前回「ホテル銀座ラフィナート」について書いた。
正直な話「ホテル銀座ラフィナート」は昨年の9月29日の総会以来見ていない。
いろいろ書いた以上は現状を見届けて置かなくては、と思い始めたら気になってしょうがない。
そこで一昨日(5月22日)日比谷同友会の写真サークルの例会の後、見に行った。
外観はどうしてどうして立派なものである。
しかし、ビルはスカートを穿いたように工事養生用の白い鉄板が取り巻き、近づくことが出来ない。
問題のレリーフは養生の鉄板越しに上半分が見えた。
工事の人が居たら写真を撮らせてもらおうと探したが全く居ない。
あちこちのぞけるところがないかうろうろしたが駄目!
いろいろ試み、ようやく養生鉄板の下からカメラを差し込んで撮ることができた。
レリーフには「自動電話交換発祥之地」の銘と
「1926」(大正15年、京橋電話局の開局の年)の文字が刻まれている。
盤面はA形自動交換機のスイッチと回路図をデザイン化したものとお見受けするが、
どうやらアイデア倒れの空回りの感無きにしも・・・。
このレリーフの除幕は1975年(昭和50年)1月20日である由。
そう言えば、確か「京橋会館が出来る時に募金の奉加帳が回って来た」ことを思い出した。
2013.05.24 米田書き込み
正直な話「ホテル銀座ラフィナート」は昨年の9月29日の総会以来見ていない。
いろいろ書いた以上は現状を見届けて置かなくては、と思い始めたら気になってしょうがない。
そこで一昨日(5月22日)日比谷同友会の写真サークルの例会の後、見に行った。
外観はどうしてどうして立派なものである。
しかし、ビルはスカートを穿いたように工事養生用の白い鉄板が取り巻き、近づくことが出来ない。
問題のレリーフは養生の鉄板越しに上半分が見えた。
工事の人が居たら写真を撮らせてもらおうと探したが全く居ない。
あちこちのぞけるところがないかうろうろしたが駄目!
いろいろ試み、ようやく養生鉄板の下からカメラを差し込んで撮ることができた。
レリーフには「自動電話交換発祥之地」の銘と
「1926」(大正15年、京橋電話局の開局の年)の文字が刻まれている。
盤面はA形自動交換機のスイッチと回路図をデザイン化したものとお見受けするが、
どうやらアイデア倒れの空回りの感無きにしも・・・。
このレリーフの除幕は1975年(昭和50年)1月20日である由。
そう言えば、確か「京橋会館が出来る時に募金の奉加帳が回って来た」ことを思い出した。
2013.05.24 米田書き込み