帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔二百五十九〕関白殿(その一)

2011-12-20 00:10:45 | 古典

  



                                             帯とけの枕草子〔二百五十九〕関白殿(その一)



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔二百五十九〕関白殿


 関白殿道隆)、二月二十一日に法興院の積善寺という御堂にて、一切経を供養されるときに、女院(主上の御母、道隆の妹君)も、当然いらっしゃるので、二月一日ごろに、中宮は・二条の宮へ(暗くなって)退出される。眠たくなって何もよく見えない。明くる朝、日がうららかにさし入るころに起きると、壁など白く新しくきれいに造ってあるところに、御簾をはじめ几帳なども昨日掛けたかのようで、調度品の飾りつけ、獅子、狛犬(置物)など何時の間に入ったのだろうとおかしい。桜が一丈ばかりで満開の様して、階段のもとにあるので、とっても早く咲いたものだなあ、梅こそ今が盛りなのに、と見えるのは造花だった。すべて花の色艶などつゆも本物に劣らない。どれほど手が込んでやっかいだったでしょう。あめふらばしぼみなんかしとおもふぞくちおしき雨が降れば紙なので萎むでしょうよと思えるのは残念…お雨降れば萎むでしょうよと思えるのがものたりない)。小家などというのが多くあった所を、新たに造営されので、木立などの見所があるでもなし、ただ、宮殿の様子が、けぢかうをかしげなる(身近な感じでいい)。

 殿(道隆)、二条の宮に・渡ってこられた。青鈍の固紋の御指貫、桜の御直衣に、紅の御衣三枚ばかりをただ御直衣にひき重ねてお召しになっておられる。宮をはじめとして、紅梅の濃いのや薄い織物の、固紋、無紋などを、女房たちも・みなが着ているので、ただ光り満ちて見える。唐衣は萌黄、柳、紅梅などもある。御前に殿がいらっしやって、お話しておられる。宮の御応えのありたいさまを、わが里の人にも密かに見せてやりたいなあと思いつつ拝見する。殿は・女房たちを見渡されて、「宮、何事を思われることがありましょうか、これほど愛でたい人々を据え並べてご覧になられるとは、うらやましいことです。一人としてわるい容貌はないですな、これみな家々のお嬢さんたちですぞ、感動します。よく思いをかけておやりになってです、お仕えさせてくださいませ。それにしても、この宮の御心をば、女房たちどのように知ってさしあげて、こうも参上して集っておられるぞ、どれほどいやしく、もの惜しみされる宮と思ってか。我は宮のお生まれになられてより、ずっとずっとお仕えしているけれど、まだ、くださりものの御衣の一つも賜っていません。なにかしりうごとにはきこえん(何か、悪口に聞こえるだろうか)」などとおっしゃるのが、おかしかったので、笑ったところが、「まことぞ、をこなりとみて、かくわらひいまするがはづかし(本当だぞ。このように言う我を、愚かであると見て、そのように笑っておられるのが恥ずかしい)」などと、おっしやっている間に、内裏より式部の丞の某が参った。

主上の・御文は大納言殿が受け取って殿にさしあげられると、「解いて、拝見したくなる御文ですなあ、許されますなら開けて見ましょう」とはおっしゃったけれど、「もしやと危ぶみ不安にさせたようだな、おそれ多いことでもある」といって、宮にさしあげられるのを、お取りになられても、宮はひろげられるご様子もなくお取り扱いになられる。御ようひぞありがたき(お心づかいよ、なかなかできない)。御簾の内より女房の褥(敷物)さし出ていて、三、四人御几帳のもとに居る。殿「あちらに退いて、ろくのことものし侍らん(勅使への褒美のこと考えましょう…文取次いだ我れへの褒美を期待しましょう)」と言って席をお立ちになられた後に、宮は・御文をご覧になられる。
 
御返事、紅梅の薄様にお書きになられるが、御衣の同じ色、色香通じている。やはり、このように、宮のこまやかなお心を推しはかってさしあげる人はいないだろうと思えて残念。今日のは特別ということで、殿の御方より勅使へのご褒美をお出しになられる。女の装束に紅梅の細長が添えられてある。殿・「肴などあれば、酔わせてあげたいが、今日はたいそうな行事です。わが君、許してくださいよ」と勅使に、大納言にも申して席を立たれた。

