帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第八 恋下 (三百十七)(三百十八)

2015-07-25 00:23:19 | 古典

           


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任撰「拾遺抄」を、公任の教示した「優れた歌の定義」に従って紐解いている。新撰髄脳に「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」とある。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

清少納言は枕草子で、女の言葉(和歌など言葉)も聞き耳(聞く耳によって意味の)異なるものであるという。藤原俊成古来風躰抄に「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」とある。この言語観に従った。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような、今では定着してしまった国文学的解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。和歌は「秘伝」となって埋もれその真髄は朽ち果てている。蘇らせるには、平安時代の歌論と言語観に帰ることである。


 

拾遺抄 巻第八 恋下 七十四首

 

(題不知)                        読人不知

三百十七 わびぬればいまはたおなじなにはなる みをつくしてもあはむとぞおもふ

題しらず                       (よみ人しらず・男の歌として聞く)

(恋に・苦しくつらくなった、今、それでもやはり、どちらにしても・同じこと、難波なるみをつ串・難所にある我が身を尽くし、そうしてでも、あの人に・逢おうと思う……身も・苦しく辛くなってしまった、今さら、どうなっても同じ、退いて・何は成る、身を、尽くしても合おうと思う)

 

言の心と言の戯れ

「わびぬれ…(恋に)わびぬる…苦しくつらくなってしまった」「ぬ…完了した意を表す」「はた…それでもやはり…上の意をひるがえす意を表す」「おなじ…(どちらにしても)同じこと…(どうなっても)同じ」「なにはなる…難波津にある…難所にある…何はなる?」「みをつくし…澪…水をつ串…身を尽くし…身が尽き果てるまで」「あはむ…逢おう…恋を成就しよう…合おう…和合しよう」

 

歌の清げな姿は、恋してはならない人を恋してしまったらしい男の苦悩、我が身を省みない破滅型の決心。

心におかしきところは、苦しく辛い情況になっても、合うために、なおも奮起しようとするおとこの心根。

 

此の歌、「後撰集」恋五に「事いできて後、京極御息所につかはしける、元良親王」として既にある。詠み人も作歌事情も、誰でも知っている。それらを抜きにして、公任は、歌そのものと対峙したのだろう。やはり優れた歌だったのだ。百人一首に撰んだ藤原定家は、この歌の「心におかしきところ」を承知していたに違いない。

 

 

(題不知)                      坂上郎女

三百十八 しほみてばいりぬるいその草なれや みらくすくなくこふらくのおほき

         (題しらず)                    (大伴坂上郎女・大伴家持の叔母)

(潮満てば、わたしは海中に・入ってしまう磯の草なのか、君の顔・見ること少なく、恋することの多いことよ……肢お満ちて、我が中に・入った、それ・磯のなよなよした草なのか、覯少なく乞うことが多い)

 

言の心と言の戯れ

「しほ…潮…肢ほ…子お…おとこ」「ほ…お」「みてば…満てば…満潮になれば…充実すれば」「いりぬる…入りぬる…入ってしまう…入り濡る…入り微温…入り生ぬるい」「いそ…磯…浜などと共に、言の心は女」「草…海草…海藻…草の言の心は女…なよなよとしている」「や…疑問を表す…詠嘆を表す」「みらく…見らく…見ること」「見…お目にかかること…覯…媾…まぐあい」「らく…動詞などを名詞化する詞」「こふらく…恋うこと…乞うこと」

 

歌の清げな姿は、縁遠い人を恋いしたか、出遭う事さえ少ない恋い。

心におかしきところは、そのもどかしさの比喩か、添えられた情感か、尽きたおとこのわが中に有るありさま。

 

万葉集 巻第七 譬喩歌「寄藻」、よみ人しらず。

 

塩満者 入流磯之 草有哉 見良久少 恋良久乃太寸

(しほ満てば入りぬる磯の草なれや 見らく少なく恋ふらくのおおき……しお満ちれば、入り流る、井その、うみ藻で有るか、覯少なく、恋うことの太き)

 

「しほ」「磯」「草・藻」「見」は上の歌と同じく戯れている。「太…とっても大きい…太い…多いという意味ではない」「寸…すん…き…一寸…ものの直経か」

既に、万葉集の歌の言葉は、俊成の言うように浮言綺語の戯れのように戯れている。「歌の様」は公任の言う「心におかしきところ」が添えられてある。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。