七技会のひろば

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更新:毎月9日と24日が努力目標

保険の幟旗

2016年03月24日 | お話サロン
         保険の幟旗

 我が家の隣は一之瀬丸と名乗る釣り船宿です。
 釣り船宿については別の機会に話すことにして、その隣は生命保険会社のビ
ルです。生命保険会社のビルにはいわゆる「保険のおばちゃん」の基地があり
ます。毎朝夕にキレイなおばちゃん、それほどでもないおばちゃん等々がたく
さん出入りしています。
 我々が卒業して間もなく、現場から管理段階の事務机にへばりつく様になっ
た頃、保険のおばちゃんは事務所の中を獲物を求める雌豹のごとくうろついて
いました。初めは適当にあしらっていましたが、結婚し子供が生まれる頃にな
ると彼女たちは嗅覚鋭く波状攻撃を掛けてきました。座席の横に座り込まれて
格好の餌食になりました。
 当時何を考えて生命保険の契約をしたのでしょうか?
 30歳前後の身空でどんな将来の生活を予測していたのでしょう?
 或いは、単に己が給料で払える限度を見据えてか? あの頃は定期昇給や春
闘、逆に物価上昇も、それぞれそれなりに期待出来たのでそんなに深刻に考え
ずに保険のおばちゃんの口車に乗ることが出来たのかも知れません。もちろん
妻子への愛情や義務感が背中を押したことと思います。
 さて、今日の話題は見映えよい保険のおばちゃんに鼻の下を伸ばした話では
ありません。
 生命保険会社の玄関先に写真の幟旗に書かれた「認知症治療保険」が気にな
った話です。

   

 つい先日までは、自分の葬式代が確保出来ればいいや!と思って生命保険を
掛けて来ましたが、ここへ来て少しずつ心配事が増えてきました。自分の身体
を制御出来ない事態に加えて、己の精神をもコントロール出来ない事態に備え
なければならないことが喫緊の課題となっている、と痛切に感じるのです。
 新聞・テレビにそのことに関する話題は尽きません。
 「認知症治療保険」は、対象となる状態が180日を超えて続いた場合、給
付の対象になるらしいのですが、その是非はともかくとして、そんな心配をし
なければならなくなった「自分の年齢」と「世の中の健康事情」をひしひしと
感じさせられた幟旗でした。
 皆さんはどのようにお考えでしょうか。
 「心身共に健全、心配なし!」それはそれはうらやましいことです。
                               以上





2016.03.24 米田書き込み





次回更新は4月9日の予定です。






以下は、七技会の意思とは無関係に入って来るコマーシャルです。



大事業を側聞するの記

2016年03月09日 | お話サロン
        大事業を側聞するの記

 
 大事業とは、波多野さんのスペイン語純文学作品「百年の孤独」の日本語へ
の翻訳のことです。
 事は、昨年(2015年)の元旦、波多野さんからのメールで始まりました。
 波多野さんが「スペイン語で書かれた古典的小説を全文翻訳する!」との爆
弾宣言です。
 どんな本だろう?と問い返すと
  作者:1982年のノーベル文学賞を受賞した「ガルシア・マルケス」
  作品:「百年の孤独」
  原書:スペイン語
でした。(物語の内容については波多野さんご本人及び松戸さんが後記してい
ますのでそちらを参照してください。)
 外国語に弱い私にとっては気の遠くなる話です。

(原書の表紙を以下に示します。)


      


 ご本人曰く。
 『「百年の孤独」は、スペイン語を志す者にとっては、セルバンテスの「ド
ンキホーテ」とともに死ぬまでに何とかして原書を読破したいと願う憧れの作
品です。横浜スペイン語学校のクラスには、私と同じ気持ちの同年代のオジサ
ン、オバサン達が懸命にネイティブ先生の講義を聴いています。現役時代に果
たせなかった夢を、人生の土壇場になって実現しようとしているのでしょう。
単なるカルチャー・サークルとは違う雰囲気です。
 ただ、ラテンアメリカの歴史・文化等にさほど関心のない一般の人々、特に
日本人は、この種の多国籍人種が多数登場する叙事詩的小説を読破するのに相
当の忍耐力が要ると思いますので、私はあまりお勧めできません。正直言って
邦訳版でも「小難しく、四苦八苦する」こと間違いなしですから。
 私の場合はスペイン語と言う「麻薬」(脱法ハーブ?)に侵されてしまった
ので・・・。(笑)。』

