七技会のひろば

投稿、ご意見及び情報は米田へどうぞ
更新:毎月9日と24日が努力目標

お詫び

2023年11月06日 | お話サロン

            お詫び

  

  このブログサービスシステム、60日間投稿しないと閲覧することが出来な

 くなるとは、知りませんでした。

  「11月30日までは全ての資料を保管します」との宣言を守ることが出来

 ず、申し訳ありませんでした。深くお詫びします。

  ごめんなさい。

  宣言通り、このブログを今月末日まで閲覧できるよう維持いたします。

                              以上

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「七技会のひろば」終了の挨拶及び「七技会のひろば」について

2023年08月24日 | お話サロン

  「七技会のひろば」終了の挨拶

          及び「七技会のひろば」について

 

 

      「七技会のひろば」終了の挨拶

                            2023.08.24  米田 

  私たちの七技会は、去る5月末日を以って組織的な活動を終えたました。こ

 れに伴い5月31日の「解散宣言」に記した通り、このブログ「七技会のひろ

 ば」は8月一杯で以降の更新を停止します。

  このブログを始めたのは、2011年5月でしたから足掛け13年、よくぞ

 まぁー続いたものです。この継続は、七技会の皆さんのご協力あればこその成

 果です。

  振り返りますと「賀詞交歓会」や「近況報告集」等としてワイワイガヤガヤ

 と葉書や文章にお集まり願って大きな賑わいを、今の流行りの言葉で言えば

 「オフライン七技会」を楽しみました。時には、一部の方々からたくさんの

 エッセイ等を次々投稿いただきました。また或る時には、七線会等の定期的な

 懇親会の様子を伝えていただきました。一方、ニュースとして「いろいろな集

 まりに付きもの表彰」や「叙勲」等を伝える役目も担わせてもらいました。

  しかし、年月の経過は非情です。我々生物の摂理と言えばそれまでですが、

 最近は「訃報」や先立った方々の「思い出」を載せる回数が増えました。

  いろいろと概ね月2回の記事の更新を続けて来ましたが、先行きを考えると

 ワンオペでは早晩限界にぶちあたると考え、数年前から「どなたか一緒にやっ

 て頂けませんか?」と何度か応援要請をいたしましたが、それぞれにお忙しい

 ようで、手を挙げてくださる方はいらっしゃいませんでした。そうこうしてい

 るうちに、私自身の健康状態が怪しくなり、「一時更新休止」を宣言せざるを

 得ない事態ともなりました。しかし、幸いにも短期で快復し、定期更新に復帰

 しましたが、先行きに不安は消えません。

  でもです。ワンオペを嘆きましたが、ワンオペを楽しんだのも事実です。や

 りたい放題を謳歌し、私物化で、顔を顰めている方もおいでだったかも知れま

 せん。これについては、ここでお詫び申し上げます。御免なさい。お許しを。

  そんなこんなの状況の下で冒頭に記した「七技会の組織的活動の終息」を宣

 言することになり、それに伴う「七技会の資産整理」も会計幹事を担当してく

 ださった友野さんのおかげで無事終了しました。

  組織的活動で残っているのは、このブログ「七技会のひろば」だけになりま

 した。

  以上の経過を踏まえて、このブログも、今日2023年8月24日で定期的

 な更を停止いたします。また、さみしいのですが11月末には「七技会のひ

 ろば」そのものをどんな形で行うかはこれからの考究事項ですが、何らかの形

 で終了させます。

  ブログを運用していた13年の間、時々皆さんから「あれを見たよ。面白か

 った!」或いは「こんな話も・・・」とコメントを頂戴しました。こんなコメ

 ントは次への力になりました。

  このブログ「七技会のひろば」の毎週の閲覧者数は、毎週大凡延300回/週

 前後でした。また、開設以来の総閲覧回数は、約15万回強を数えています。

  この数字が、ブログとして多い少ないは別として、たくさんの方々に見てい

 ただいたのだ!自画自賛に値する数字だと自負しています。

  ほんのちょっとの挨拶のつもりで書き始めましたが、ついつい長くなってし

 まいました。

  七技会の皆さん、七技会の組織的活動は終わりましたが、「七技」としての

 繋がりを終わりにするものではありません。

  この先も定期的に開催なさっている「拡大七線会」を先頭に、地域的な、同

 好会的な、これまでの井戸端会議的な、或いは居酒屋での友達付き合い、等々

 を軸に、第七回高等部技術科で得た地域を超えた繋がりを大切にし、楽しい

 流を続け ましょう。

  末筆ですが、皆さんのご支援・ご協力に心から感謝いたします。本当にあり

 がとうざいました。

  また、皆さんのこの先のご健康と末永いご安寧をお祈り申し上げます。

 

  蛇足ですが、最後にマッカーサー元帥の言葉を「七技会」に重ねてみました。

  Old Nanagikai never die, they simply fade away.

                でも、I shall return.  と言えないのが悲しい

           では、皆さん、ご機嫌よう!

