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帯とけの拾遺抄
藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の言語観と歌論に従って読んでいる。
公任の捉えた和歌の表現様式は「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という、優れた歌の定義に表れている。
公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「清げな姿」「心におかしきところ」時には「深い心」の三つの意味が有るにちがいない。
拾遺抄 巻第九 雑上 百二首
修理大夫惟正が家にかたたがへにまかりけるに、いだして侍りける
まくらに、つとめてかへるとてかきつけ侍りける 少将義孝
四百四十九 つらからば人にかたらんしきたへの まくらかはして一夜ねにきと
修理大夫源惟正の家に方違えに行ったときに、お使い下さいと・出された、白い・枕に、翌朝、返すとて書き付けた、 (少将藤原義孝・藤原行成の父)
(貴君が・ひどい応接するならば、人に語るつもりだった、しきたへの・敷き絶えの・使い古しの、枕かわして一夜寝たと……貴君が・つらくあたるならば、女と偽って・人に言いふらすつもりだったよ、色、絶えの、間、暗、交わして、一夜寝たとね)
言の戯れと言の心
「つらからば…ひどい仕打ちならば…つらくあたるならば…冷淡ならば…方違えの時は一方的に一夜の宿を借りるので、借りる方は気を遣った、冷淡に扱われる不快感は・すさまじ、と清少納言もいう」「人にかたらん…人に語ろう…言いふらしてやろう…悪い噂を立ててやろう」「しきたへの…枕詞…色々に聞こえる。敷き絶え、使い古し、色絶え、色気失せた、色妙の、真っ白な」「まくらかはして…枕交換して…寝物語交わして…間・暗、交わして」「ま…間…おんな」「くら…暗…心暗い…色事に暗い…おとこへの蔑みの言葉」。
歌の清げな姿は、清潔な枕まで貸与され感激して書き付けた戯れの歌。
少将義孝二十歳ぐらいの時のこと、大夫惟正は官位も年齢も身分も上位の人。義孝はつらい仕打ちを受けると恐れていたのだろう。
心におかしきところは、一夜、ちぎり交わしたれど、あの男、色絶えていて、その道に暗かったわ。
枕草子(二十二)すさまじきもの
「すさまじきもの、――略――方違え行きたるにあるじせぬ所」とある。
「すさまじ…ぞっとするような不快感…たとえば、生まれた子が亡くなった産屋のありさまなどが挙げられてある」「あるじ…客をもてなすこと…おもてなしの心を示すこと」
内に候ひける人をちぎりてはべりけるよ、おそくまできけるほどに、
うしみつと時そうしけるをききて、女のいひつかはしける 読人不知
四百五十 人ごごろうしみついまはたのまじよ ――――――――――――
とありければ 良岑致貞
――――――――――――――――――― ゆめにみゆとやねぞすぎにける
内裏に居る人とちぎりを交わした夜、おそくなった頃に、うしみつと、
時を奏する音を聞きて、女が言い遣わしたのだった、 よみ人しらず
(他人の心、憂しと見てしまう・丑三つ、今はもう頼まないし・今のうちに帰って噂立たないように……男の心、憂しと見た・丑三つ、井間は頼んでいないようだし・さっさと帰って)
とあったので、 (良岑宗貞・僧正遍昭の俗名)
(夢を見ているようだなあ、寝過ごしたことよ・夢心地のまま帰る……夢のように・はかない見だったとか、あなたが・根好き・寝過ぎるのだよ)
言の戯れと言の心
「人ごころ…他人の心…男の心…女の心」「うしみつ…真夜中二時か三時ごろ…憂し満つ…憂し見つ」「憂し…つれない…心くるしい…気が進まない…憎らしい」「見つ…見てしまう…思ってしまう」「つ…完了した意を表す」「見…覯…媾…まぐあい」「いまは…今は…井間は…おんなは」「じ…打消しの推量の意を表す…打消しの意志を表す」
「ゆめ…夢心地…はかないもの」「寝…共寝…根…おとこ」「すぎ…過ぎ…過度である…すき…好き」「ける…気付き・詠嘆の意を表す」
歌の清げな姿は、素晴らしいちぎりを交わした御両人の思い。
心におかしきところは、山ばも不一致、性の格も不似合い、和合ならなかったようで、暁の峰の別れはならず、丑三つ時の別れ。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。