 波多野さんがスペイン語にご執心であることは卒業後の付き合いで承知して
いましたが、ここまで病膏肓とは。
 こんなやり取りで始まった翻訳ですが、1章の翻訳が終わる毎にメールで訳
文をいただきました。
 始めは、普段滅多に触れることのない外国の純文学作品を読む絶好の機会と
喜び勇んで読みましたが、順次進むに従い道半ばにしてギブアップ、遂に不甲
斐なく次のメールを波多野さんに送る仕儀となりました。

 以下は私から波多野さんへのメールの一部です。
 『一昨日は古典の日だそうです。幼い頃から、秋は読書の季節とも言い聞か
されています。今朝起きた時、今日は文化の日、この日にふさわしく本を読む
ぞ!!と意気込みました。いただいている「百年の孤独」、これぞまさにふさ
わしいと読み残しているプリントアウトを引っ張り出しました。
 しかし、そこへ生憎の電話、悪魔の誘いです。ついついほいほいと誘いに乗
ってしまい、今帰って来ました。朝引っ張り出したプリントは空しくテーブル
の上です。そこへ昔、言い聞かされたことばをまた悪魔が耳元でささやきまし
た。「積ん読(つんどく)も読書のうち」と。
 そーだよ、未読の本を溜め込むのも読書だよ、とプリントを本の山の上にそ
っと置きながら「読むモノがたくさんある幸せ」を感じました。
 いただいた訳文の半分は読みました。残りの半分は今のところ「積ん読」で
す。そのうち、順番に目を通します』

 という次第で全文読み通す筈だった私は、全20章のうち1/3の第7章で
ギブアップしましたが、波多野さんはこの2月初旬に下の写真の様にCD-R
OMに全文を収め全ての翻訳作業を完了なさいました。
(全文B5版で451ページ、約28万字です。)



 すごいですねー。日本語でも読み通すことが出来なかった小説を独力で全文
翻訳するなんて、驚きです。

 一方、波多野さんの作業の進行に合わせて訳文の全部を読み通し、詳細な感
想文を送り続けたのが松戸さんです。私は松戸さんの感想文の全部を同時進行
的に読ませていただきましたが、その内容は松戸さんらしい真面目さと驚くほ
ど綿密に読み、かつ洞察する丁寧さに溢れる応援歌でした。
 その松戸さんに感想を改めて書いていただいたので続いて掲載します。

