帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第八 恋下 (三百十一)(三百十二)

2015-07-22 00:13:14 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任撰「拾遺抄」を、公任の教示した「優れた歌の定義」に従って紐解いている。新撰髄脳に「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」とある。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

清少納言は枕草子で、女の言葉(和歌など言葉)も聞き耳(聞く耳によって意味の)異なるものであるという。藤原俊成古来風躰抄に「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」とある。この言語観に従った。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような、今では定着してしまった国文学的解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。和歌は「秘伝」となって埋もれその真髄は朽ち果てている。蘇らせるには、平安時代の歌論と言語観に帰ることである。


 

拾遺抄 巻第八 恋下 七十四首

 

題不知                      読人不知

三百十一 たもとよりおつるなみだはみちのくの 衣かはとぞいふべかりける

題しらず                    (よみ人しらず・女の歌として聞く)

(君恋し・袂より落ちる涙は、陸奥の衣川と言えるでしょうよ、あゝ……貴身こいし・手もとのものより、落ちる汝身唾は、路の奥の心と身の川と、言っていいでしょうよ)

 

言の心と言の戯れ

「たもと…袂…手許…手許の物」「なみだ…涙…目の涙…身のなみだ…汝身唾」「みちのく…陸奥…地名…名は戯れる。道の奥、路の奥、未知の奥」「路…女…おんな」「奥…女…おんな」「衣…心身の喚喩…身と心」「かは…川…女…だろうか…疑問を表す」「とぞ…とが受ける内容を強調」「いふべかり…いうべきである…言うことができる…言えるに違いない…言っていいでしょう」「ける…けり…気付き・詠嘆の意を表す」

 

歌の清げな姿は、君恋しく哀しくて、流す涙の川を、衣川と名付けたわ。

心におかしきところは、こいしくて、みちの奥より落ちるなみだの川を、身と心の川と名付けました。

 

此の、こい歌は、背の君を強烈に誘引する力がある。早速、黒駒で馳せ参じることだろう。

 

 

(題不知)                       つらゆき

 三百十二 なみだがはいづるみなかみはやければ せきやかねつるそでのしがらみ

(題しらず)                     (つらゆき・紀貫之・古今和歌集撰者・土佐日記著者)

(恋の・涙川、出でる上流、速いので堰き止めかねたか、袖のしがらみ柵よ……汝身唾かは、出でる女の上、激しくて、堰止められなかったか、端の・女の下の、肢からみあい)

 

言の心と言の戯れ

「なみだかは…涙川…涙かは…汝身唾川」「いづる…出でる…出てしまう」「みなかみ…水上…上流…女の上」「水…言の心は女」「はやければ…速いので…激しいので…強烈なので」「かねつる…(堰き止める事が)難しかった…できなかった」「そで…袖…端…身の下端」「しがらみ…柵…川に杭を打って設けられた竹を編んだ柵…物の名は戯れる。肢絡み、まとわりつき、しがみつき」

 

歌の清げな姿は、恋の涙川か、激流なので堰止められないな、袖のしがらみ()

心におかしきところは、なみだかは、い出る身の上激しくて、せき止められないか肢絡み。

 

五月雨の候、しがらみを溢れる川の激流を描いた屏風絵に、貫之が書き付けた歌とすれば、寝室の屏風に、誰もが欲しいと思うことだろう。


 同じ恋歌でも上の歌と此の歌とは、歌の効用が違う。それぞれの効用で優れた歌だろう

 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。