帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの『金玉集』 雑(七十二) 平 兼盛

2013-01-05 00:06:53 | 古典

    



             帯とけの金玉集


 
 紀貫之は古今集仮名序の結びで、「歌の様」を知り「言の心」を心得える人は、いにしえの歌を仰ぎ見て恋しくなるだろうと歌の聞き方を述べた。藤原公任は歌論書『新撰髄脳』で、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」と、優れた歌の定義を述べた。此処に、歌の様(歌の表現様式)が表れている。

公任の金玉集(こがねのたまの集)には「優れた歌」が撰ばれてあるに違いないので、歌言葉の「言の心」を紐解けば、歌の心深いところ、清げな姿、それに「心におかしきところ」が明らかになるでしょう。


  
 金玉集 雑(七十二)兼 盛

  屏風の絵に白川のせきにいる人かきたる処に、

  (屏風の絵に白川の関所にいる人を描いてあるところに、書き添えた歌)、

 たよりあらばいかで都に告げやらむ けふ白川の関はこえぬと

 (手立てがあれば何とかして都に知らせよう、今日わたくし、白河の関は越えたと……おとこに頼りあれば、何としても宮こに告げてやりましょう、君の居る京へ、白々しい女の難所は越えたと)。


 言の戯れと言の心

「たより…便り…音信…手段…頼り…頼りになる力」「都…みやこ…京…宮こ…ものの極み…感の極み」「けふ…今日…京…感の極み」「白川の関…関所の名、名は戯れる。白側の難所、白けた女の難関」「白…白々し…色褪せた」「川…かは…側…女」「こえぬ…越えた…関所を越えた…難関を越えた…(白々しいところは)越えた(後発だけれど宮こへゆくわ)」。


 歌の清げな姿は、名所の白河関に佇む都の女の絵に添えた歌。歌は唯それだけではない。

歌の心におかしきところは、頼りないおとこへ女のうそぶき。宮こへ独り先発したおとこへの皮肉。


 拾遺和歌集 巻第六、別。詞書「みちのくにの白河関越え侍けるに」とある。これによって、歌の表情は一変する。屏風歌ではなく、作者(男)が名所の白河関を越えた歌となる。心におかしきところは、独りで宮こを後にして、白々しい側へ逝ってしまった男の、女への惜別の情。


 いずれにしても、歌は「清げな姿」と「心におかしきところ」があり、それらから「深い心」は、あれば直感されるものである。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


 『金玉集』の原文は、『群書類従』巻第百五十九金玉集による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。