七技会のひろば

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更新:毎月9日と24日が努力目標

第一話「平成30年7月豪雨(西日本豪雨)」 第二話「七技会のひろば管理者募集」

2018年07月24日 | お話サロン
 第一話
      平成30年7月豪雨(西日本豪雨)

  6月28日頃から始まり降り続いた梅雨前線の停滞、続いて日本の南で発生し
 た台風7号等の影響が相俟って、西日本の広い範囲で大きな災害を引き起こし
 た「平成30年7月豪雨」
  大きな災害が起きると「誰か居るかな?」と名簿を引っ張り出します。
  今回は、広島、岡山が被災ニュースの中心だったので中国通信局管内に目が
 向きました。そこには、岡山の江口さん一人のみ。ハガキで連絡を試みたとこ
 ろ、力強い筆致で以下のハガキでくださいました。
  江口さん、ありがとうございます。
  しかし、今冷静に考えると、今回の被災範囲は西日本と一括りされる通り非
 常に広範囲でした。福岡県、愛媛県、岐阜県、その他地域の方々、豪雨の被害
 はありませんでしたか?
  遅れ馳せながら無事をお祈り申し上げます。
  以下は、江口さんからのハガキです。
                            以上


 





 第二話
       「七技会のひろば 管理者募集」
  この「七技会のひろば」も開設以来七年半になりました。
  その間の訪問者数(IP)は延べ6万5千人、また最近3週間の一日の平均
 訪問者数(IP)19人でした。少ないと言えば少ないし、七技会の規模に照
 らせば大きい数字と言えます。(注)
  ところでこの「七技会のひろば」の運営についてですが、どなたか「引き継
 いで下さる方」或いは「一緒にやって下さる方」はいらっしゃいませんか?
  ブログに記事を投稿・掲載するやり方は、ネットに接続されたパソコンがあ
 れば、メールを送信するのと同様の操作で出来ます。簡単ですし面白い世界で
 す(スマホからも出来るようです。)。
  簡単で面白いことなら何故今?との疑問が起きるでしょうが、やっぱり歳で
 すねぇー。いつ何時、何があっても可笑しくない歳になったので「維持管理の
 移管或いは二重化」を図りたいのです。
  移管と二重化、お前はどちらが望みなのか?と問われれば、やって下さる方
 のご意向に沿います、優先します。「七技会のひろば」の存続が最優先です。
  皆さんのご検討をお願いします。
  なお、「七技会のひろば」の維持・運営のために七技会の費用は一切使用し
 ていないことを申し添えます。
                              以上
 (注)ブログの右側下方に表示される「アクセス数」をご覧下さい。

 




 2018.07.24 米田書き込み







 次回更新は8月9日の予定です。

















第一話「大阪府北部地震」 第二話「小川さんの訃報を読んで」

2018年07月09日 | お話サロン
        第一話「大阪府北部地震」

  2018年6月18日7時58分頃、大阪府北部を震源とした大地震が発生。
  最大震度6弱を大阪府大阪市北区・高槻市・枚方市・茨木市・箕面市の5市区
 で観測したとの情報がテレビ・ラジオで伝えられました。初めは震度6弱かぁ
 大したことないかな?と思っていたのですが、時間の経過と共に被災状況が伝
 えられ、火災の発生、水道管の破裂水漏れ、ブロック塀の倒壊による死亡事故、
 公共交通機関の麻痺等々の被害を知らされ、予想外の大きさに驚きました。
  そこで、震度の大きかった大阪府北部に七技会会員の誰かが住んでいるのだ
 ろうか?と会員名簿を開くと、箕面市に松永さん、寝屋川市に三上さんのお二
 方がそれぞれ住んでいらっしゃいました。
  さて、お見舞いの電話、メールを考えたのですが、大した助けにもならない
 のにお手数を患わせることもないやとお見舞いハガキを送ることにしました。
  それに対してお二方から、いろいろ多忙な中、早速律儀にも以下のメール、
 ハガキによる返信をいただきました。
  文面では大きな直接的な被害が無かったとお書きですが、気持ちの面では大
 変なご苦労をなさった様です。
  お二方からのメール及びハガキを以下に掲載致します。
  なお、松永さんからのハガキは奥さまの手によるものであることを申し添え
 ます。
  お二方並びにご家族様が一日も早く安全で安心出来る環境にお戻りになりま
 すようお祈り申し上げます。



 1.三上さんからのメール
  震災見舞い、ありがとうございました。
  7:58テレビを観覧中、突然の激震。テレビが倒壊するかと無意識にテレビ
 を抑えていました。
  冷蔵庫・食器戸棚の扉が開き、中身が飛び出し散乱するのを見ながら、タダ
 振動が止まるまで身動きできませんでした。
  今回の地震は、震源地が近かったせいか突然の激震でしたので、呆然として
 いました。
  幸い人身の怪我はなく、マンションも無傷ですみました。
  後日、タンス・物置等を開けたら荷崩れしていました。
  お礼の連絡が遅くなりましたが、お見舞いのはがき有難うございました。
  小生元気で過ごしています。皆様によろしくお伝えください。



 2,松永さんからのハガキ

 














      第二話「小川さんの訃報を読んで」

  6月24日掲載の小川さん(旧姓「早野」)の訃報を読んだ会員の方々から
 小川さんへの想いが寄せられました。
  以下に今日までの到着分を掲載します。なお、ご自身の近況を書いて下さっ
 た方についてはご本人のご了解を得て、そのまま掲載させていただきました。



