帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの『金玉集』 雑(七十八) 源 順

2013-01-12 00:08:07 | 古典

    



                帯とけの金玉集



 紀貫之は古今集仮名序の結びで、「歌の様」を知り「言の心」を心得える人は、いにしえの歌を仰ぎ見て恋しくなるだろうと歌の聞き方を述べた。藤原公任は歌論書『新撰髄脳』で、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」と、優れた歌の定義を述べた。此処に、歌の様(歌の表現様式)が表れている。

公任の金玉集(こがねのたまの集)には「優れた歌」が撰ばれてあるに違いないので、歌言葉の「言の心」を紐解けば、歌の心深いところ、清げな姿、それに「心におかしきところ」が明らかになるでしょう。



 金玉集 雑(七十八)源したがふ

 恋しきを何につけてか慰まむ ぬる夜なければ夢にだに見ず

 (恋しい気持ちを、何によって慰めようか、眠れる夜がないので夢にさえ見ない……乞いしい思いを何によって慰めようか、共寝した夜がないので、夢でも合えない)。


 言の戯れと言の心

 「恋し…心ひかれ慕わしい…乞いし…わがものにしたい」「ぬる…眠る…寝る…共寝する」「夢…眠っているときに見るもの…夢想すること…妄想すること」「見ず…見ない…まぐあえない」。


 歌の清げな姿は、「恋」という題で詠んだ歌。恋しくて眠れないので恋人の夢さえ見られない。それだけでは歌ではない。

歌の心におかしきところは、現に共寝した夜が無いので夢でもまぐあえない。


 拾遺和歌集 恋二。詞書「天暦御時歌合に」、したがふ。第四句と五句「夢だに見えず寝る夜なければ」。


 村上天皇の御時「天徳四年三月三十日内裏歌合」の歌。判者は藤原実頼(公任の祖父でこの頃六十歳ぐらい)である。この左方の歌は「頗有情、仍為勝(すこぶる情がある、よって勝と為す)」という。左方には大中臣能宣らも居た。相手の右方は中務である。その歌は、

 君恋ふる心はそらに天の原 かひなくてふる月日なりけり

 (君恋ふる心は空に天の原、甲斐なくて経る月日なりけり……君乞ふる心は空し、あまの腹、かいなくて、ふる突き引なりけり)。


 「あま…天…海女…吾間」「原…腹…心の中」「かひ…貝…甲斐…効果」「ふる…経る…振る…古…盛り過ぎる」「つきひ…月日…突き引」。


 この頃、中務は五十歳ぐらい。軽やかに恋心を、実は艶なる乞いの情況を、詠んでいる。情の切実さで比べると負けかもしれないが、心におかしいでしょう。大のおとな達は、このような歌を詠み合いおかしさを楽しみ、判定も勝ち負けをも楽しんだのである。
 歌の清げな姿しか聞こえなければ、おかしさは半分以下でしょう。いまや歌の下半身は埋もれ木となっている。
 
 これにて、『金玉集』の秘儀伝授聞書は終了する。



 伝授 清原のおうな

 
 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  『金玉集』の原文は、『群書類従』巻第百五十九金玉集による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。