七技会のひろば

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更新:毎月9日と24日が努力目標

どうする どうしよう 七技会

2016年09月24日 | お話サロン
         どうする どうしよう 七技会

 次から次へと来襲する台風。
 7号 (北海道に上陸)
 11号(北海道に上陸)
 9号 (千葉に上陸−北海道に再上陸)
 10号(岩手に上陸)
 12号(長崎に上陸)
 そして16号(鹿児島に上陸−和歌山に再上陸)
と続き、各地でそれぞれが大きな被害をもたらした。

 今年はちょっと異常であると言えば簡単だが、台風だけではなく、猛烈に降る局地的な雨
もあちこちを痛めつけた。

 七技の誰かが困っていないかな?と頭を巡らせるが、これだけ多くの地域で被害発生のニ
ュースが流れると、どこそこには誰と誰などと考えが及ばない。

 皆さん、大丈夫ですか? 被害はありませんでしたか? お困りではありませんか?

 しかし、「ハイ、私、困っています」と手を挙げられても、助けに行く体力はありません
が、一人前に心配だけはしています。

 こんな時、七技会は何をどうするのでしょうね?

 東日本大震災は、幸い被災地域にどなたも居なかったのですが、今年の熊本大震災では、
直近に桑原さんがお住まいでした。ただただ、おろおろするだけで何もしてあげることが出
来ませんでした。

 具体的に事が起きると、日頃の交流が親密に保たれていないだけに弱さが露呈しますね。

 こんな時のために、何かを考えておくべきか、思考停止すべきか?

 どうする どうしよう 七技会。
                                以上



2016.09.24 米田書き込み





次回更新は10月9日の予定です。






四年後を語る若さ

2016年09月09日 | お話サロン
         四年後を語る若さ


「四年後を語る選手にある若さ」(神奈川県 和泉まさ江)

 朝日新聞の朝日川柳(2016.08.26)の引用である。
 開会前はいろいろと取り沙汰されたリオのオリンピックであるが、いざ始ま
って金メダル獲得のニュースにいろいろを忘れて沸いた。
 メダル獲得した選手にインタビューすると口々に2020年の東京オリンピック
を視野に入れる発言が相次いだ。
 いまここに辿り着くまでが大変だったろうにもう次のオリンピックを語る若
さってすごい!と感心しつつ、我々も若い胸を膨らませて四年後を語ったこと
があったのを思い出した。

 時は、1961年9月。
 場所は、学園の平屋建て木造教室。
 卒業を間近に控えたホームルームの時間。
 何時しか、卒業後のクラス会の開催時期に話題が移った。その時の結論は、
オリンピックの年にクラス会をやる。それで実現したのが、東京オリンピック
の興奮冷めやらぬ1964年11月04日の伊豆片瀬温泉での第一回七技会総会でした。





 当時は、紅顔の美少年と言うには薹が立っているが概ね24〜25歳、若かった
ですね。
 我々にも四年後を熱く語った時代があったのです。

 前記の川柳に触発されて次のクラス会は何時、何処でかな?と期待に胸を膨ら
ませています。

   

                          以上






2016.09.09 米田書き込み