 

                              以上

 

 

 

  続いて、「七技会のひろば」の名付け親として、また、最後の幹事のお一人

 としての友野さんに「七技会のひろば」の終了を見送る言葉を書いていただき

 ました。

  なお、原稿の依頼に当たって、内容、形式、文字数等に一切の注文を付ける

 ことなくお願いしたため、穴があったら入りたいちょっと面映い内容になって

 いますが、せっかく書いてくださったのです。素直にお受けしましょう。

  友野さん、ありがとうございます。

  以下は、友野さんの「七技会のひろばの終了を見送るお言葉」です。

 

 

 

 

       「七技会のひろば」について

                            R5.8.11 友 野

  卒業以来会員相互のコミューニケーションをはかる場として「近況報告集」

 なる冊子を作り総会などの際に配布してきたが、時移り手間と金のかかる冊子

 を配るのは止めインターネットを利用して意見交換をするようにしたらどうか

 というのが「七技会のひろば」発足の考えだった。従って“ひろば”は「共通の

 ひろば」の意で黙っていても会員から投稿があり“ひろば”で楽しい話し合いが

 できるものと思っていた。

  イメージは学園生活での“盆踊り”だ、提灯のぶら下がった会場で輪になって

 踊ったあの光景である。幹事の米田さんのお陰で立派な仕組みが出来上がった。

  しかしその後の様子をみるとしょぼしょぼと投稿があるくらいで仕組みが機

 能していない。会員は一杯飲んで輪になって踊るのは得意だが自ら文章を作り

 投稿するのはどうも苦手になったようだ。言われたことを従順に従うことに慣

 れ過ぎてしまったのか、それとも誰かがやるのを拝見させていただこうとの謙

 虚な心からか?このままではさびれてしまう。やはり誰か“ひろば”を引っ張る

 牽引者が必要である、ということで事務局としてまたもや米田さんの登場とな

 った。

  以降事務局がリードして維持管理にあたり、会員の訃報やそれに関連した投

 稿、会員の近況、トピックス、同窓の他の会の様子などが随時掲載され結構見

 応えのあるものとなり現在に至っている。運営は平たく言えば牽引者の後ろに

 従順な会員が付いて来たということではないかと思う。思ったこと、経験した

 ことを“ひろば”に投稿すれば(具体的には米田さんに送れば)あとはうまい具

 合に処理され”ひろば”に掲載される、まあなんと便利なものだと米田さんの御

 苦労はそっちのけで会員は極楽トンボを決め込んでいた。この実態について七

 業会の人からも“いいなあ、面倒を見てくれる人がいるなんてうらやましい”と

 の声を聞いている。何の滞りもなく順調に運営されたかと言えばそうでもない。

  ここまで立派に運営できたのは事務局の努力に負うところが大きい。近況報

 告集でもそうだったように黙っていては原稿は集まらない、どんな原稿を誰に

 頼もうか?から始まる仕事は気苦労のおおい大変な仕事だったと推察する。そ

 の役目を長いあいだ担ってくれた米田さんは“七技会のひろば”の立役者である

 とともに信頼の厚い運営者であった。このほかにも維持管理にまつわる多くの

 御苦労があったことと推測する。

  “ひろば”終焉にあたり米田さんに長いことお世話いただいたことへの感謝と

 敬意をささげます。ありがとうございました。

                              以上

 

 

 

 追伸:ブログ「七技会のひろば」は、今年の11月末日まで現在の形で閲覧

    出来るよう維持します。

    その後については時の流れの波に委ねます。

 

 追伸2:未練がましいのですが、もう一度、皆さんにお会いしたかったです。

    皆さんの現状を知りたいです。

    元気な方はともかく、積もり積もった歳の重みと戦っていらっしゃる方

    もおいでか?と思います。

    「負けるな一茶ここのあり」ではありませんが、七技会で楽しんだ諸々

    を思い出し打ち勝つまで戦いましょう。

 

 

 

 

 

2023.08.24 米田書き込み

 

 

 

次回更新の予定はありません。今回で終了です。

長い間、ありがとうございました。

 


訃報 甚田さん 及び 甚田さんのこと

2023年08月09日 | 訃報

    訃報 甚田さん 及び 甚田さんのこと

 

  去る7月13日に友野さんから「甚田さんの訃報」が届きました。

  「えぇ!甚田さんが!」あの元気なお方でしたから大きなショックです。

  詳しくは、「つい先日の五月二十二日 八十六歳でのご逝去」だそうです。
 
  心からお悔やみ申し上げ、ご冥福をお祈り致します。
 
             
 
 
  なお、恒例による「甚田さんの思い出」は、公私を通じで最も近かったと思
 
 われる友野さん願いしました。
 
  以下は、友野さんが書いてくださった「追悼の言葉」です。
 
 
 
 
 

