七技会のひろば

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更新:毎月9日と24日が努力目標

引っ越しと小川さん

2021年04月24日 | お話サロン

          引っ越しと小川さん

 

  前回(4月9日)の「三上さんがお引っ越し」を読んで、堀さんが一文をお寄

 せ下さいましたので、以下に掲載致します。堀さん、ありがとうございました。

 

 

 

 引っ越しと小川さん

                2021.04.18 

  前回の記事「三上さんのお引っ越し」(49日)で、小川さんのお嬢さんが

 親の度重なる転勤で今に続く小中学校時代の友達が少ないことをさみしく思っ

 ていると知り、私がとても幸運だったことを痛感しました。私は、一時期小川

 さと同じ職場で働いたこともある、東海通信局の出身なのです。私が就職し

 たの岐阜電話局で、女性交換手のいっぱいいる手動交換機の旧局でした。

 1年勤務した後、A形自動交換機の新局で、自動改式工事や開局に伴うドタバ

 タを経験した。同じ職場に小川さん(当時は旧姓で早野さん)が入社してきた

 頃には、自動交換機のベテラン技術者扱いで、周辺局の工事に長期出張させら

 れることが多く一緒に働いた記憶はあまり残っていません。でも、家族慰安会

 の演劇で一緒の舞台に立ったことだけが懐かしい思い出として残っています。

 写真の右が私、左が小川さんです。私は中等部にも行って回り道をしたので、

 高等部はで後輩の彼と同じクラスになったのです。

  高等部を卒業した時、出身の東海に戻っていれば、極端に云えば北は岐阜の

 高山、西は三重の松坂、東は静岡の沼津などへと引っ越しを繰り返していたか

 も知れない。少なくとも名古屋や東京へ何度か移り住んでいたはずだ。

   卒業の前後に私が3人姉妹の長女と結婚することになって、無理に東京通信

 局に配属してもらったため、東京都内だけの転勤で済んだ。池袋、千代田、六

 本木、品川、竹橋、墨田、渋谷、京橋へと転勤したが引っ越しの必要はなかっ

 た。本社等への転勤でも、日比谷と都下の調布市で、東京都外へ通勤すること

 はなかった。しかし自己都合で東京に残ったため、住宅は自己解決せざるを得

 ず、最初は四畳半ひと間で便所は共同、風呂は銭湯という木造アパートだった。

 しかも家賃は給料の三分の一以上。抽選に30数回外れて優先入居させてもら

 った公団住宅も、六畳ひと間台所兼食堂付きという1DK。子供が生まれて部

 屋数の多い公団住宅に申し込むも相変わらず落選続き。7回目でようやく優先

 入居させてくれたのは、前の住人が家賃不払いを重ねた末に夜逃げしたとかで

 補修のされていない欠陥住宅。家賃はその都度上がりベースアップで増えた給

 料の三分の一程度というのは変わらず、安い家賃で社宅に住む同僚が羨ましか

 った。しかし彼らは遠い地方から、無理して引っ越して来た人が多かった。ま

 た退職時に社宅を出なければならないのだと思うと、逆に自分の方が恵まれて

 いたと気付いた。小川さんのお嬢さんの話はそれを再確認するものだった。満

 員電車で1時間半以上、調布の時は2時間半も揉まれるのは大変だったが、家

 族にとっては恵まれた事だったと思う。また単身赴任で家族と離れて暮らすな

 どということもなく幸せだった。現在の住居は住宅不足時代に大量建設した頃

 のボロ屋だが、夫婦ふたりとなった現在では、家が小さくて庭の広い事が、便

 利で、快適に、そして退屈しないで暮らせる条件に適っていると思う。家賃や

 住宅購入費で苦労したが、インフレのせいもあり結果的に社宅住まいの転勤族

 より経済的だったし快適な環境で暮らせていると思う。

 

  若い時でも引っ越しは大変だったから、三上さんの今回の引っ越しは、肉体

 的にも精神的にも大変なご苦労だったと推察します。早く落ち着いて、関東の

 地で長く幸せに暮らされますよう祈ります。

 

