帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第八 恋下 (三百五)(三百六)

2015-07-18 00:07:48 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任撰「拾遺抄」を、公任の教示した「優れた歌の定義」に従って紐解いている。新撰髄脳に「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」とある。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

清少納言は枕草子で、女の言葉(和歌など言葉)も聞き耳(聞く耳によって意味の)異なるものであるという。藤原俊成古来風躰抄に「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」とある。この言語観に従った。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような、今では定着してしまった国文学的解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。和歌は「秘伝」となって埋もれ、その真髄は朽ち果てている。蘇らせるには、平安時代の歌論と言語観に帰ることである。


 

拾遺抄 巻第八 恋下 七十四首

 

女の許につかはしける               大中臣能宣

三百五 朝こほりとくるまもなき君により などてそほつるたもとなるらむ

女の許に遣わした                (大中臣能宣・後撰和歌集撰者の一人・伊勢神宮祭主)

(朝氷、うち解ける間もない貴女によって、なぜに濡れてしまった袂だろうか・我が涙よ……朝、こ掘り、解ける間もない・結ばれたままの、あなたによって、何に濡れてしまった手許の物だろうか・汝身唾よ)

 

言の心と言の戯れ

「朝…暁がこと果てるべき時刻…朝は男が女の許を去っているべき時刻」「こほり…氷…子掘り…井掘りともいう…まぐあい」「とくる…(氷が)解ける…(心が)うちとける…(結ばれている物が)解ける」「ま…間…時間…あいだ…谷間など言の心はおんな」「などて…なぜに…どうして…何に…疑問を表す」「そほつる…濡れてしまう…濡れてしまった」「つる…つ…完了したことを表す」「たもと…衣の袂…手許…手の近くにある物…おとこ・おんな」「なるらむ…なのだろうか…である(原因理由は何)だろうか」「なる…なり…断定をあらわす」「らむ…原因・理由を推量する意を表す」

 

歌の清げな姿は、身も心もうちと解けられなかった、男の残念の涙。

心におかしきところは、心も身も解けぬまま、暁に且つ乞うと泣くおんなとおとこの汝身唾。

 

清げな言葉の連なりによって、このような情趣を、余すことなく伝えるとは、さすが、能宣(よしのぶ)と思うと同時に、厄介な言葉の戯れを逆手に取った、和歌の表現様式の凄さにも思いを馳せるべきである。誰がこのような表現様式を確立したか、いつの時代にどうして消えたのかと。

 

 

だいしらず                     よみ人も

三百六 うしとおもふものから人の恋しきは  いづこをしのぶこころなるらん

題しらず   (よみ人も・詠み人も知らず・女の歌として聞く)

(辛いと思うものの、人が恋しいのは、何を偲ぶ、我が・心なのでしょうか……嫌とは思うけれども、あの人が恋しいのは、出でる此の貴身を、じっと堪え忍び、なお乞うわが・心なのでしょうか)

 

言の心と言の戯れ

「うし…憂し…(相手の仕打ちが)つらい…いやだ…快くはない」「ものから…のに…ものの…けれども」「人…異性…男…君」「恋しき…乞いしき」「いづこを…何処を…何を…出づ子を…出てゆくおとこを」「しのぶ…偲ぶ…恋い慕う…忍ぶ…じっとこらえる…包み隠す」「なる…なり…断定の意を表す」「らん…らむ…なのだろう…原因理由を推量する意を表す」

 

歌の清げな姿は、恋するわが心の省察。

心におかしきところは、乞うわが心の省察。(いでてゆく貴身を乞い求めるのは、如何なるわが心なのだろう)。

 

女のうわべの心情だけではなく、乞う心を、誇張も比喩もない方法で正に陳述している。言葉の戯れを利して清げに包んである。

 

 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。