           甚田さんのこと

                        令和5年7月31日 友野

  今年の5月13日に逓信同窓会首都圏支部から米寿のお祝いを受けた。甚田

 さんと一緒に。受賞者の挨拶をすることになり最初に指名された甚田さんは今

 に至るまでのステップをふくめていつになく丁寧な挨拶をした。いつもは二言

 三言で終わるのにめずらしいなとその時は感じた。“挨拶なんてチョコットでい

 いんだ聞いちゃあいねえよ、それより早く乾杯に移った方がみんなの為だ”と言

 うのがいつもの甚ちゃんだったのに。今思うと皆さんに伝えておきたかったの

 だろう、甚田と言う男がこうしてここにいるということを。その思いが丁寧な

 挨拶につながったのかもしれない。甚ちゃんにしてはめずらしいことだった。

  それから9日後に他界するなんて。

  7月12日に甚田さんからはがきが来た。会った時に“七線会の幹事、今度は

 俺だから近いうちに連絡するよ”との話があったから、てっきりその知らせと思

 って見たら5月22日に亡くなられたとの訃報であった。びっくりした。

  まさかと言う事が本当に起きるなんて、まさか甚田さんにそのような事が起

 きたなんて想像もできないことだった。同期の中で最後まで生き延び七技会の

 後始末をしてくれる人と思っていたのに、惜しい男をなくした。

  だけど一番びっくりしたのは奥様ではないか。四十九日を過ぎているのであ

 る程度落ち着かれているのではと電話したのだが、まだまだ情緒不安定な様子

 が受話器を通して伝わってきた。亡くなられた経緯は奥様と友人との情報をつ

 なげてみると、同窓会の後、数日して本人が体調不良を訴え救急車で運ばれた

 が数日間の入院で退院してきた。その後数日して再度救急車では運ばれ帰らぬ

 人となったということだった。

  武骨そうに見えるが結構細やかな心の持ち主で健康には気を使っていたよう

 に見えた。健康を維持するには「歩くこと」が大切と決め、江戸からの五街道

 を制覇するのだと意気込み、まず東海道、次は中山道と挑戦していた。仕事で

 は専門が線路と機械と異なっていたが同じころに同じ大部屋で仕事をしていた

 ように思える。六本木でいつも真夜中に顔を合わせていたことが懐かしい。酒

 にも沢山の思い出がある。退職後の会社勤めの頃も同窓の先輩ともども盃を交

 わしたことも良き思い出である。一見ずぼらそうに見えるがどうしてどうして

 計画的で繊細なところがあり、訃報葉書の原文も本人があらかじめエンディン

 グノートにしたため、残された者には何時何をすべきかまで細かく記載されて

 いたと聞いている。口先はうまいほうではないが心温かくよく気の付く男だっ

 た。

  これでまた良き飲み友達を一人なくした。淋しい。ご冥福を祈る。合掌。

                              以上

 

 

 

2023.08.09 米田書き込み

 

 

 

次回更新努力目標 2023.08.24

 

 


大久保さんとの思い出

2023年07月24日 | お話サロン

         大久保さんとの思い出

 

  大久保さんは、今年(2023年)のお正月気分が未だ取れぬ1月13日に

 85歳でお亡くなりになりました。その事を、彼のご長男樣及びご長女様がそ

 れぞれの方法で連絡くださいました。彼が介護施設に入所していたこと、及び

 コロナ禍で面会等についての制限が厳しかったために役割分担の割り振りが上

 手くいたかなったのか?それまでのお付き合いの濃さの成せるわざか?何れに

 しても丁寧な文面で知らせて下さいました。

 

  大久保さん(以下、「彼」と呼ばせてもらいます。)がお亡くなりになっ

 てから半年経過してしまいましたが、遅れ馳せながらの彼との思い出を書い

 てみようと、キーボードに向かいました。

 

  彼との接点は、以前(2020年07月24日)このブログで「私の奇跡」と題し

 て書いたことがある、東京電信電話管理局(当時、東京は「電気通信局」では

 ありませんでした。)への入社式の記念写真で、至近距離に立っていたことを

 書きました。其の時はお互いに知らず終いでした。次の接触は、皆さんと同じ

 く高等部技術科へ入学してからです。

 

  彼との交流は、在学中はさておき、卒業時に割り当てられた住まいとしての

 独身寮がたまたま同じだったことから始まりました。互いの配属局所は大きく

 離れていましたが、東京の江東区亀戸の大島寮です。この寮には賄いはありま

 せん。もちろん自炊でした。

  休日の夜食には、よく一緒に近くのラーメン屋へ足を運びました。当時の独

 身寮にはテレビはありません。だから当時の人気番「サンダース軍曹の活躍

 する『コンバット』」の時間に合わせて出掛けて行きました。お互いに誘い合

 わせて。

 

  また、お休みのある日には、一つの部屋に集まり、二人でお金を出し合って

 「サントリーの角瓶」と「トリスウイスキー」とを買って並べて、味の違いを

 試してみました。結果は、二人ともどちらにも「うまい!」と軍配を上げるこ

 とが出来ず、味の違いも分かりませんでした。二人共、大人の味が分からない

 味覚音痴だったのでしうか?

