七技会のひろば

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更新:毎月9日と24日が努力目標

第七回高等部業務科の総会模様

2011年12月31日 | お話サロン

今、友野さんからメールを受信しました。
以下は、友野さんのメール全文と同窓会誌のコピーです。
なお、一番の興味はメンバーの面々の顔だと思いますので最初に集合写真を掲げました。

「友野です。
 先に七技会の総会模様をお送りしましたが、
 同じ逓信同窓会誌に第七回業務高等部の総会の模様も掲載されていましたのでお送ります。
 見てあげてください。
 同じような年代の顔写真もありますので、懐かしい人にお会いできるかも。」




クイズ:どれが誰でしょう? どれだけ分かりますか?



逓信同窓会誌に掲載

2011年12月26日 | お話サロン

友野さんの計らいで第18回七技会総会の模様が「逓信同窓会会誌 WIND 2012年新年号」に掲載されました。
同窓会誌は必ずしも皆さん全員のお手元へ送付されているとは言い切れない状況と事務局の方から伺いましたので、念のため「七技会のひろば」にアップしました。
なお、逓信同窓会ホームページ(このブログからリンクしています。)で見ることもできます。

コピー版とテキスト版の両方を載せました。読みやすい方をご利用ください。









第七回高等部技術科(七技会)
卒業半世紀記念七技会総会

平成二十三年九月二十九日、卒業から五十年目に当たる日に第十八回七技会総会を行いました。
これまでは保養所や温泉旅館などで泊まり込みでしたが東日本大震災への遠慮も働き、
「五十年目の中央学園見学」をテーマに集いました。
当日午後一時、学園の本館ロビーに集合。参加者は二十三名でした。

一 学園見学
まずは学園の現役課長の案内で学園内の施設見学です。
在学中の木造教室や細長いプールは近代化された設備に取って変わり、更に次世代の教育施設に生まれ変わろうと桜並木の隣のグランドや野球場には大型土木機械が林立する工事の真っ只中で残念ながら近寄ることが出来ません。
それでも思案橋を渡って学生寮区域に入ると大浴場、食堂、学生寮の並びに五十年前の雰囲気を見出し懐かしい武蔵野の風情を楽しみました。
旧図書館前の素晴らしい花を咲かせていたコブシの木を探してみましたが残念ながら見当たりませんでした。
歴史資料館などを含めて一通り見学した後、本館前で全員の記念写真を撮り、マイクロバスで東京・銀座の「ホテル銀座ラフィナート」へ向かいました。
しかし、遙か遠方から「もうこう言う機会はこれが最後かも知れない」との想いから寸暇を惜しんで大きな事情を抱えながらも馳せ参じ、
皆との顔合わせと記念撮影をした後すぐにとんぼ帰りする一人を残しての発車でした。

二 七技会総会議事
冒頭、亡くなった十一名の同級生と東日本大震災の被害者の方々への黙祷を捧げました。続いて議事。
第一議題は「これからの七技会」。
卒業以来五十年、大半が「後期高齢者」となったことに伴い、今後の七技会の活動方針を確認しました。五月に事前配布した幹事提案に対するアンケート結果及び意見を加味した「これからの七技会」の審議です。
熱心な質疑の後、全員一致で承認可決。
内容は次のとおりです。
1 七技会は今後も活動を継続。
2 活動の主体は「会員相互の連絡及び交流の支援」と「二年に一回の懇親会」。
3 会の保有する活動資金は最小限に圧縮。
4 圧縮により生じた資金余裕は「高等部で学べた幸せ」に感謝し「あしなが育英会」へ寄付。(寄付の経緯等は後記します。)
続いて第二議題「会計報告」、第三議題「幹事選出」。
全て滞りなく終了。この間おおよそ四十分。
この後懇親会が始まりました。

三 懇親会
先ずは乾杯を皮切りにお喋りが始まりました。今回は時節柄を考慮し簡素なかたちのパーティーでお泊まりなし。
約二時間半、順繰りに相手を求めて移動しながらお喋りを続けました。
飲むのは程々です。話の内容は「元気?」に始まり、今回欠席の方々のこと、家族のこと、己の健康、・・・等々。
宴たけなわ、恒例の「起きろー」コールが一発、また臍の周りの切開傷を見せながらの病気克服報告が一件、
徐々にいつもの空気が戻って来ました。
でもでもでも・・・。以前の放歌高吟型を脱皮して浅酌低唱型に変化していました。
以前の杯盤狼藉が懐かしいくらいの静かで上品な懇親会でした。会場との約束の十九時三十分、
再会を約し別れを惜しみつつ家路に散りました。
正直な感想「次もまたやろうね!」

