  本歌は、万葉集巻第四 「相聞」に「大伴宿祢像見歌一首」とある。


石上 零十方雨二 将關哉 妹似相武登 言義之鬼尾

(石上、こぼれてはいるが、雨に阻止されるかな、吾妹に逢おうと言ったのに……いそのかみ・わが古妻、こぼれるお雨に止められるだろうかな、愛しい妻に、相和合するぞと・一緒に山ばに登ると、言ったのだが)

 

 「零…こぼす…降らしたのではない」「關…関所、難関の関にほぼ同じ…阻止…妨げ…支障」


 
 
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。


帯とけの拾遺抄 巻第八 恋下 (三百十三)(三百十四)

2015-07-23 00:16:26 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任撰「拾遺抄」を、公任の教示した「優れた歌の定義」に従って紐解いている。新撰髄脳に「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」とある。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

清少納言は枕草子で、女の言葉(和歌など言葉)も聞き耳(聞く耳によって意味の)異なるものであるという。藤原俊成古来風躰抄に「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」とある。この言語観に従った。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような、今では定着してしまった国文学的解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。和歌は「秘伝」となって埋もれその真髄は朽ち果てている。蘇らせるには、平安時代の歌論と言語観に帰ることである。


 

拾遺抄 巻第八 恋下 七十四首

 

万葉集の和せる歌の中                   したがふ

三百十三 なみだかはそでのみくづとなりはてて 恋しきせぜにながれこそすれ

万葉集に和した歌の中の一首  (源順・後撰集撰者、万葉集の訓読に携わった一人)

(哀しい恋の・涙川、濡れた・袖のみ、屑となり果てて、恋しき瀬々に流れゆくことよ……かなしい乞いの・汝身唾かは、端の身、朽つとなり果てて、恋しき背々に、流れることよ)

 

言の心と言の戯れ

「なみだかは…涙川…涙かは…汝身唾かは」「川…女…多くの女の涙…かは…なのか…疑問を表す」「そでのみ…袖だけ…端の身…身の端…おんな」「くづ…屑…水屑…藻屑…役立たぬもの…くつ…朽ちる…むなしくなる」「せぜ…瀬々…あちこちの川瀬…多くの背々…それぞれの背の君」「背…(主に女性から見て)親しい男性を呼ぶ言葉…色背…わが夫」「なかれこそすれ…流れることよ…泣かれこそする」

 

歌の清げな姿は、万葉集の哀しき恋歌に、同情の涙が袖朽ちるほど流れる。

心におかしきところは、女の・なみだかは、背の君達に流れることよ。

 

二百八十八の歌でも述べたことを繰り返すと、

万葉集を一読すれば、何だかもの悲しい。挽歌が多い所為だけではなく、恋歌でさえ、愛するものと引き離される苦しみに、恋や愛が表現されてある。七夕の歌、防人の歌もそうである。人麻呂の歌も、石見国より妻と別れて上り来る歌に始まる。その長歌の最後には、妻の家の門が見えない、わが振る袖を妻は見ているか、「靡け、此の山」とある、愛するものと引き離される若き人麻呂の、激しい怒りさえ感じる。

万葉集のよみ人しらずの歌群も、柿本人麻呂歌集出の歌々に、右へ習えするように置かれてある。「万葉集に和し侍る」とは、人麻呂を始めとする万葉集の歌の底辺に流れる心に和する(親しむ・加わる・合わせる)ということだろう。

 

以下は憶測を含む。壬申の乱のとき離散し、石見の国に逃れていた若き文人、人麻呂は、大和に新しく作られた都の宮廷に召された。各地より、音楽の人・舞人・采女らも召し集められただろう。それぞれ、愛する者と離れて。人麻呂は宮廷歌人として華々しい活躍をした。

万葉集の恋歌の主題は、恋し合う者が引き離される、愛別離苦にある。久しい年月が経って、晩年、なぜか、人麻呂は石見の国に帰って来た、なぜなのか、若き日に別れた妻に逢う事なく、「鴨山の岩を枕にねむる、我をなあ、何も・知らずに、愛しい妻は待っているだろう」と「在石見国臨死時自傷歌」を残して死ぬ。