 

  そんなこんなの蜜月を楽しんだ二人ですが、そう長く続きませんでした。

 れぞれの結婚で退寮してお遊びの交流関係は消滅しました。

 

  その後、交流を再開したのは、電電を卒業し、第二の人生も終わってからの

 ことです。

  二人には、不思議とツルンで居酒屋の暖簾を潜った経験がありませんでした。

 それよりも日帰りのお散歩、或いは一泊旅行がほとんどでした。初めの頃は山

 中湖一周など歩き専門でしたが、そのうち「九十九里浜を歩いてみよう」と言

 い出して、先ずは手始めに御宿で一泊。「月の砂漠」をイメージした広々とし

 た砂浜で遊びました。その時の彼の写真がこれです。

        

  この後、二、三回、民宿などで泊りながら「九十九里浜の波打ち際」を歩き

 ましたが、だんだん足腰が弱ってきた身には砂浜を歩くのは大義になり、お互

 いに「九十九里浜へ」とは言わなくなりました。

 

  そんなことの後のある日、彼から「入院している」との連絡が入り、四街道

 の近くのとある病院へ見舞いに行きました。

  病気は大したことではなく、ベットの横でぺちゃくちゃおしゃべりできる状

 態でした。その時の話題の一つに「山口県の瑠璃光寺を観てきたよ。美しい五

 重塔だった」と話したら、彼が「ちょうど読み終わったから」とくれたのが、

 幸田露伴の小説「五重塔」でした。

 

  もう一つ、小説をもらったお話。彼から「新田次郎の「剱岳(点の記)」の

 上巻をもらいました。しかし、下巻は自分で買いました。

 

  こんなやりとりなどがあって、そのうちに奥様がお亡くなる大きな出来事が

 ありました。

 

  それに続くしばらくの後に、彼自身が「脳梗塞」を発症しました。発症直後

 に彼自身がメールで知らせてくれました。メールには「脳梗塞発症、左半身マ

 ヒ、言語不明瞭。」とだけ書かれていました。これが彼からもらったメールの

 最後になりました。2019年3月19日のことです。

 

  この日から彼の闘病生活が始まり、病院へ、リハビリ施設へ、介護施設へと

 移り住むことになりました。その間、一度だけお見舞いを許されましたが、そ

 の時はもう「私との話には余興味を示さず、施設内のお仲間が優先」の状態

 でした。

 

  その後、2020年早々にコロナ禍が始まり、お見舞いの機会は与えられず、

 永の別れを迎えてしまいました。

 

  彼との繋がりにおいて、その間に感じたことは、頭のいい彼でしたが、一方無邪

 気な面もありました。相原さんの結婚披露宴の席で、隣に座る同僚氏に小さな声で

 囁いたそうです。「おい、このワイン、甘くないぞ!」と。赤玉ポートワインと間

 違えたのだろうとは、囁きを聞いた同僚氏の推測です。この話は、隣の席に座った

 同僚氏からの後日譚です。

 

  大久保さん、凸凹コンビで、よく遊び相手をしてくださいました。とても楽しか

 ったですよ。ありがとうございました。いつかまた二人でのんびり歩きましょう。

 しかし、九十九里浜のような砂地の歩きにくいコースはやめて、今度は富士山周回

 コースにしましょう。20回ぐらいに分けて。

  それとも途中でやめた箱根ー薩埵峠ー由比の続きの東海道コースにしましょうか。

 

  でも、今こんなお誘いをしてはユックリ眠れませんよね。私がそちらへ行ってか

 らしましょう。それまで、のんびりとお休みください。

 

  これまでのいろいろに深く感謝し、心からご冥福をお祈り申し上げます。

  安らかにお眠りください。

 

                                 以上

 

 

 

2023.07.24 米田書き込み

 

 

 

次回更新努力目標 2023.08.09

 

 

 

 

 

 

 

 

 


七技会の皆さんへ

2023年07月09日 | お話サロン

         七技会の皆さんへ

 

  七技会の皆さん、如何お過ごしですか?

  あちこちで記録的な!を通り越して災害級の大雨が・・・・・・、

 とテレビや新聞、ラジオが声高に報じています。十分に気を付けてください。

 

  さて、七技会の皆さんのお手元に、七技会からの連絡が届いたでしょうか?

