七技会のひろば

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「楽しみます」の意味

2013年11月09日 | お話サロン
「楽しみます」の意味

 
 数日前、高校のクラス会があった。一晩泊まりの後、帰りの列車の乗り継ぎ
に若干の待ち時間が発生したので昔の通学路を歩いてみた。街並みは大きく変
わっていたが相変わらずの幅広いコンクリート舗装の道である。この道は通学
路であると同時に部活のトレーニングのランニングコースだった。
 その昔、近くの飛行場へ通ずる戦車も走れる軍用道路だった頑丈なコンクリ
ート舗装道路は、当時の男子高校生の履き物「厚歯」で歩くとカランコロンと
大きな音を立て、またランニングのズック靴には如何にも固い感じがカカトや
ヒザを刺激した。

 さて、その部活では、時々近隣の学校と或いは定期的な大会などの試合があ
った。試合に行くのは「エンセイ」と称して楽しみだったが、試合そのものは
懸命に力を振り絞り、またなかなか勝てないだけに苦しかったことを思い出す。
今となってはいい思い出であり、思い出を語り合うことは楽しいことではある
が・・・。

 ところでこの文のタイトルは、最近のオリンピックやそれに相当するレベル
の世界大会に出場する選手のテレビや新聞で見聞する選手の試合に挑む際のコ
メントである。
 大きな試合に立ち向かう選手が「試合を楽しみます」と言う。勝つことを期
待しているこちとらとしては「楽しむレベルの力しか出さないのかよ! しっか
り力一杯やってくれ!」と言いたくなる。

 「楽しみます」とスキージャンプの沙羅ちゃんが言えば、可愛いから、世代
が大きく違うから、ついついウンウンうい奴じゃと許してしまうが、水泳の北
島が同じことを喋ると「お前が楽しむために多額の選手強化費を掛けているん
じゃない! それなら若いのと代われ!」と言いたくなる。口には出さないけ
れど心の中でそう思う。

 いつ頃からだろう。たくさんの応援を背に大試合に挑む選手が「楽しみます」
と言えるようになったのは? それ以前だったら「ふざけるんじゃない、真面
目に頑張って来い!」と罵倒されただろう。楽しみを感じることが出来るのは
未だ力を出し切っていないからだ! と考えられていたからだろう。

 世代間の感覚の違いだろうか? 日本語としての「楽しみます」の意味する
ところが変化したのだろうか?

 今思い返しても試合中は楽しみよりも苦しみだったと記憶している。時々い
い籤を引き当てて弱い相手と対戦する時には余裕を感じて遊ぶことは無きにし
も非ずではあるが、それを「楽しむ」と言うと弱い者いじめとなり心が痛む。
しかし、勝ち星を得ることは楽しみではある。
 要するに得られた「結果を楽しむ」ことはあっても「過程を楽しむ」心境で
はなかった。

 超一流の選手は死に物狂いの試合そのものを楽しむ心境に達しているのか?
 それとも言葉としての「楽しむ」の意味が変わったのか?
 どちらなのか考え込む。
 さて、皆さんはいかがですか。



2013.11.09 米田書き込み





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