帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第七 恋上 (二百九十八)(二百九十九)

2015-07-14 00:12:17 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任の撰んだ優れた歌の集「拾遺抄」を、公任の教示した優れた歌の定義「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」(新撰髄脳)に従って紐解いている。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

歌の言葉については、清少納言枕草子女の言葉(和歌など)も、聞き耳(によって意味の)異なるものである」と、藤原俊成古来風体躰抄「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」に学んだ。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような江戸時代以来定着してしまった解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。


 

拾遺抄 巻第七 恋上 六十五首

 

(題不知)                      読人不知

二百九十八 はるかなるほどにもかよふこころかな さりとてひとのしらじものゆゑ

(題しらず) (よみ人しらず・女の歌として聞く・拾遺集では伊勢)

(遥かな程にも・時空も身分も超えて、通じる恋の心だことよ、それにしても、わたしの思いを・あの人が知らないのに……遥か離れた、ほと、にも通い合う乞い求める情よねえ、そうはいっても、あの人が感知しないようだから・どうなっているの)

 

言の心と言の戯れ

「はるかなる…時や所が遠く離れた…身分が遠く離れた」「ほど…程…時間…距離…ほと…お・門…おとこ・おんな」「かよふ…歌に詠まれた、恋い乞う心、性愛の情緒などは、何百年経とうとも、心に通う、身にしみる」「かな…感動の意を表す」「さりとて…だからと言って…そうであっても」「ひとのしらじものゆゑ…あの人が、わが思いを知らないのに・どうしたことよ」「ものゆゑ…のに…ものだから」

 

歌の清げな姿は、忍ぶ恋。お相手など作歌事情は何もわからないが、此の思い通じて欲しいという女の心は、一千年以上を隔てた、他人にも通じる。

心におかしきところは、乞い歌と聞こえるところ。


 「ほど…ほと…おと…を・門…おとこ・おんな」などという、浮言綺語のような言の戯れは、現代の国文学的文脈では許し難いだろう。しかし、そこに「心におかしきところ…ほとんど煩悩」が顕れるという。これは、藤原俊成の教えである。

 

伊勢は、紀貫之とほぼ同じ時代を生きた。女性歌人の第一人者で「古今集」と「後撰集」に計百首ばかり入集。「拾遺集」にあるのは、その余り二十数首。

 

 

とほき所におもひ人をおきて                経基

二百九十九 雲井なる人をはるかにこふる身は わがこころさへそらにこそなれ

遠い所に恋する人がいて (源経基・諸国の介や守を歴任、正四位太宰府大弐となる。伊勢の娘の中務とほぼ同じ時代の人)

(雲井なる・雲の上の身分高き、人を遥かに恋するわが身は、その心さえ空しくなる……心雲満ちる井の人を、多々乞う身は、我が心、さへ・小枝、中空になる)。

 

言の心と言の戯れ

「雲井…雲居…身分など高きところ…煩悩ある」「雲…心雲…心に煩わしくも湧き立つもの…情欲など、広くは煩悩」「井…おんな」「人…女人」「はるかに…遠く…高く…多く」「こふる…恋する…乞いする…求める」「さへ…までも…追加・添加の意を表す…さゑ…小枝…おとこ」「そら…空…天…空しい…空っぽ…中空…ただの筒」

 

歌の清げな姿は、介ほどの分際で、たとえば皇女に恋をすれば空しいだけだろう。

心におかしきところは、心雲満ちた井の人を、多々乞いしたおとこのありさま。

 

源氏物語に登場する「夕霧の北の方」を、「雲居の雁」とあだ名で呼んだのは読者らしい。子などあまたいらっしゃって、深情けで、嫉妬も深い女として描かれてある。「雲井の女」、「雲…ほぼ煩悩のこと」「井…おんな」「雁…鳥…言の心は女…かり…猟…あさり…むさぼり」。

紫式部源氏物語も、万葉集以来の和歌の文脈内にある。今のわれわれが置かれているのは、歌の下半身の全く見えない文脈である。源氏物語も上半分しか読めていないおそれがある。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。