 「七技会の活動の停止と残存資産の処分について」の連絡です。

  まだ届いていない方がいらっしゃいましたら是非連絡ください。

  これまでの各種連絡で使っていた連絡先(住所)へ5月29日に横浜金沢八

 景郵便局から普通郵便で送付しました。

  現時点で受け取った旨を何らかの方法で連絡下さった方は11名です。

  他の方にも届いているものと信じてはいますが、少しだけ心配しています。

  「何の話だい?俺には何にも?」の方、ご連絡ください。調査いたします。

  よろしくお願いします。

                           以上

 

 

 

 

 2023.07.24 米田書き込み

 

 

 次回予定目標 7月24日

 


畔柳さんの思い出

2023年06月24日 | お話サロン

          畔柳さんの思い出

 

  昨年(2022年)12月24日に90歳でご逝去なさった畔柳さん、その訃

 報を七技会に連絡して下さったのが、奥様から山内さんへ、でした。

 

  さて、「畔柳さんの思い出」とタイトルを書き込んだのですが、畔柳さんと

 は、余り接触がありませんでした。むしろ一番遠い存在だった、かも知れませ

 ん。

  彼の思い出の糸口を求めて卒業アルバムを引っ張り出してみました。引っ掛

 かったのは「剣道」と「社研」。

 

                  

  彼は、ちょっと小柄でやや取っ付き難い印象がありました。が、そうであり

 ながら、ニコッとした笑顔がかわいらしかった、と思い出しています。

 

  そんな彼が、学園生活の中で、ご自身の初心とは異なることを承知の上で、

 彼義侠心からお引き受けになったお役目が一つあったのでは?と思っていま

 す。

 

  私達の学園生活での特徴の一つは「60年安保」の大騒ぎの真っ最中であっ

 たことしょう。

 

  

  安保闘争は、学園といえども圏外ではなく、デモへの動員・参加がたびたび

 ありました。

  ノンポリの私は「せっかく学園=楽園に来たのだから組合なんかに目を向け

 ないで、安穏に過ごせばいいや」と思っていました。

  そんな考えでありながらも、幾度かデモに参加しました。

  国会議事堂へ、銀座へ、また或い時は渋谷の南平台へ、と。

  デモは、都心へ出掛けるお楽しみの一つでもありました。

 

  しかし、女子大学生の樺美智子さんが死亡する事件の後は緊張しまた。

 

  そんな安保闘争の最中の組合の役員をお引き受けて下さったお一人が確か

 柳さんったと思います。

  学園生活の中にあって、畔柳さんが組合とどんな関わりだったのか?知りま

 せんが、今になって思えば「誰もやり手がいないから」と背中を押されてお引

 き受けなったのでしょうか

 

  ちょっと小柄な彼が、講堂の演壇に立ち、堂々と演説する姿は立派でした。

  どこにそんなエネルギーが詰まっているのだ!と驚きでした。

 

  学園を卒業して、彼は東海へ、私は東京へ。

 

  それ以来「便りのないのがいい便り」とばかり、彼との接触がほとんど無い

 六十数年間を過ごしましたが、今日は確からしさに疑問を持ちつつ、資料のな

 いまま畔柳さんのい出を求めて、この文を書いています。

 

  昔、「人は二度死ぬ、一度目は生物学的な死、

       二度目は誰もからも忘れ去られた時」と教えられました。だから、

 

 思い出すのが彼への供養である」と信じて

                   思い出しました。

 

     畔柳さん、心地よい風になって見守ってください。

 

                              以上

 

  写真は、いずれも卒業アルバムから引用しました。

 

 

 

2023.06.09 米田書き込み

 

 

 

 

次回の更新努力目標は、6月24日です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


七技会は解散しました

2023年06月09日 | お話サロン

             七技会は解散しました

 

 

  七技会は、5月31日に解散しました。

  七技会は、1961年(昭和36年)9月に「この先四年毎のオリンピック

 の年に総会を開催し親睦を図りましょう」と約束を交わして、会員の数69人

 で発足しました。

  発足の翌日、会員は全国各地の各々の任地へ散って行きました。

 

  第1回の総会を東京オリンピックの年(1964年)に行って以来、概ね約

 束の通り全国に散らばる会員が、幹事役回り持ちで主には関東と近畿との地に

 また時には石川県、岐阜県にも足を延ばし、20回の総会=懇親会を行って来

 ました。

  第2回総会の会場は、千葉県館山で参加者数41人、そのときの平均年齢は

 ほぼ33歳(概算)でした。

  総会毎に「近況報告集」を作成し、全員が何かを書いて「俺元気!」と存在

 を明らかにして来ました。

 

  そんな総会も、20回の回を重ねて第20回を2019年に伊豆・修善寺で

 開催しましたが、参加者11名+1名に留まりました。それでも、次回の約束

 をし、担当していただく幹事の指名も忘れずに行い、4年後の再会を約束して

 別れました。

  にも関わらず第21回は、無情なコロナ禍に阻まれて一年延ばしの延期えん

 きエンキで今日になってしまい、また会員の年齢も米寿を迎え、或いは超える

 高齢化のため遠距離・長時間の旅行は無理!との懸念が重ねり、断念せざるを

 得ない、との判断に至りました。

 

 

  一方、会員の親睦を唯一・最大の目的とする「七技会」です。

  「総会ばかりが親睦ではない」とは分かっているのですが、何をやろうにも、

 例えば「近況報告集を作りましょう」と考えても、それをやる事務局も同じく

 高齢です。いつ何時倒れるかも知れません。そろそろ年貢を納める潮時であろ

 う、と観念しました。

 