それを知らされた「柿本朝臣人麻呂死時妻依羅娘子」の作る歌が次に置かれてある。人麻呂が翁となっていたならば、「よさみのおとめ」と言うより依羅郎女と言うべきか。万葉集巻第二「挽歌」にある。

 

且今日且今日 吾待君者 石水之 貝尓交而 有登不言八方

(けふけふと、吾が待つ君は、石川の貝に交じりて、有りと言はずやも……帰る日を・今日か又今日かと、わたしが待つ君は、その辺のありふれた女の貝に交じわって居るよ、と言っておくれ、いや言わないでおくれ・あゝ聞きたくない)


 言の心と言の戯れ

「石水…石川…何処にでもある川の名」「石・水・川…言の心は女」「貝…言の心はおんな」「交…覯…媾…まぐあい」「有…居る…在る…健在」「いはめやも…詠嘆を含む反語…言ってくれ、いや、言わないでくれ…言わないでくれ、いや、言ってくれ」


  これは究極の恋歌だろう。万葉集の恋歌はこれが発端である。

 

 

五月夏至日に、けさうしてひさしく成り侍るに、をんなの、このよをばうたがひ

なくおもひたゆみてものいひ侍りけるほどに、しきさまに成り侍りにければ、こ

のをんないみじくうらみわびてのちにさらにあはじといひ侍りければ   能宣

三百十四 あすしらぬいのちなれどもうらみおかん このよにのみはやましと思へば

五月夏至の日に、想いを懸けて(化粧して)久しくなったので、女が、この男女の仲をば、疑うことなく油断して言葉を交わすほどに、醜き様になったので、(暑い短夜の夏至なので逢わないと)、女、ひどく恨んで、つらく心細いと言った後に、もう逢わないつもりねと言ったので、(大中臣能宣・後撰集撰者)

(明日知らぬ、恋の・命だけれども、恨みごとを言い置くのだろう、男女の仲・この世だけで止めない来世も、と思えばかな……明日知れぬ、わが貴身の・命だけれども、恨みごと言い置くよ、この夏至の夜にだけは、止めだと思うだけなので)

 

言の心と言の戯れ

「けさうしてひさしく…懸想して久しく…化粧して久しく」「しきさま…醜き様…化粧もせずみにくい様子」。

「あすしらぬ…明日知らぬ…無常の」「命…人の命…恋仲の命…男のものの命」「うらみ…恨みに思う事…恨み言」「このよ…この世…此の男女の仲…此の夜(夏至の夜・短い夜・暑苦しくてうんざりする夜)」

 

歌の清げな姿は、恋の終わりか、中だるみか、口きくのもいいかげになった男女の仲。恋も無常。

心におかしきところは、そんな仲の夏至の夜は止めとくと思う男の勝手。化粧もせず来世まで合い続けるつもりの女の勝手。

 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。


帯とけの拾遺抄 巻第八 恋下 (三百十一)(三百十二)

2015-07-22 00:13:14 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任撰「拾遺抄」を、公任の教示した「優れた歌の定義」に従って紐解いている。新撰髄脳に「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」とある。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

清少納言は枕草子で、女の言葉(和歌など言葉)も聞き耳(聞く耳によって意味の)異なるものであるという。藤原俊成古来風躰抄に「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」とある。この言語観に従った。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような、今では定着してしまった国文学的解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。和歌は「秘伝」となって埋もれその真髄は朽ち果てている。蘇らせるには、平安時代の歌論と言語観に帰ることである。


 

拾遺抄 巻第八 恋下 七十四首

 

題不知                      読人不知

三百十一 たもとよりおつるなみだはみちのくの 衣かはとぞいふべかりける

題しらず                    (よみ人しらず・女の歌として聞く)

