帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第七 恋上 (二百九十二)(二百九十三)

2015-07-10 00:22:08 | 古典

          

 


                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任の撰んだ優れた歌の集「拾遺抄」を、公任の教示した優れた歌の定義「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」(新撰髄脳)に従って紐解いている。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

歌の言葉については、清少納言枕草子女の言葉(和歌など)も、聞き耳(によって意味の)異なるものである」と、藤原俊成古来風体躰抄「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」に学んだ。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような江戸時代以来定着してしまった解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。


 

拾遺抄 巻第七 恋上 六十五首

 

たえてとしごろになりにける女の許にまかりてつとめて雪のふり

侍りければ                  源かげあきら

二百九十二 みよしのの雪にこもれるやま人も ふるみちとめてねをやなくらん

仲絶えて一年ばかりになった女の許に訪ねて行って、明くる朝、雪が降ったので、 源景明

(み吉野の雪に籠もっている山里の人も、雪に埋もれた・古道を探し求めて、声あげ泣いているだろうか……見好しのの、おとこ白ゆきにこもっている山ばの女も、振る路止めて・降る路を探し求めて、声あげて泣いているだろうか・根おないているのだろうか)

 

言の心と言の戯れ

「みよしの…み吉野…地名…名は戯れる。見好しの、身好しの」「雪…ゆき…逝き…白ゆき…おとこ白ゆき…おとこの情念」「こもれる…籠もる…内に隠れる…囲まれた中に居る」「やま人…山里に住む人…山ばに居る人」「ふるみち…古道…雪の降る前の道…降る路…振る路」「路…言の心はおんな」「とめて…求めて…止めて」「ねをやなくらん…声あげて泣いているだろうか…根おやなくのだろう」「根を…おとこ」「なく…鳴く…泣く…汝身唾を流す」

 

歌の清げな姿は、帰り道が雪で見えなくなった。地元の人さえ声あげて泣くだろう。

心におかしきところは、(もの絶えて一年ばかり経った女、久しぶりに努めて、白ゆき降ったので)振る路止めて・根を求めて、声あげて泣いているだろうか。

 

 

女の許にをとこのふみつかわしけれど返りごともせずはべりければ

読人不知

二百九十三 山びこもこたへぬやまのよぶこ鳥 我ひとりのみなきやわたらん

女の許に男が文を遣わしたけれど、返事もしないので、(よみ人しらず・男の歌として聞く)

(こだまも応えない、山の呼ぶ子鳥、我れ独りで、子鳥探して・鳴き渡っているのだろうか……山ばの男も応え無い・おとこ絶えてしまった、山ばの呼ぶ女、我れ一人だけ泣き過ぎたのだろうか)

 

言の心と言の戯れ

「山びこ…山彦…山のこだま」「彦…男」「こたへぬ…応えぬ…応じない…おとこ絶えてしまった」「ぬ…打消しを表す…完了したことを表す」「やま…山ば…感の極み…頂上」「よぶこ鳥…鳥の名…わが子を探す母鳥、子の貴身を求める女、且つ乞う女」「鳥…言の心は女」「我ひとりのみ…おのれ独りで…我一人だけ」「なき…鳴き…泣き…おとこ涙を流す」「わたらん…渡るのだろう…つづけるのだろう…過ぎたのだろう」

 

歌の清げな姿は、山の呼子鳥が、我が子探して独り鳴き渡っているさま。

心におかしきところは、(女のもとに、男が夫身を遣わしたけれども、応えもなかった)こを求め呼んでいる女、我が身だけ過ぎて逝ったのだろうか。


 

これらの歌は、古今集巻第一春歌上の、先にも示した次の歌とほぼ同じ情趣を詠んでいる。

をちこちのたづきもしらぬ山中に おぼつかなくも喚子鳥かな

(遠くか近くか、手がかりも知らない、山中で、おぼつかなも、わが子を呼ぶ・よぶこ鳥よ……そちらもこちらも、てごたえも知らぬ山ばの途中で、おぼつかなくも、この貴身求め・声を上げる女かな)

 

 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。