  幹事は、無い頭を絞って、七技会の幕閉めを考えました。幕閉めには、少な

 いとは言え保有する資産を会員の全部が納得する方法で処分することが大切で

 す。

  いろいろ処分方法を考ました。

  具体的には以下の案です。

   第1案:何がなんでも集まれる会員が集まり、幕閉めを審議する総会を開

       きその費用に充てましょう。

   第2案:残りを全部どこかへ寄付しましょう。例えば「逓信同窓会」等。

   第3案:残りを全て会員に均等に配分しましょう。例え配分にどれだけ費

       用が必要であろうとも。

 

  幹事相談の結果、第3案を採用することにしました。

 

  心配した分配(送付)に要した費用は、「七技会解散の宣言書」を会員に送

 付する郵便料金を含めて20.5%で済みました。

 

   各会員が手にしたのは、ひらひらと千円札が舞い散る風情を演出できる金額

 には到底至りませんでしたがお小遣いの足しにはなったことでしょう

 

  以上の経緯で、前述の通り5月末日に七技会を解散しました。

  会員の全員に「解散を連絡し、残余の資産の配分金」を5月29日に送付し

 ました。

 

  これに対して、十一人の会員各位から電話で或いはメール更には手書きの手

 紙で受領連絡をいたきました。

  何れの方も、解散の判断を「了」とし、これまでの七技会運営に対する労い

 の言葉と共に「これからも連絡を密にして親睦を図りましょう」と書かれてい

 ました。

  とても嬉しく、またホッとした気持ちで受け止めることが出来ました。

 

  また、皆さんに長い間ご覧いただいたこのブログは、七技会の解散に合わせ

 てゆくゆくは閉じますが、取り敢えず少なくも8月末までは更新を続けます。

 是非、見てください。意見をお寄せください。

 

  最後に、皆さん、元気にお過ごしください。

 

  コロナ禍は、5類になったとは言え、高齢者には相変わらず恐ろしい感染病

 です。気を付けて、この先も「憎まれっ子世に憚る」の諺通りには憚かって生

 き抜きましょう。いつまでも。

 

                             以上

 

 

 

2023.06.09 米田書き込み

 

 

 

次回の更新努力目標は、6月24日です。

 

 

 

 

 


七技会のこれから

2023年05月24日 | お話サロン

         七技会のこれから

 

  七技会は、会の発足以来の年数を指折り数えると60年を超えています。

  人ならば、二、三年前に還暦を祝ってもらい、これからを如何に元気に楽し

 い生活を送るか、を考えている頃です。

 

  そんな背景の下で、七技懇親会の幹事である山内さんは、第21回七技懇親

 会を「七技会還暦祝い総会」と名付けて盛大にやろう、となさっていました。

 

  しかし、無情なコロナ禍に、今年は駄目、来年もダメ、再来年も、と一年延

 ばしを強いられ、今となってしまいました。

 

  山内さんは、多分「これが最後の七技会総会になるだろうから、あれもやり

 たい、これもやりたい」といろいろと計画を煉っておられたことでしょう。

 

  でも、女っ気のない七技会に女神は微笑まず、第20回修善寺七技会総会か

 ら4年の年月が経過し、会員の平均年齢も大凡88歳超えとなってしまいまし

 た。この歳では、泊まり掛けの集まりに参加することを、家族が許さないであ

 ろう、ことが心配される仕儀となってしまいました。

 

  一方、七技会自体はどんな活動が出来ますか?と問われると、看板を掲げて

 置くことは出来ますが、具体的な活動は・・・・・・・と口籠らざるを得ない

 のが実情です。

 

  そろそろ結論を出す時でしょう。

 

  結論を出す?どんな?と突っ込みが入りそうですが、現在、七技会幹事であ

 る友野・米田組が考えています。

  近々結論を出すべく作業をしています。もうしばらくお待ちください。

 

  七技会のこれからについてのご意見をお待ちしています。

 

                               以上

 

 

 

2023.05.24 米田書き込み

 

 

 

次回更新の努力目標は6月9日の予定です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


定期更新をお休みします。

2023年05月09日 | お話サロン

        定期更新をお休みします。

 

  今日(5月9日)は、定期更新の日ですが、我がパソコンは、主と同様に老衰

 のため思うように動いてくれません。そのため申し訳ないのですが今日の更新は

 パスさせていただきます。

  24日にはなんとか修理を終えて、更新出来るようにします。

  見に来て下さった方々、申し訳ありませんでした。ありがとうございました。

 

                             以上

 

 

 

 

2023.05.09 米田書き込み

 

 

次回更新努力目標は5月24日です。

 

 

 

 

 

 


突然ですが・・・・・・

2023年04月24日 | お話サロン

         突然ですが・・・・・・

 

  突然ですが、延び延びになっている七技会懇親会(=七技会総会)は、中止す

 ることにしました。

  次回の七技会懇親会幹事としていろいろ検討なさって来た山内さんと相談して

 判断しました。

 

  山内さんは、いろいろと場所探しや開催時期の模索をし、一方ではコロナ禍の

 山並みを見詰めながら最近まで、早くやらねば、早くやりたい、と心を痛めて

 ました。

 

  しかし、一方では、今年になって既に3件の訃報が届くなど会員の健康状態が

 懸念されています。

 

  仮に、今「今年の夏に開催しましょう」と決めた場合、どれくらいの参加者が

 見込めるのでしょうか?