 姫君たち、たいそう化粧なさって、紅梅の御衣をわれ劣らじと着ておられるが、三の御前(三女、親王の北の方)は、御匣殿(四女)、中姫(二女、淑景舎)より大きくお見えになられて、上と申しあげてよさそう。上(母上)も渡ってこられた。御几帳引き寄せて、そのお姿は・新しく参った人々には拝見できないので、いぶせき心ちす(気がかりな心地する、母上もまた装束からして一風変わったお方だった)。

女房たち・寄り集まって、彼の日(来る二十一日)の装束。扇などのことを言い合わせているのもいる。また、競って、隠して、「まろは、なにか、ただあらんにまかせてを(まろは、何をだと、ただ有るにまかせてだなあ着るよ……わたしは、何かって、だだ有りあわせでそれなりにね)」などと言って、「れいの、君の(例の殿の・言い真似ね)」と、にくまる(憎まれる…いやがられる)。

 夜になると退出する人が多いけれど、このような折りのことなので、宮もお止めになられない。上(母上)、日々にわたって来られ、夜もいらっしゃいる。姫君たちがいらっしゃるので、宮の御前は人少なくならずいい。主上の御使い日々に参る。

 
 御前の桜(造花)、露に色は増さらず、日にあたってしぼみ、わるくなるのも残念なのに、雨が夜降っての翌朝、とっても体裁が悪くなる。私は・たいそう早く起きて、「なきて別けんかほに心おとりこそすれ(泣き別れしたらしい顔に期待はずれな心地がします…女が泣いて別れたらしい、彼おには幻滅します)」と言うのを、宮がお聞きになられて、宮「なるほど雨降る気配がしていたね、どうなのかしら」と、お目覚めになられる間に、殿の御方より侍の者ども、げ衆など多く来て、花造花の桜木のもとにただ寄って来ては引き倒し取って密かに行く。「まだくらからんにとこそ、おほせられつれ、あけすぎにけり。ふびんなるわざかな、とくとく(おとこ花取り去るのは・まだ暗いうちにだぞと殿は仰せられた。明け過ぎてしまったことよ、女の恋しさ増して・ふびんな行いかな、はやくはやく)」と倒し取るので、いとをかし(とってもおかしい)。

いはゞいはなんと、かねずみが事を思たるにや(文句言うなら言えよと強引ね。兼澄の歌を、女心を・思っているのかしら、いないでしょう)」とでも、よき人なら言いたかったけれど・侍どもには通じないので、「かのはなぬすむはたれぞ、あしかめり(その花盗むのは誰よ、悪いでしょう…あの我がおとこ花を盗むのは誰よ、悪いでしょうが)」といえば、ますます逃げて、桜引きずってゆく。猶殿の御心はおかしうおはすかしやはり殿の御心は風流でいらっしゃることよ。枝どもも濡れまつわりついて、いかにびんなきかたちならましとおもふ(どんなにかわいそうな形だろうかと思う)。それ以上何とも言わず内に入った。

 掃部司が参って御格子をあげる。殿司(女官)、御清めに参り終えて、宮は・お起きになられるときに、花が無ないので、「あなあさまし。あのはなどもは、いづちいぬるぞ(あら、なさけない、あの花たちは何処へ去ったのか)」と仰せられる。「暁に、『花盗人あり』と言っていましたが、やはり枝など少し取るのかなとばかり聞いていました。誰がしたの、見ましたか」と仰せられる。「さも侍らず。まだくらうてよくも見えざりつるを、しろみたる物の侍りつれば、花ををるにやとうしろめたさにいひはべりつるなり(そうではございません。まだ暗くてよくは見えなかったのですが、白んだ者がございましたので、花を折るのではと心配で言ったのでございます……そうではなく、まだ夜深くてよく見ていないのに、白々しい情況がございましたので、おとこ花折れ逝くのかなと心配で、言ったのでございます)」と申す。「さりとも、みなは、かう、いかでかとらん。とののかくさせ給へるならん(それにしても、すべて、こう、どうして取るのかしら。殿がわざと、お隠しになられたのでしょう)」といって、わらはせ給へば(お笑いになられたので)、「いえいえ、よもやそうではございません。春の風のして侍るならん(春の風がしたのでございましょうか…男心に吹く春の風がそうしたのでしょう)」と申しあげると、「そう言おうとして見たのに隠してたのね。ぬすみにはあらでいたうこそふりなりつれ(盗みではなくてひどく古くなったのね…ぬすみではなくひどく振り成ってしまった・と言いたいのね)」と仰せられるのは珍しいことではないけれど、いみじうぞめでたき(とっても愛でたい)。

