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帯とけの枕草子〔二百四十七〕いみじうしたてゝ婿とりたるに
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言枕草子〔二百四十七〕いみじうしたてゝ婿とりたるに
たいそうな支度をして婿を取ったのに、間もなく住まなくなった婿が、舅に出会っている。いとおしとやおもふらん(気の毒だと思っているのでしょうか…いやだなあと思っているのでしょうか)。
或る男がたいそう時流に乗っている人の婿になって、たゞ一月(唯ひと月…ただの一つき)ばかりも、はかばかしく通って来ずに止めてしまったので、皆ひどく言い騒いで、女の乳母などは、まがまがしきことなど(禍よ災いごとよなど…不吉だ縁起が悪いことよ)と言う者がいるとき、その明くる年の正月に、婿が・蔵人になった。「あさましう、かゝるなからひには、いかでとこそ人は思たれ(嘆かわしい、このような間柄なのに、どうしてと女は思っているよ)」などと言って噂にするのは、婿は・聞くでしょうよ。
六月に舅が八講(法会)をなさっている所で、人々集まって、説法を聞いていたところ、蔵人になった婿が、れうの(綾織の…この時の為に用意した)表の袴、黒半臂など真新しく鮮やかな服装で、見捨てた女の車の後の、とみのをという物にはんぴのをゝ(車のとみの尾という突き出たとこに半臂の緒を…急な男というものに短いおのこを)引っかけんばかりにして居たのを、女はなんと見るでしょうと、車の人々も、事情を知っているかぎりは、気の毒がっていたが、他の人々も「つれなくゐたりし物かな(気も咎めずによく居たものかな…連れだつことなく射たものよなあ)」などと、後にも噂した。
猶おとこはものゝいとほしさ人の思はんことはしらぬなめり(やはり男は、何んともいえない愛おしさ、女の思いというものは知らないようね…汝お、おとこ、ものの愛しさ、女の思うことは感知しないのかしらね)。
言の戯れと言の心
「いとおし…いとほし…気の毒に思う…同情している…嫌だなあと思う…厭わしいと思う」「れう…綾…綾織…料…その為の用品」「とみのを…車のながえが後方に突き出た短い部分…疾みの男…(飽きの)早い男…(尽きるのが)急なおとこ」「はんぴ…半臂…短い衣…短いこころ」「衣…身や心を包むもの…心身の換喩」「を…緒…男…おとこ」「ゐたり…居た…射た…放った」「猶…なお…やはり…汝お…君のおとこ」。
『枕草子』は、戯れる言葉を御して、「心におかし」と思わせつつ、なまなましい人間模様を描いてある。
これは、和歌の表現方法と同じである。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)
原文は、岩波書店 新日本古典文学大系 枕草子による。