帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第八 恋下 (三百十三)(三百十四)

2015-07-23 00:16:26 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任撰「拾遺抄」を、公任の教示した「優れた歌の定義」に従って紐解いている。新撰髄脳に「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」とある。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

清少納言は枕草子で、女の言葉(和歌など言葉)も聞き耳(聞く耳によって意味の)異なるものであるという。藤原俊成古来風躰抄に「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」とある。この言語観に従った。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような、今では定着してしまった国文学的解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。和歌は「秘伝」となって埋もれその真髄は朽ち果てている。蘇らせるには、平安時代の歌論と言語観に帰ることである。


 

拾遺抄 巻第八 恋下 七十四首

 

万葉集の和せる歌の中                   したがふ

三百十三 なみだかはそでのみくづとなりはてて 恋しきせぜにながれこそすれ

万葉集に和した歌の中の一首  (源順・後撰集撰者、万葉集の訓読に携わった一人)

(哀しい恋の・涙川、濡れた・袖のみ、屑となり果てて、恋しき瀬々に流れゆくことよ……かなしい乞いの・汝身唾かは、端の身、朽つとなり果てて、恋しき背々に、流れることよ)

 

言の心と言の戯れ

「なみだかは…涙川…涙かは…汝身唾かは」「川…女…多くの女の涙…かは…なのか…疑問を表す」「そでのみ…袖だけ…端の身…身の端…おんな」「くづ…屑…水屑…藻屑…役立たぬもの…くつ…朽ちる…むなしくなる」「せぜ…瀬々…あちこちの川瀬…多くの背々…それぞれの背の君」「背…(主に女性から見て)親しい男性を呼ぶ言葉…色背…わが夫」「なかれこそすれ…流れることよ…泣かれこそする」

 

歌の清げな姿は、万葉集の哀しき恋歌に、同情の涙が袖朽ちるほど流れる。

心におかしきところは、女の・なみだかは、背の君達に流れることよ。

 

二百八十八の歌でも述べたことを繰り返すと、

万葉集を一読すれば、何だかもの悲しい。挽歌が多い所為だけではなく、恋歌でさえ、愛するものと引き離される苦しみに、恋や愛が表現されてある。七夕の歌、防人の歌もそうである。人麻呂の歌も、石見国より妻と別れて上り来る歌に始まる。その長歌の最後には、妻の家の門が見えない、わが振る袖を妻は見ているか、「靡け、此の山」とある、愛するものと引き離される若き人麻呂の、激しい怒りさえ感じる。

万葉集のよみ人しらずの歌群も、柿本人麻呂歌集出の歌々に、右へ習えするように置かれてある。「万葉集に和し侍る」とは、人麻呂を始めとする万葉集の歌の底辺に流れる心に和する(親しむ・加わる・合わせる)ということだろう。

 

以下は憶測を含む。壬申の乱のとき離散し、石見の国に逃れていた若き文人、人麻呂は、大和に新しく作られた都の宮廷に召された。各地より、音楽の人・舞人・采女らも召し集められただろう。それぞれ、愛する者と離れて。人麻呂は宮廷歌人として華々しい活躍をした。

万葉集の恋歌の主題は、恋し合う者が引き離される、愛別離苦にある。久しい年月が経って、晩年、なぜか、人麻呂は石見の国に帰って来た、なぜなのか、若き日に別れた妻に逢う事なく、「鴨山の岩を枕にねむる、我をなあ、何も・知らずに、愛しい妻は待っているだろう」と「在石見国臨死時自傷歌」を残して死ぬ。

それを知らされた「柿本朝臣人麻呂死時妻依羅娘子」の作る歌が次に置かれてある。人麻呂が翁となっていたならば、「よさみのおとめ」と言うより依羅郎女と言うべきか。万葉集巻第二「挽歌」にある。

 

且今日且今日 吾待君者 石水之 貝尓交而 有登不言八方

(けふけふと、吾が待つ君は、石川の貝に交じりて、有りと言はずやも……帰る日を・今日か又今日かと、わたしが待つ君は、その辺のありふれた女の貝に交じわって居るよ、と言っておくれ、いや言わないでおくれ・あゝ聞きたくない)


 言の心と言の戯れ

「石水…石川…何処にでもある川の名」「石・水・川…言の心は女」「貝…言の心はおんな」「交…覯…媾…まぐあい」「有…居る…在る…健在」「いはめやも…詠嘆を含む反語…言ってくれ、いや、言わないでくれ…言わないでくれ、いや、言ってくれ」


  これは究極の恋歌だろう。万葉集の恋歌はこれが発端である。

 

 

五月夏至日に、けさうしてひさしく成り侍るに、をんなの、このよをばうたがひ

なくおもひたゆみてものいひ侍りけるほどに、しきさまに成り侍りにければ、こ

のをんないみじくうらみわびてのちにさらにあはじといひ侍りければ   能宣

三百十四 あすしらぬいのちなれどもうらみおかん このよにのみはやましと思へば

五月夏至の日に、想いを懸けて(化粧して)久しくなったので、女が、この男女の仲をば、疑うことなく油断して言葉を交わすほどに、醜き様になったので、(暑い短夜の夏至なので逢わないと)、女、ひどく恨んで、つらく心細いと言った後に、もう逢わないつもりねと言ったので、(大中臣能宣・後撰集撰者)

(明日知らぬ、恋の・命だけれども、恨みごとを言い置くのだろう、男女の仲・この世だけで止めない来世も、と思えばかな……明日知れぬ、わが貴身の・命だけれども、恨みごと言い置くよ、この夏至の夜にだけは、止めだと思うだけなので)

 

言の心と言の戯れ

「けさうしてひさしく…懸想して久しく…化粧して久しく」「しきさま…醜き様…化粧もせずみにくい様子」。

「あすしらぬ…明日知らぬ…無常の」「命…人の命…恋仲の命…男のものの命」「うらみ…恨みに思う事…恨み言」「このよ…この世…此の男女の仲…此の夜(夏至の夜・短い夜・暑苦しくてうんざりする夜)」

 

歌の清げな姿は、恋の終わりか、中だるみか、口きくのもいいかげになった男女の仲。恋も無常。

心におかしきところは、そんな仲の夏至の夜は止めとくと思う男の勝手。化粧もせず来世まで合い続けるつもりの女の勝手。

 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。