 

  前回(2019年04月)の参加者は11人でした。

  この時は、自分の都合と健康状態とだけを考えて出席/欠席を決めれば良かっ

 た筈です。ところが今回は新型コロナ感染症の心配があり、ご家族から「何もこ

 んな時期に!」といい顔をされない懸念があります。ですから多く見積もって十

 数人、場合に依っては十人を大きく割り込む心配があります。

 

  以上のような事を、山内さんを中心にいろいろ相談して、標記の通り「七技会

 懇親会の開催は断念」と判断しました。

 

  なお、上記の通り七技会は、会員の高齢化による先細りは明らかです。

  よって、七技会幹事の友野さんと米田とが相談して、「七技会終い」をするこ

 とに決定しました。

 

  なお、七技会終いに当たっては、残存資産の全部をその時点で連絡先が判って

 いる会員全員に均等配分します。

  配分の時期は、6月初旬の見込みです。

 

  配分資産の送付先は、「会員本人名」及び「その御家族様」と連記させていた

 だきます。

 

 

  上記の「七技会懇親会の中止」及び「七技会終い」に対して御意見のある方は、

 山内さん、友野さん或いは米田へ連絡下さい。

 

  2023年4月24日現在の連絡先を把握している(つもりの)会員数は、以下の

 通りです。

            一組:17名

            二組:22名

            計 :39名

 

                                以上

 

 

 

 

 

2023.04.24米田書き込み

 

 

 

次回更新努力目標は、5月9日のです。

 

 

 

 

 

 


花、花、花。

2023年04月09日 | お話サロン

            花、花、花。

 

  世の中、花盛りです。

  今年の桜開花前線の北上は、開花も早かったが北上のスピードも速かった。

 しかし、我が家の近隣の桜の満開時期は雨が降り続いて例年の様なお花見は出来

 ませんでした。

  それでも、花は桜だけではないよ!とばかり、ボタン寺を名乗るお寺の牡丹園、

 街路樹、道端の草花等々が咲き競って楽しませてくれました。

  今回の更新は、花を無差別に並べてみました。と言うよりもいろいろ順番を考

 え説明を加える手間の全部を省いて、たゞ写して並べるだけです。

  そんなやり方、「七技会のひろば」の流儀ではないよ!とおっしゃらずご容赦

 下さい。

  では、始めます。

 

 

  

 

  

    

 

 

    

    

    

    

    

  

 

                           以上で終わり

 

 

2023.04.09 米田書き込み

 

 

 

 

次回更新の努力目標は4月24日です。

 

 

 

 


永野さんご逝去

2023年03月24日 | 訃報

           永野さんご逝去

 

  「でんか」の愛称で親しまれた永野さんのご逝去を、以下のとおり、ご子息が

 知らせて下さいました。

 

  3月14日16時31分 91歳

 

  なお、ご子息からの連絡はメールで、最近のご様子を細かく書いて下さいまし

 たので、以下に掲載いたします。

 

  末筆ですが、永野さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。
 
 
 
 
  以下は、ご子息からのメールです。
 
 
 
 
  突然のメールにて失礼致します。
 
  父 永野**は、2023年3月14日 16時31分に永眠致しました。91歳でした。
 
  今年2月初めに発熱し、コロナ、インフル共に陰性との判定でしたが、精密検査
 
 の結果、右肺癌と診断され、約1か月の療養でしたが、最後は痛がることも、苦し
 
 むこともなく、自宅で眠るように息を引き取りました。
 
  死因は、肺癌との診断ですが、老衰での大往生だったと思っています。
 
 
 
  これまで特に医者にかかることも服薬することもなく、妻が他界して25年が経
 
 過し、長く一人暮らしをしており、酒、たばこと好きなことをやってきたと思います。
 
  85歳からは週2回のデイサービスへ通ったりもしていました。
 
 
 
  これまで医者にかかることもなかったため、私が1〜2回/月程度ですが、様子を
 
 見に行き、一緒に酒を飲んだりしておりました。
 
  また、介護を受けながらも最後の最後まで(亡くなる前日まで)ちょい酒して過ご
 
 したことが良かったのではないか、と思っています。
 
 
 
  最後になりますが、七技会でお世話になった方々への感謝の意を申し上げます。
 
  ありがとうございました。
 
                                以上
 
 
 
 
 
 
 
2023.03.24 米田書き込み
 
 
 
次回予定 月一の努力目標
 
 
 
 
 
 

三輪さんが受章なさいました

2023年02月13日 | お話サロン

       三輪さんが受章なさいました

 