                                以上

 

 

   

 

 2020.04.24 米田書き込み

 

 

 

 次回更新は5月9日の予定です。

 

 

 

 

 

 


三上さんがお引っ越し

2021年04月09日 | お話サロン
         三上さんがお引っ越し
 
 
 
  殆どが転勤族だった七技会、在職中の引っ越し回数が十回を超える猛者は
 
 ザラだと思います。先年お亡くなりになった小川さんのお嬢さんが電話で話し
 
 て下さいました。「父の転勤のおかげで小・中学校の幼なじみの友達が居ない
 
 のがさみしい」と。
 
  確かに転勤は、子供にとってはいい迷惑だったかも知れません。2〜3年間
 
 隔で、その土地に慣れた頃に「さぁー次へ行くぞ!」ですから。私自身も父の
 
 転勤で、小・中合わせて6校経験しましたから、その悲哀よく分かります。
 
  いえいえ、今日はそんな話をするつもりではありません。
 
 
 
  大阪圏在住だった三上さんが、この二月に引っ越しなさいました。
 
  ようこそ神奈川県へ!
 
  もうそれぞれに落ち着いて「終の住処」を極め込んで居るであろうと思って
 
 いたこの歳で、住み慣れた家から遠く離れた土地へ。
 
  大阪の旧住所から神奈川の新住所までの距離をネットに聞いたら「新東名高
 
 速道路/第二東海自動車道」経由471キロメートルで、5時間54分 だそう
 
 です。遠いですねぇー! よくぞまぁー思い切られました。
 
  先日(3月20日)三上さんからいただいたメールには次のように書いてい
 
 らっしゃいます。
 
  「引越後、早一か月経ちましたが、家財道具の整理、住所変更に伴う各種届
 
 け出の事処理が終わらず右往左往しています。関東地区には30数年ぶり。
 
 落ち着くに当分掛かりそうです。この後何年自力で過ごせるか?
 
  お互いに頑張りましょう。」と。
 
 
 
  今がコロナ禍ではなければ、すぐにも近隣の皆さんに声を掛けて歓迎会をやり
 
 たいところですが、「高齢者は不要不急の外出は遠慮しろ!」とのお達し。まし
 
 てや「会食はマスクを付けて四人以内で」とも。
 
  残念ですが、コロナ禍の沈静を待たなければなりません。
 
  三上さん、しばらくお待ち下さい。
 
  2回目のワクチン接種を終えること及び東京や神奈川の新規感染者数がたまに
 
 は「ゼロの日」が出るようになる日まで。
 
  いつでしょうねぇー?そんな日は。
 
  でも、なにも急ぐことはないのですから気長に待ちましょう。
 
  三上さん、環境の大きな変化に負けないで元気で居て下さいよぉー。
 
  お互いに、元気に歓迎会の出来る日を待ちましょう、迎えましょう。
 
 
 
                              
 
 
 
 
  本稿を掲載するにあたり、引っ越しも個人情報である事から三上さんに「こ
 
 の原稿でいいですか?」と問い合わせたら、下記の返信メールをいただいたの
 
 で、上記と一緒に披露致します。
 
  以下は三上さんです。
 
 
 
  中央学園当時の若さが満ち溢れた日々を思い出します。年々同窓が旅立ち寂し
 
 い年代になりました。皆さんにお会いしたのは、京都での同窓会でした。何十年
 
 か前のことになります。コロナが落ち着くのは何時になることか。それ迄つつが
 
 なく健やかに過ごし、皆さんと語り合いたいものです。

  再会出来る日を楽しみにしています。
 
                         (2021.04.06三上さん記)
 
 
 
 
 追伸:三上さんの住所及びメールアドレスが変わりましたので、必要な方は米田
 
    へお問い合わせて下さい。ご本人の了承を確認してお知らせします。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2021.04.09 米田書き込み
 
 
 
 
 
 
次回更新は4月24日の予定です。