引っ越しと小川さん
前回(4月9日)の「三上さんがお引っ越し」を読んで、堀さんが一文をお寄
せ下さいましたので、以下に掲載致します。堀さん、ありがとうございました。
引っ越しと小川さん
2021.04.18 堀
前回の記事「三上さんのお引っ越し」(4月9日)で、小川さんのお嬢さんが父
親の度重なる転勤で今に続く小中学校時代の友達が少ないことをさみしく思っ
ていると知り、私がとても幸運だったことを痛感しました。私は、一時期小川
さんと同じ職場で働いたこともある、東海通信局の出身なのです。私が就職し
たのは岐阜電話局で、女性交換手のいっぱいいる手動交換機の旧局でした。
1年勤務した後、A形自動交換機の新局で、自動改式工事や開局に伴うドタバ
タを経験した。同じ職場に小川さん(当時は旧姓で早野さん)が入社してきた
頃には、自動交換機のベテラン技術者扱いで、周辺局の工事に長期出張させら
れることが多く一緒に働いた記憶はあまり残っていません。でも、家族慰安会
の演劇で一緒の舞台に立ったことだけが懐かしい思い出として残っています。
写真の右が私、左が小川さんです。私は中等部にも行って回り道をしたので、
高等部はで後輩の彼と同じクラスになったのです。
高等部を卒業した時、出身の東海に戻っていれば、極端に云えば北は岐阜の
高山、西は三重の松坂、東は静岡の沼津などへと引っ越しを繰り返していたか
も知れない。少なくとも名古屋や東京へ何度か移り住んでいたはずだ。
卒業の前後に私が3人姉妹の長女と結婚することになって、無理に東京通信
局に配属してもらったため、東京都内だけの転勤で済んだ。池袋、千代田、六
本木、品川、竹橋、墨田、渋谷、京橋へと転勤したが引っ越しの必要はなかっ
た。本社等への転勤でも、日比谷と都下の調布市で、東京都外へ通勤すること
はなかった。しかし自己都合で東京に残ったため、住宅は自己解決せざるを得
ず、最初は四畳半ひと間で便所は共同、風呂は銭湯という木造アパートだった。
しかも家賃は給料の三分の一以上。抽選に30数回外れて優先入居させてもら
った公団住宅も、六畳ひと間台所兼食堂付きという1DK。子供が生まれて部
屋数の多い公団住宅に申し込むも相変わらず落選続き。7回目でようやく優先
入居させてくれたのは、前の住人が家賃不払いを重ねた末に夜逃げしたとかで
補修のされていない欠陥住宅。家賃はその都度上がりベースアップで増えた給
料の三分の一程度というのは変わらず、安い家賃で社宅に住む同僚が羨ましか
った。しかし彼らは遠い地方から、無理して引っ越して来た人が多かった。ま
た退職時に社宅を出なければならないのだと思うと、逆に自分の方が恵まれて
いたと気付いた。小川さんのお嬢さんの話はそれを再確認するものだった。満
員電車で1時間半以上、調布の時は2時間半も揉まれるのは大変だったが、家
族にとっては恵まれた事だったと思う。また単身赴任で家族と離れて暮らすな
どということもなく幸せだった。現在の住居は住宅不足時代に大量建設した頃
のボロ屋だが、夫婦ふたりとなった現在では、家が小さくて庭の広い事が、便
利で、快適に、そして退屈しないで暮らせる条件に適っていると思う。家賃や
住宅購入費で苦労したが、インフレのせいもあり結果的に社宅住まいの転勤族
より経済的だったし快適な環境で暮らせていると思う。
若い時でも引っ越しは大変だったから、三上さんの今回の引っ越しは、肉体
的にも精神的にも大変なご苦労だったと推察します。早く落ち着いて、関東の
地で長く幸せに暮らされますよう祈ります。
以上
2020.04.24 米田書き込み
次回更新は5月9日の予定です。