(君恋し・袂より落ちる涙は、陸奥の衣川と言えるでしょうよ、あゝ……貴身こいし・手もとのものより、落ちる汝身唾は、路の奥の心と身の川と、言っていいでしょうよ)

 

言の心と言の戯れ

「たもと…袂…手許…手許の物」「なみだ…涙…目の涙…身のなみだ…汝身唾」「みちのく…陸奥…地名…名は戯れる。道の奥、路の奥、未知の奥」「路…女…おんな」「奥…女…おんな」「衣…心身の喚喩…身と心」「かは…川…女…だろうか…疑問を表す」「とぞ…とが受ける内容を強調」「いふべかり…いうべきである…言うことができる…言えるに違いない…言っていいでしょう」「ける…けり…気付き・詠嘆の意を表す」

 

歌の清げな姿は、君恋しく哀しくて、流す涙の川を、衣川と名付けたわ。

心におかしきところは、こいしくて、みちの奥より落ちるなみだの川を、身と心の川と名付けました。

 

此の、こい歌は、背の君を強烈に誘引する力がある。早速、黒駒で馳せ参じることだろう。

 

 

(題不知)                       つらゆき

 三百十二 なみだがはいづるみなかみはやければ せきやかねつるそでのしがらみ

(題しらず)                     (つらゆき・紀貫之・古今和歌集撰者・土佐日記著者)

(恋の・涙川、出でる上流、速いので堰き止めかねたか、袖のしがらみ柵よ……汝身唾かは、出でる女の上、激しくて、堰止められなかったか、端の・女の下の、肢からみあい)

 

言の心と言の戯れ

「なみだかは…涙川…涙かは…汝身唾川」「いづる…出でる…出てしまう」「みなかみ…水上…上流…女の上」「水…言の心は女」「はやければ…速いので…激しいので…強烈なので」「かねつる…(堰き止める事が)難しかった…できなかった」「そで…袖…端…身の下端」「しがらみ…柵…川に杭を打って設けられた竹を編んだ柵…物の名は戯れる。肢絡み、まとわりつき、しがみつき」

 

歌の清げな姿は、恋の涙川か、激流なので堰止められないな、袖のしがらみ()

心におかしきところは、なみだかは、い出る身の上激しくて、せき止められないか肢絡み。

 

五月雨の候、しがらみを溢れる川の激流を描いた屏風絵に、貫之が書き付けた歌とすれば、寝室の屏風に、誰もが欲しいと思うことだろう。


 同じ恋歌でも上の歌と此の歌とは、歌の効用が違う。それぞれの効用で優れた歌だろう

 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。


帯とけの拾遺抄 巻第八 恋下 (三百九)(三百十)

2015-07-21 02:30:01 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任撰「拾遺抄」を、公任の教示した「優れた歌の定義」に従って紐解いている。新撰髄脳に「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」とある。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

清少納言は枕草子で、女の言葉(和歌など言葉)も聞き耳(聞く耳によって意味の)異なるものであるという。藤原俊成古来風躰抄に「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」とある。この言語観に従った。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような、今では定着してしまった国文学的解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。和歌は「秘伝」となって埋もれその真髄は朽ち果てている。蘇らせるには、平安時代の歌論と言語観に帰ることである。


 

拾遺抄 巻第八 恋下 七十四首

 

(題不知)                      (読人不知)

三百九 風さむみこゑよわり行くむしよりも いはでものおもふわれぞまされる

(題しらず)                     (よみ人しらず・女の歌として聞く)

(風が寒くて、声弱りゆく秋の虫よりも、もの言わずに、もの思いする我ぞ、哀しさ・勝っている……心風が寒くて、小枝弱り逝く、飽き果てた武肢よりも、もの言わずもの思うわたしは、哀しさ・増している)

 

言の心と言の戯れ

「風…初冬の風…心に吹く冷たい風」「さむみ…寒いので…(心に吹く風が)冷たいので」「こゑ…声…虫の鳴き声…小枝…おとこ」「よわり行く…弱まって行く…弱り逝く」「むし…虫…秋の虫…武肢…武子…強かったおとこ」「いはでものおもふ…忍びつつもの思う…無言で言い難き事を思う…泣くことなくもの思う」「まされる…勝っている…増している」

