帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの『金玉集』(番外) 春宮女蔵人左近(小大君)

2013-01-01 00:11:45 | 古典

    



              謹 賀 新 年    
                 
                  平成二十五年 元旦



 藤原公任撰『こがねの玉の集』の番外として、元旦の歌を聞きましょう。作者は、小大君。『後拾遺和歌集』巻頭の歌である。


   正月一日に詠み侍りける
  
(正月一日に詠んだという歌)

 いかに寝ておくるあしたに言ふことぞ きのふをこぞとけふをことしと

 (人はどのように寝て起きる朝に言うことか、昨日を去年と今日を今年と……女がどのように共寝しておくる朝に言うことかしら、黄の夫を来る勿れと、京を来い、早くと)。

 


 言の戯れと言の心
 「おくる…(共寝より)起きる…(帰る男を)送る…(おとこに)遅れる」「きのふ…昨日…きの夫…黄の夫…黄のおとこ」「き…黄昏…たそがれ…果てた色…黄泉…よみのせかい…死んだ色」「こぞ…去年…来そ…来る勿れ」「けふ…今日…京…山ばの極み」「ことし…今年…来とし…来疾し…来い早く」。

 

これは女のうそぶき(嘯き)である。女の憤懣や妖艶な好き好きしい心情が聞こえてこそ、この歌が心からわかったと言える。それには、上のような奇妙な「言の戯れ」を知ればいい。

 
 「言の戯れ」を認められない人は、歌の表層しか見えない。その「清げな姿」から、歌の心を臆測するという方法が正当な歌の聞き方と思われて久しい。「絶艶」とか「余情妖艶」と言われていた和歌にはあった色好みな意味はどこに消えたのだろうか。


 
本年も、鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記し続ける。
                                  
かき人しらず