帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔二百七十三〕成信の中将は(その二)

2012-01-09 00:02:21 | 古典

  



                                           帯とけの枕草子〔二百七十三〕成信の中将は(その二)



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。


 
 清少納言枕草子〔二百七十三〕成信の中将は)


 さて、月のあかきはしも(月が明るいのはとくに…月人壮士の元気なのは下)、過ぎにし方、行く末まで、余すことなく、心も浮かれて、愛でたくしみじみ感慨に耽ることは、他に比べるものはないと思える。それに、寄り・来る男は、十日、二十日、一月もしくは一年も、まして七、八年も経って思い出したならば、とってもすばらしいと思えるので、あえそうもない具合の悪い所や人目を忍ぶべき所であっても、必ず立ち話でもして帰し、また、泊めていいならば、留めたりするでしょう。月のあかきをみるばかり(月の明るいのを見るだけで…つき人壮士の元気をみるだけで)、何か遠くのことも思いやられて、過ぎたことの、憂いごとも、嬉しかったことも、すばらしいと感じたことも、ただ今のことのように思える時はあるかもしれない・成信の中将と一夜を過ごした兵部の気持はわからないではない。


 『こまのの物語』は、何もすばらしいところもなく、言葉も古めかしく、見所多くはないけれども、月で昔を思い出して、むしばみたるかはほりとり出て(虫食いのある蝙蝠扇取り出して…ずっと以前の夏の情事・川ほり思い出して)、「もとみしこまに(もとの道を見知っている駒にまかせ…前に見た股間にまかせ乞うままに)」と言って尋ねて行ったのが、あはれなるなり(感動的である…しんみりとするのである)。

 あめは心もなき(雨は風情がない…おとこ雨は薄情な)ものと思いが染みているからか、片時降るのさえとってもいやなものである。重大な行事、興趣があるはずの行事、貴く愛でたくあるべき行事も、雨降れば、言うかいなく、悔しいのに、どうして、その雨に濡れるにことよせて来るような男が愛でたいのでしょうか。

『交野の少将』もどきの、落窪の少将などはすばらしい。昨夜、一昨日の夜も、少将は来ていたからこそ、それもすばらしいことよ。足洗ったのはいや、汚かったのでしょうか・牛の糞を踏んだとか。風など吹き荒々しい夜に来るのは、頼もしくて嬉しくもあるでしょうよ。


 ゆき(雪…おとこ白ゆき)こそ愛でたいことよ。「忘れめや(きみのこと・忘れられようか)」と独り言って、忍び逢っている所はなおさら。全くそうではない所でも、直衣などはいうまでもなく、上の衣、くら人のあをいろ(蔵人の青色衣…暗い人の青色)がとっても冷たそうに濡れているのは、いみじうおかしかべし(たいそうすばらしいでしょうか)。ろうさう(緑衫…蔵人でない六位の色の衣)であっても、雪に濡れたのなら憎くはないでしょう。昔の蔵人は、夜など女のもとにも、ただ青色を着て、あめにぬれてもしぼりなどしけるとか(雨に濡れてもしぼったのだとか…おとこ雨に濡れてもなおも絞ったのだとか)。今は昼でさえ着ないようだ。ただ緑衫をうち被っているだけのようでしょう。衛府(武官)などが着ているのは、ましてとっても格好良かったものを。こう聞いて、雨にありかぬ人やあらんとすらむ(雨に出歩かない男がいるでしょうか、女のもとへは行こうとするでしょう…おとこ雨にでも続けない女がいるでしょうか、女は続けようとするでしょう)。

 
 月のいみじうあかき(月がとっても明るい…つき人壮士のとっても元気な)夜、かみの又いみじうあかきに(紙のまたたいそう赤いのに…女がまたとっても元気で)、ただ「あらずとも(恋しさは同じではないけれども…こいしさは同じではないけれども)」と書いたのを、廂にさし入った月明かりにあてて、女が見ていたのは趣があったことよ。雨ふらんをりは、さはありなんや(雨の降る折りはそうはいかないよ)。

 
言の戯れと言の心
 「月…月人壮士…男」「しも…強調、限定の意を表す…下…身の下」「赤…元気色」「川…水…女」「かはほり…蝙蝠…夏用の扇…川ほり…まぐあい」「川…水…女」「雨…おとこ雨」「雪…ゆき…白…おとこ白ゆき」「人…人間…男…女」「かみ…紙…上…髪…女」「ありく…歩く…しつづける」。

 文中に引用された歌の「心におかしきところ」を聞きましょう。
 よみ人知らず 後撰和歌集 巻第十三 恋歌五
 夕やみは道も見えねどふる里は もとこし駒にまかせてぞくる
 (夕闇は道も見えないけれど、故郷はもと来ていた駒に任せて来るよ……夕闇は、みちもみえないけれど、旧さ門は、もと来た股間にまかせてぞ繰る)。
 「みち…道…路…女」「ふるさと…故郷…古里…うまれたところ…女」「さと…里…女」「と…門…女」「こま…駒…股間」「くる…来る…繰る…繰り返す」。

 よみ人しらず 古今和歌集 巻第十四 恋歌四
 くれないの初花そめの色深く 思ひし心われわすれめや
 (紅梅の初花染のように、色深く君を思った心、わたし忘れるでしょうか・わすれない……紅色の初花染のように、色深く、初白ゆきを思った心、わたし忘れないわ)。
 
「くれない…紅色…鮮烈な赤」「の…比喩を表す」「初花…初のおとこ花…初しらゆき」「花…木の花…おとこ花」「色…色彩…色情」「や…反語」。

 
源信明 拾遺和歌集巻第十三 恋歌三
 恋しさはおなじ心にあらずとも こよひの月をきみ見ざらめや
 (恋しさは我ときみとは、同じ心でないけれども、今宵のこの月を、きみは見ていないだろうか・見ているよね……乞いしさは我と同じ心でないけれども、こ好いのつきを、きみは見ないのだろうか)。
 「恋…乞い」「こよひ…今宵…こ好い」「こ…おとこ」「月…壮士…おとこ…突き…尽き」「見…覯…媾…まぐあい」「や…疑問の意を表す…反語の意を表す…詠嘆の意を表す」。

 
この辺りの章は、ただの「懐旧」(昔をなつかしむもの)ではなく、宮仕えを志す若い女たちに、言葉について、男の性情について、また、情操(知的感情…豊かな感受性と自己表現等)について、著者の「述懐」(思いを述べるもの)。
女官、女房、その他どのようなかたちであっても、女は宮仕えを経験したほうがよい、宮仕えのすすめは、持論であった。


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)

 
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。