 

歌の清げな姿は、初冬となれば、もの哀しい秋の虫の声、衰えゆく、もの思いする我は誰よりも哀しい。

心におかしきところは、飽き果てて小枝衰えゆくときの、女の心情。

 

 

天暦御時承香殿の前をうへのわたらせたまひてことかたへおはしましけければ

奏して侍りける                        徽子女御

三百十 かつ見つつかげはなれ行く水の  おもにかくかずならぬみをいかにせん

天暦の御時、承香殿の前を主上がお渡りになられて、違う方へいらっしゃったので、奏上された  (徽子女御・斎宮女御、徽子女王とも称される、もと伊勢の斎宮で入内は二十歳。身分と年齢は最高位)

(お見かけすると同時に、かけ離れ行く、水の面に書く数のうちにも入らない女の身を、どうすればいいのでしょう……且つ見つつ、おかげ、離れゆく、女の顔に、斯く数の内にも入らない身を、どうしましょう)

 

言の心と言の戯れ

「かつ見つつ…今日こそは今日こそはと見ながら…次々と見ながら」「見…目で見ること…覯…媾」「かげ…影…お姿…お蔭…陰…おとこ」「はなれ行く…離れ行く…端熟れ逝…ものがよれよれになってゆく」「は…身の端…陰」「水…言の心は女」「おも…表面…水面…顔…容貌」「に…場所・原因・理由などを表す他、多様な意味を表す言葉」「かく…書く…記す…斯く…このように」「数…寵愛される女の数…顔の好い女の数」「み…身…身の上…身体」「いかにせん…どうしたらいいのでしょうか…疑問…どうすればいいの、どうしょうもない…反語」

 

歌の清げな姿は、寵愛の移り行く女御の悲哀。

心におかしきところは、かけ離れゆく原因理由は、女の数にも入らなくなった容貌の衰え、如何ともしがたいという自覚。

 

歌言葉の戯れに心根が顕れるように詠まれてある、これが「歌の様」ある。「水」の「言の心」を女と心得える人には、歌の裏の形相が見えるだろう。「歌の様を知り、言の心を得たらむ人は、大空の月を見るが如くに、いにしへを仰ぎて今を恋ざらめかも」これは、紀貫之の言葉である。「歌の表現様式を知り、言の心を心得よ」と教えている。

 

余計な事だけれども、言わねばならない。国文学は「ことの心」を「事の心」と決めつけ、「大空の」などと、余計な飾り言葉のある意味のよく伝わらない文章にしてしまった。「月」の言の心を「月人壮子(万葉集の歌語)…おとこ」と心得る人達には、「大空の」は必要なのである。なければ「おとこ」を仰ぎ見ろと言われてもねえ、と笑いの種になるだろう。


 

「歌の様」と「言の心」について、古今和歌集巻第一 春歌上の二首目にある貫之の歌で確認してみる。

 

春たちける日よめる              紀貫之

袖ひじてむすびし水のこほれるを 春立けふの風やとくらむ

(袖濡れて手で掬った水が、今は・氷っているのを、春立つ今日の風は解かすだろうか……身の端濡れて結んだ女が、硬く冷たくこほるのを・心に春を迎えていないのを、春立つ京の心風は解かすだろうか)

 

言の心と言の戯れ

「袖…そで…衣の端…身の端」「むすびし…(手で)掬った…(ちぎり)結んだ」「水…言の心は女」「こほれる…氷っている…硬く冷たい…こ掘る…まぐあう」「春立つ…立春…春の情立つ…張る立つ」「けふ…今日…京…山ばの頂上…感の極み」「風…心に吹く風…春情の風」


  立春の日の景色は歌の清げな姿である。「言の心」を心得ると、貫之の青春の日の或る情感を詠んだ歌と聞くことができる。

 

 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。