  2023年2月1日の春の叙勲で三輪さんが瑞宝双光章を受章なさいました。

  おめでとうございます。心からお喜び申し上げます。

 

          

 

  ところで、「瑞宝双光章」とはどんな勲章でしょう。

  叙位叙勲に余り馴染みがないので、瑞宝双光章(ずいほうそうこうしょう)と

 は?をネットでチェックして見ました。

  政府の「勲章の授与基準」によれば、

  「公共的な職務の複雑度、困難度、責任の程度などを評価し、職務をはたし成

 績をあげた人に対して、与える」と規定されており、

  また、別の規定では、授与の要件を以下のように規定しています。

 「春夏叙勲」:70歳以上の者、又は55歳以上で次の業務に精励した者等。

        ① 精神的・肉体的に苦労の多い業務。

        ② 人目につきにくい分野での業務。

 「高齢者叙勲」:春秋叙勲によっていまだ勲章を授与されていない功労者で

         年齢88歳に達した者。

 

  いろいろ難しい規定があるようですが、とにもかくにも三輪さんの現役時代の

 がんばりに対するお褒めの勲章です。

 

  一方、三輪さんからは下に示すご挨拶がありました。

 

 

  なお、この話は、春の叙勲の発表を掲載した新聞の中から三輪さんのお名前を

 見付けた山内さんが、電話連絡して下さったのが始まりでした。その新聞は埼玉

 版でした。

  皆さんは、そろそろ適齢期に入っていますので、それぞれの地域の新聞発表に

 目を通して見逃さないようにして下さい。

  おめでたいことはみんなで喜び合いお祝いしましょう。

 

  最後にもう一度

 「三輪さん、おめでとうございます!」

 

                               以上

 

 追記(2023.02.13):

 「コメント欄」へ三輪さんから書き込みがありました。以下に掲載します。

  ・三輪さんのコメント

   皆さん、今日は。

   この度の受勲について、七技会のひろば、に掲載していて光栄です。

   これも、ひとえに七技会の皆さんとの交流によるご支援、ご指導による

   ものと感謝しております。

   有り難うございました。

                             以上

 

 

 

2023.02.13 米田書き込み

 

 

次回更新は、近々中です。


患者はお客さんだよ ね!

2023年02月01日 | お話サロン

       患者はお客さんだよ ね!

 

  「新しい年を迎えて・・・」と勇んでいましたが、身体が言うことを利かない

 なんて言い訳をしている内に、早くも今日はもう二月です。早いです。歳を取る

 と月日の流れは遅いと期待していたのですが、夢の内に一月は過ぎ去り二月にな

 ってしまいました。

 

  そんなことを思いながらの朝食が終わり新聞を広げてあれこれ拾い読みをして、

 次はどっさり折り込まれている広告を整理がてら目を通します。

 

  期待は、毎月の1日に折り込まれる地元のタウン紙「鎌倉朝日」。

  これはうれしい情報源です。

  さて、鎌倉の写真展情報ですが、今月は無いらしい。

  少しずつ目をずらしながら次の目標は「鎌倉朝日歌壇」

  毎月短歌が十首ばかりんで居ます。

 

  その中に、日頃思っていたことが皮肉たっぷりに読まれていた。

  「うんうん、そうだよそうだよ 同感同感!」

 

 

  

    診察はデータ重視かパソコン医師

             患者はあなたの後にいます

                    岡本 鳴海紀政

 

  お医者さん、パソコンのデータも大事だろうけれども患者の顔も見て下さいよ。

       少なくも、お医者さんにとって患者はお客さんでしょ

 

 

  でも、お医者さんも大変なんだよね。

 

  先日、受けた診療の場合、注射を1本打って、薬の処方箋を書いてもらって、

 その時の医院が受けるであろう報酬の推定額は三千円強

  これでは検査や注射や手術などの技術料がたくさん入る時はともかくとして、

 患者とユックリ話をした時の報酬としては少な過ぎ、と思います。

  もう少し差し上げないとお医者さんは患者ではなくパソコンに向かって、

 病状や措置等のデータを懸命にパソコンに打ち込み、「ハイ!お次の方」とな

 らざる得ないかも? シランケドサ!

 

                               以上


訃報2件

2023年01月14日 | 訃報

            訃報2件

 

 新年早々ですが、2件の残念なお知らせです。

 お亡くなりになられたお二方のご冥福を心からお祈り申し上げます。

 

 1 畔柳定男さん

 奥様から山内さんへ以下のの電話連絡がありました。

 昨年(2022年)12月24日、90歳にて急逝なさったそうです。

 (第7回高等部技術科二組)

 

 2 大久保凱博さん

 ご子息から米田へ次の通りの電話連絡がありました。

 2023年1月13日、85歳にて安らかにご逝去されたそうです。

 (第7回高等部技術科二組)

 

                                  以上

 

 

 

 

2023.01.14 米田書き込み

 

 

次回更新は概ね月1回の予定です。