 1.近藤(隆)さんから
  訃報連絡、有難うございました。
  この頃いただく連絡は失う物ばかり、そんな年頃なのだなあーとつくづく思
 います。
  小川さんは、岐阜県出身の東海のメンバーでしたが、温厚で気さくな紳士と
 言った感じでした。うろ覚えながら、養子婿入りされて名前が変わった筈です
 が、旧姓がどうしても思い出せません。
  訃報連絡に、ビルメインテナンスの仕事をなさった云々とありましたが、私
 もひところ同業他社の一員として関心事を共有し、いろいろ話し合った記憶が
 あります。
  小川さんのご冥福をお祈り致します。



 2.松澤さんから
  早野さんのこと、「七技会のひろば」で知り、また、ハガキをいただき、ご
 苦労を掛けていることを申し訳なく思っています。
  仕方がないことですが、こんなにして少しずつ友人を失っていくのでしょう。
  早野さんの中央学園の教官時代に、あまりにおとなしい様子を単身赴任の寂
 しさのせいかと、医務室の田村看護婦さんが心配していたことを思い出します。
  今も、彼の静かな姿を思い出します。
 
  私事ですが、玄冬期にもちょっぴり楽しさをつけたいと、読書のまちづくり
 応援団を作り、偶数月に音楽サロンを、奇数月に読書サロンを図書館で開いて
 います。
  昨日の音楽サロンでは、トランペットの生演奏と演奏の解説をしてもらい、
 大変面白い内容でした。そのあと、持ち寄ったCDをかけ、マニア手作りの真
 空管アンプの奥深い音色を楽しみました。
  また、先月の読書サロンで紹介された「また、桜の国で」を読み、ポーラン
 ドの悲しみを知り、昨日の音楽サロンで、本に出てくるショパンの「革命のエ
 チュード」のCDを掛けて、少し話をしました。

  「七技会のひろば」では、堀、波多野、友野、米田各氏の暮らしの香りを楽
 しんでいます。
  ご面倒でも引き続きのお世話をお願いいたします。



 3.丸山さんから
  小川さん他界の知らせを受け取りました。有難うございます。
  近年は年賀状のやりとりのみで顔を合わせていませんが、在りし日の思い出
 が瞬時によみがえりました。
  ご冥福をお祈りするのみです。

  小生ですが、今頃になって10日ほど前から親不知が悪化しドクターから抜歯
 を勧められ明後日施術予定です。顎の骨を削るとの説明です。放置すると骨髄
 炎のリスクがあるとのことなので、やむを得ず受けることにしましたが憂鬱な
 日々が続いています。
  これから暑さが本格化します。ご自愛のほどを。



 4.七業会の八尾さんから
  七回業務科の八尾さんからも思い出をいただきました。以下は、ちょっと
 長いですがその一部抜粋です。

  「七技会のひろば」と七業会の訃報連絡とから早野さんの訃報を知りました。
  早野さんは、本当に穏やかで口数の少ない方だったと記憶しています。卒業
 してからは一度もお会いする機会はありませんでしたが、あの方の人柄は今で
 も記憶に残っています。
  年月が定かではありませんが、植木さん・早野さん・吉田さんと私の四人で
 長野県の菅平へスキーに行ったことがあります。
  最初の夜は、上田市内の植木さんのご自宅に泊めて頂き、ご両親からそれは
 大変な歓待をうけました。
  翌日バスで菅平に行き、夜は近くの旅館(たしか丸山旅館だつたと思います)
 に泊まったのですが、四畳半位の部屋に四人押し込められて、夕食はなかなか
 出てこないしとうとう風呂に入ることはできませんでした。翌朝起きると枕元
 にウッスラ雪が積もっていました。
  このあり様に怒った植木さんが、今夜の宿泊をキャンセルして俺の家に行こ
 うと言いだして、結局丸山旅館は一泊だけで二日目は菅平から仙仁経由須坂ま
 でカントリースキーのまねごとで帰りました。
  余談ですが、スキー場の指導員の話では菅平から仙仁までの所要時間は15分
 から2時間ということでしたが、我々四人は40分くらいで辿りつきました。
  これも余談ですが、植木さんはスキーの指導員の資格をお持ちでしたが、他
 の三人はズブの素人に近い腕前でした。
  しかし植木さんが、体重のかけ方やスキーの蹴りだし方ストックの使い方等
 々を丁寧にコーチしてくれたので、皆さんなんとか滑れたのだろうと思います。
  結局また植木さんのご実家に二泊させて頂き、上田市内近くの須川湖や軽井
 沢のスケートリンクでスケートを楽しんで帰京しました。
  植木さんが、スキー板の蹴りだし方やストックの使いかたスケート靴の紐の
 締め方や滑りだし方等々懇切丁寧に教えてくれるのを、早野さんはズット静か
 に最後まで聞いていました。
  私のように生半可に聞いて滑り始めるのとは全く正反対の、本当にこの方は
 真面目な人なんだなと感心した記憶があります。
  早野さんの訃報を知り、こんな昔の話を思い出しました。



 追記:
  7月1日、小川さんの娘さんから電話を頂戴しました。一連の訃報連絡への
 お礼でした。感じのいい娘さん、と言ってもそこはそれなりのお歳を重ねた落
 ち着いた明るい話し振り。
  小川さんはお二人の娘さんをお持ちだった由です。
  そのお二人が、入れ替わり立ち替わり、いろいろ話して下さいました。その
 つながりで、このブログの存在をお話しし「是非見て下さい」とお願いしまし
 た。多分見て下さっていると思います。













 2018.07.09 米田書き込み





 次回更新は7月24日の予定です。