 なお、今回の快挙を祝して2月26日夜、新橋の居酒屋で七技会会員4人が
集まり「完訳祝い」を盛大に行いました。



 話は変わりまして、以下は松戸さんからいただいたコメントです。


 この度、波多野さんが、アッと驚く快挙を成し遂げました。
 前段で米田さんから紹介がありましたが、コロンビアのノーベル賞作家「ガ
ルシア・マルケス」のスペイン語小説『百年の孤独』の翻訳に挑戦し、見事に
完訳を果たしました。何が凄いかと云うと、波多野さんは、かねてからスペイ
ン語教室に通ってスペイン語の研鑽に励んでいましたが、皆さんご存知の通り、
波多野さんは無線のプロとして、外国を中心に活躍され、途上国の発展等に大
きく貢献された生粋の技術屋さんです。
 私的には、翻訳はもとより文学の世界は彼にとって、どちらかと云えば、疎
遠にあたる存在(ジャンル)ではないかと思っていました。しかし、今回、ス
ペイン語を志す者にとっては大きな目標となっている作品の中からノーベル文
学賞という頂点を極めた小説『百年の孤独』の邦訳に挑戦し、遂にやり遂げた
のであります。
 翻訳と云う仕事は、語学の勉強には欠かすことのできない手法であり、相当
の努力を必要とすることは想像できます。
 翻訳するということと読解とでは、求められる学力、知識等相当のレベル差
があり、それなりの覚悟、即ち本気度が試されているということです。まして、
ノーベル賞作家によるスペイン語小説の翻訳とあって、外国経験が長く語学堪
能な波多野さんをもってしても相当厳しいものになるものと推察しておりまし
た。私事ですが、以前、学校で英語小説の翻訳コースを選択した時に、指導教
官から、自分が分かるという意味での読解と、読者を惹きつけ、満足させてい
くことの必然性を帯びた翻訳とでは、その難しさにおいて、格段の差があるも
のと云われたことがありました。しかし、波多野さんは“意志のある処道あり”
の格言を、まさに地で行くことに挑戦しました。以前から波多野さんの文章は
いろいろ読ませてもらっていましたので、私は波多野さんなら大丈夫との確信
を抱いておりました。
 「百年の孤独」の翻訳開始初期の頃、頂いた翻訳ものを読んでみて、その厳
しさに愕然としました。この物語の概括は、コロンビア北部カリブ海沿岸地方
の、“マコンド”と呼ばれる一寒村を舞台に、或る強力な一族が一世紀の長きに
わたって活躍し、百年後に滅亡の道を辿った史実を背景に展開する筋書きで、
それを百年前にジプシーが予言しているという内容ですが、常識外の出来事の
連続で、マルケス独特の「魔術的レアリズム」が呪文のごとく飛び交って、現
実から魔性の世界へ、魔性の世界から現実へと行ったり来たりが展開され、理
解しがたい状況が随所に出て来て流れるように読み進むことは出来ませんでし
た。
 波多野さんは読む人の気持ちを察して、分かり易くの精神で翻訳に励んでい
る雰囲気は伝わってきました。それでも難解な表現に悩まされた作品です。特
に外国物は読みづらいことが多く、恐らく途中の段階が波多野さん自身にも相
当きっかったもの推察しています。私も幾度も読み返すことによって読み進め
ていった経緯がありました。よくぞ、この難解な長編物語に挑戦したものだと、
心から拍手を送り、その労をねぎらっております。
 先に、若干触れましたが、物語は史実がベースとされています。ただ、全編
を通して発生している出来事によっては思考を停止させます。一世紀という時
の流れの中では、魔術的出来事も多く、作者「マルケス」が構想を練る段階で、
一族消滅の雪崩的崩壊をどのような形でイメージしていたかを考えています。
繁栄から滅亡までいろいろな形で不可解な事象を起こし、過ぎて行ったか、作
者はこの物語を通して、史実ベースと、「魔術的レアリズム」の世界を絡めて、
楽しんでいたものと思っています。
 高い知力、思い付きの豊富さ、語るに語れない奥の深い色恋沙汰、大胆かつ
デリケ―トな描写等、途轍もなく有能な人物であったことは間違いないでしょ
う。 
 この難解な作品「百年の孤独」の翻訳完了 おめでとうございます!  
                2016.03.04          松戸


                           

 文末になりましたが、ここで波多野さんご本人に登場していただきます。
 以下は波多野さんです。


”波多野記
 米田さんに紹介していただいたような経緯で昨年一月一日、途中で投げ出さ
ないよう、日頃から親しい友野、松戸、米田の諸兄に宣言して自分を追い込み
後を絶ち、全二十章の翻訳を毎月一章ずつメールして強制的(?)に読んでも
らいました(笑)。
 友達のよしみで三人は熱心に読んで読後感をコメントしてくれましたが、中
でも松戸さんからは最後まで毎回鋭いコメントや熱心な質問をいただきました。
 この広い世の中で、一人でもわたしの下手な翻訳を読んでくれている人がい
ると思うと俄然やる気が出てきて、ひょっとすると死ぬまで無理かと思ってい
た翻訳作業を今年二月に完了させることができました。
 松戸さんの暖かな声援がなかったら、間違いなく途中で挫折していたでしょ
う。先日、お三人に完訳祝いまでしていただき、つくづく持つべきは友達だと
感激しました。
 「百年の孤独」邦訳はもちろんわたしが最初ではありません。四十数年前に
新潮社から堤直の名訳が出版されていて、わたしの翻訳も堤直版が下敷きにな
っています。
 ただ、原文を読んでわからないところはネイティブの先生に聞き、できるだ
け身の丈に合った表現を心がけました。
 もともと誰のためでもなく、自分が生きている証としての翻訳でしたが、そ
れをこのたび米田さんと松戸さんが「七技会のひろば」で紹介してくださるこ
とになり、お二人の”誇大広告”に穴があったら入りたい気持ちでいっぱいです。”
               2016.03.02          波多野

                             以上



**後記**
 今回は波多野さんの翻訳への挑戦を、また昨年は松澤さんの町会議員選挙へ
の挑戦を取り上げました。引き続き皆さんの常日頃のご活躍を順次取り上げた
いと思いつつも情報網が不備で当方のアンテナに引っ掛かって来ません。
 皆さんのアンテナに引っ掛かった「あいつが、こいつが、こんなこと、あん
なことをやってるよ!」と情報がありましたら教えてください。ご自分のこと
も大歓迎です。
 また、記事として投稿していただけると更に助かります。
 よろしくお願いします。                   米田







2016.03.09 米田、松戸、波多野で共同書き込み







次回更新は3月24日の予定です。






以下は、七技会の意思とは無関係に入って来るコマーシャルです。