帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第九 雑上 (四百五十一)(四百五十二)

2015-10-16 00:28:01 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄

 

藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の言語観と歌論に従って読んでいる。

公任の捉えた和歌の表現様式は「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という、優れた歌の定義に表れている。

公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「清げな姿」「心におかしきところ」時には「深い心」の三つの意味が有るにちがいない。


 

拾遺抄 巻第九 雑上 百二首

 

中納言敦忠が兵衛の佐にて侍りける時にしのびていひはべりけることの

よにきこえてはべりければ            左近少将季縄が女

四百五十一  人しれずたのめしことはかしはぎの もりやしにけんよにみちにけり

中納言敦忠が兵衛の佐であった時に、偲んで・忍んで言ったことが、世間に知られたので、(左近少将季縄の娘・お相手の女・右近)

(人知れず、お頼みしたことは、柏木の森・兵衛の守り、したのでしょうか、噂が・世に満ちたことよ……人知れず、多の女したことは、かしは木の、盛り・漏り、したのでしょうか、夜に・夜床に、満ちあふれたことよ)

 

言の戯れと言の心

「たのめしこと…頼めし言葉…多のめがした事…多情なおんながした事」「かしはぎ…柏木…兵衛の別名…守る人」「木…男」「もり…森…守り…盛り…漏り」「よ…世…夜…夜殿…夜床」「みち…満ち…充満…いっぱいに広がる…満足…満ちあふれる」「けり…詠嘆」

 

歌の清げな姿は、我が妻であるということを、同僚に宣言した男へ、女のよろこびの歌。

心におかしきところは、夜に満ち溢れたのは、おとこ汝身唾の雨、おんなの喜びのなみだ。

 

この歌は、拾遺集巻第十九「雑恋」にある。第五句「世にふりにけり」、「夜におとこ雨が降ったことよ」と聞いて、わかりやすい。いずれにしても、恋は愛でたく成就したのだろう。

 

 

題不知                        読人不知

四百五十二 ぬれぎぬをいかがきざらんよの人の あめのしたにしすまんかぎりは

題しらず        (よみ人しらず・男の歌として聞いてみる)

(濡れ衣を、どうして、着ないだろうか、世の人が、天の・雨の、下で住んでいる限りは・誰もが着せられる……濡れた衣を、どうして着ないことがあろうか、夜の男が、吾女の下にだ、ものの・棲む、かぎりは)

 

言の戯れと言の心

「ぬれぎぬ着る…濡れ衣を着る…根も葉もない浮き名を立てられる…無実の噂を広められる…ものに濡れた衣を着る」「よ…世…夜」「あめのした…天の下…雨の下…吾女の下…吾妻の身の下」「し…強意を表す」「すまん…住まむ…住んでいる…暮らす…棲む…済む…果てる」

 

歌の清げな姿は、世に住めば、誰もが一度や二度、濡れ衣を着せられる。

心におかしきところは、ものが吾妻の下に棲むかぎり、情念のなみ唾に濡れた衣を着る夜もある。

 

この歌も、拾遺集巻第十九「雑恋」にある。恋は成就して正常な夫婦の乞いのいとなみのようである。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。