 殿がいらっしやったので、寝くたれの朝顔を時ならぬ時に、ご覧になられるだろうと、私は・引きさがる。いらっしゃるとすぐに、「あの花は失せてしまったことよ。どうして、このように盗まれたのか、まったく悪い女房たちかな、寝ぼうして知らなかったのだな」と驚かれるので、「されど、我よりさきにとこそ思て侍つれ(……だけど知っていました。われより先に逝くなんてと思っていましたもの)」と忍びやかに言うと、さっそくお聞きとりになられて、「そのように思ったのだな。夜に他の女房が出て花を見たりしない。宰相(宰相の君)とそなたぐらいだろうと推察していた」と、いみじうわらはせ給(ひどくお笑いになられる)。

さりけるものを、少納言は春のかぜにおほせける(殿がなさったのに、少納言は春の風に、罪を負わせたことよ)」と、宮も、うちゑませ給へる、いとをかし(ほほ笑んでおられるとってもおかしい)。殿・「そらぞらしい言をおっしゃる。いまは山だもつくるらんものを(今は山田を耕そうとしているものを…今は、やま場で尽くそうとしているものを・お花の散るのを心の春風のせいにしないでほしい)」などとうたわれる。いとなまめきおかし(とっても艶かしくおかしい)。「それにしても、にくらしい。見つけられてしまって、暗いうちに密かに抜き去れと・あれほど戒めておいたのに。人(宮)の御方には、このように厳しくおとこに注意する者がいたのだ」などと、また朗詠される。  

宮「たゞごとにはうるさく思つよりて侍し。けさのさま、いかに侍らまし(いつものおっしゃり方には、巧みだわと思ってございました。今朝の強引な様子、いかがなさったのでしょうか……何時ものさるがう言には、うるさく思っていました。今朝の優雅なご様子、どうなさったのでしょう)」などと、わらはせ給ふ宮は・お笑いになられる。「こわか君、されど、それをいととくみて、露にぬれたるといひける、おもてぶせなりといひ侍りける(いとしいわが子よ、だけど、その優雅な花の取り去りをいち早く見て、『わたしより先につゆに濡れている』と、そこの女房がうるさく・言いましたよ。わが男どもは・『不名誉なことである』と言ってございましたのですよ)」と申されたので、いみじうねたがらせ給もをかし(宮が・たいそうくやしがっておられるのもおかしい)。

 「花…木の花…桜花…男花…おとこ花」
 

この章は、宮のお心の素晴らしさと、父上の関白殿の一風変わった様子を描いてある。正暦五年(994)ごろのこと、殿の生涯の最盛期で、時めいておられた。

 この人々と同じように心得ておくべき歌がある。歌の「清げな姿」と「心におかしきところ」を紐解きましょう。


 拾遺和歌集 巻第六 別

 桜花露に濡れたるかほみれば 泣きて別し人ぞ恋しき

 (桜花の露に濡れている顔見れば、泣いて別れた人が恋しい……おとこ花、白つゆに濡れた彼おみれば、泣いて峰で別れた人が乞いしい)。


 兼澄集の歌

 宵の間に君をし祈りおきつれば まだ夜深くも思ほゆるかな

 (宵の間に君を祈っておきましたので、明けても未だ夜深いように思われます……好いの間に、君のおを祈っておきましたので、果ててもこの君は・未だ夜深いときの心地がしますわ)。


 貫之集

 山田さえ今はつくるを散る花の かごとは風におほせざらなむ

 (山田さえ今は作るのに、散る花のいいわけは風に負わせないでほしい……山ば多さえ今は尽きそうなのだ、散るおとこ花のいいわけは風のせいにしないでな)。


  これらは、おとこ花との別れを惜しむ女心を詠んだ歌。

  殿道隆の「さるがう言」による笑いは、主人として座をとりもつ気遣いではある。笑いを起こす話芸の技は、宮を「いやしい」「ものおしみする」人といい、また女房たちに「ばかにして笑っているな」などと先ず、いわゆる緊張させ、「生まれられてよりこの方、ご褒美の一つも賜ったことがない」「ばかだと思われたら恥ずかしい」というのは、いわゆる緩和で、なるほど笑いを誘う。  
 このような話芸はいやみなところもある。宮の巧妙なさるがう言批判も、「うるさい…気配りがこまやかである…優れている…巧みである…わずらわしい」と奇妙に戯れる言葉によって成り立っている。


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)

 
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。