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訃報 甚田さん 及び 甚田さんのこと

2023年08月09日 | 訃報

    訃報 甚田さん 及び 甚田さんのこと

 

  去る7月13日に友野さんから「甚田さんの訃報」が届きました。

  「えぇ!甚田さんが!」あの元気なお方でしたから大きなショックです。

  詳しくは、「つい先日の五月二十二日 八十六歳でのご逝去」だそうです。
 
  心からお悔やみ申し上げ、ご冥福をお祈り致します。
 
             
 
 
  なお、恒例による「甚田さんの思い出」は、公私を通じで最も近かったと思
 
 われる友野さん願いしました。
 
  以下は、友野さんが書いてくださった「追悼の言葉」です。
 
 
 
 
 

           甚田さんのこと

                        令和5年7月31日 友野

  今年の5月13日に逓信同窓会首都圏支部から米寿のお祝いを受けた。甚田

 さんと一緒に。受賞者の挨拶をすることになり最初に指名された甚田さんは今

 に至るまでのステップをふくめていつになく丁寧な挨拶をした。いつもは二言

 三言で終わるのにめずらしいなとその時は感じた。“挨拶なんてチョコットでい

 いんだ聞いちゃあいねえよ、それより早く乾杯に移った方がみんなの為だ”と言

 うのがいつもの甚ちゃんだったのに。今思うと皆さんに伝えておきたかったの

 だろう、甚田と言う男がこうしてここにいるということを。その思いが丁寧な

 挨拶につながったのかもしれない。甚ちゃんにしてはめずらしいことだった。

  それから9日後に他界するなんて。

  7月12日に甚田さんからはがきが来た。会った時に“七線会の幹事、今度は

 俺だから近いうちに連絡するよ”との話があったから、てっきりその知らせと思

 って見たら5月22日に亡くなられたとの訃報であった。びっくりした。

  まさかと言う事が本当に起きるなんて、まさか甚田さんにそのような事が起

 きたなんて想像もできないことだった。同期の中で最後まで生き延び七技会の

 後始末をしてくれる人と思っていたのに、惜しい男をなくした。

  だけど一番びっくりしたのは奥様ではないか。四十九日を過ぎているのであ

 る程度落ち着かれているのではと電話したのだが、まだまだ情緒不安定な様子

 が受話器を通して伝わってきた。亡くなられた経緯は奥様と友人との情報をつ

 なげてみると、同窓会の後、数日して本人が体調不良を訴え救急車で運ばれた

 が数日間の入院で退院してきた。その後数日して再度救急車では運ばれ帰らぬ

 人となったということだった。

  武骨そうに見えるが結構細やかな心の持ち主で健康には気を使っていたよう

 に見えた。健康を維持するには「歩くこと」が大切と決め、江戸からの五街道

 を制覇するのだと意気込み、まず東海道、次は中山道と挑戦していた。仕事で

 は専門が線路と機械と異なっていたが同じころに同じ大部屋で仕事をしていた

 ように思える。六本木でいつも真夜中に顔を合わせていたことが懐かしい。酒

 にも沢山の思い出がある。退職後の会社勤めの頃も同窓の先輩ともども盃を交

 わしたことも良き思い出である。一見ずぼらそうに見えるがどうしてどうして

 計画的で繊細なところがあり、訃報葉書の原文も本人があらかじめエンディン

 グノートにしたため、残された者には何時何をすべきかまで細かく記載されて

 いたと聞いている。口先はうまいほうではないが心温かくよく気の付く男だっ

 た。

  これでまた良き飲み友達を一人なくした。淋しい。ご冥福を祈る。合掌。

                              以上

 

 

 

2023.08.09 米田書き込み

 

 

 

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