四 あしなが育英会への寄付
私たちの七技会は若干の積立金的な資金を持っていました。
目的は七技会総会の開催準備と連絡費用及び七技会内の慶弔(慶弔は平成七年廃止)で、出所は故人となった同級生を含む全員拠出の会費です。
一方総会への出席者は遠距離からの参加が少なくなりようやく半数に達するかどうかと言う状況で、顔ぶれも固定化しつゝあります。
そこで現在保有するこの資金を有意義に使うためにはどうしたらよいかとの趣旨で検討を始めました。
私たちの今日が在るのは、個々人の努力はもちろんですが、それと同等或いはそれ以上に「電電公社の高等部」が教育を受ける機会を与えてくれたことが大きいと感じていました。
私たちが学校を卒業した頃はより上級の学校へ進学する割合は現在のそれの半分にも満たず、
上級学校へ進めなかった無念を噛みしめながら毎日の仕事に精一杯励みました。そこへ夢を与えてくれたのが「高等部」でした。
企業にとって「中間管理職の確保」だったかも知れませんが、私たちにとっては教育を受ける機会を与えてくれる大変ありがたいものでした。
高名な先生に接することができ、また見聞を広めるチャンスを与えてもらいました。
翻って半世紀を経た今の世の中、高等学校は授業料を実質無料化し大学は鐘や太鼓で新入生をかき集めています。
反面、高等学校や大学を夢見ながら心ならずも進学を断念せざるを得ない若者がたくさんいるのも現状です。
経済的な事情で涙を飲む若者、それは将来を背負って立つ大物の卵かも知れません。
卒業五十周年を迎えるにあたり「後々に生きること」をしよう。
それはやはり「人への投資」→「恵まれない若者を支援する」これによって私たちの貴重な体験「学べた幸せ」に感謝の意を顕すことにしました。
そこでささやかではありますが当面の必要最小限の活動資金を残し約三十万円を十月三十一日「あしなが育英会」を訪ね寄付して来ました。

(幹事 友野 米田)


アルバム整理を始めました

2011年12月24日 | お話サロン

米田です。
皆さんに記事を書いていただくために「私は今」の欄を設けました。
気軽な日常の出来事を募集します。
7gikai@mail.goo.ne.jpへメールしてください。または米田のメールアドレスでも
結構です。手紙・ハガキでもOKです。
先ずは私から!


2011.12.24 米田書き込み

アルバムの整理を始めました。
アルバムはいろいろな出来事を詰め込んで15冊が書棚の一画を占めています。
平成18年の引っ越しの折、はたのさんに教えられて荷物の縮小を目的に電子化を試みましたが、結局現物は捨てきれずに残っています。
今回の整理の目的は前回と異なり、息子たちへの引継ぎです。
彼等が主役で写っている写真は彼等の手許へ移すことです。
アルバムは、家族を単位に主役がだれであろうとほゞ年代順に貼り込んでいます。
しかし、息子たちが独立した今、息子たちの園児、児童、生徒、学生時代の入学・卒
業、運動会や学芸会、修学旅行等々の節目毎の記念の写真、ご近所さまとの誕生会や夕食会、その全てがこちらの手許に残っている状態です。
これをそろそろそれぞれ主役である息子たちの手許に移すべきだろう、と方法を考えました。
実際に写真を台紙から剥がしてみると残ったアルバムは無惨な格好になってしまいました。
息子たちが居なくなった現在の我が家と同じです。生活もアルバムも二人暮らしです。
そこで全部を複製し、同じものを二人の息子に渡すことにしました。
最初にスキャナーでコピーすることを試みましたが、如何せん我が家のスキャナーはA4、アルバムは横も縦もA4より大きくコピー出来ません。
しからばと各ページをA4のサイズまで写真の肩を寄せ合って、場合によっては隣同士重なる状態まで場所を譲り合わせて・・・、スキャナーでスキャン。
と言うことで最終目標は、15冊×42ページ=630ページを複写して、2部計1,260ページのプリント、これを百均のポケットファイルに入れて完成です。
現在、2冊を完了、引き渡しました。
この後は毎月1冊のペースで来年(2012年)の暮れまでに終えるつもりです。


本物とは何か

2011年12月14日 | お話サロン
原文は近藤( 隆 )さんからのコメント欄への書き込みですが、
皆さんの目に触れやすくするため、ここへ転載しました。
なお、一部文字化けがありましたので文字の置き替えを施しましたが、
それ以外の手は加えていません(原文のままです。)。


「本物とは何か」
現代の世の中には、本物と言えるものは少ないそうです。
船井幸雄という経営コンサルタントの方の説によりますと、本物だといえる条件は、
1 付き合うものを害さない。
2 付き合うものを良くする。
3 高品質で安全、安心できる。
4 単純でしかも万能である。
5 経済的である。
では、どの様にして本物かを見分けるか。
ア、手に持って前屈動作をしたら、持つ前よりも  10センチ以上深く曲がる。(食品類)
イ、オーリングテスト、利き腕の指で輪を作り
  対象物に触れると、閉じる力が悪いと弱まり  有益なら、強まる。二人で組んでやる。
人間の筋肉は、物を見たり、触れたり、感じたりすると、意思とは別に変化し、本物では力が強まり、偽物は弱まる。
疑問を持たずに、虚心坦懐にやることが秘訣。
日頃の生活の知恵として、活用をお勧めします。


2011.12.13 近藤( 隆 )さん投稿



放射能のことを勉強しました

2011年12月12日 | お話サロン
地球上に生物が発生できたのも、自然界の放射能の刺激やエネルギーがあったからの事で、太古の地上自然界には現今の何千倍もの自然放射線があって、人間もその中で地上に生命体として呼びだされ、生き続けてきた存在らしい。
永年の放射線耐久テストにも適合出来て、耐えられるものだけが今日の地上には生命活動を許されている。
現在も自然界の放射線は平均1,200マイクロシーベルト/年位あり、食べ物や空中の呼吸によるものを含めると、2,400マイクロシーベルト/年位は浴びながら、私たちは生きています。
世界の各地には、特異な高放射能地帯があり、ウラン鉱山とか、イラン、ブラジル、中国等に住むこれらの地域の人たちは、癌などの病は少なく、健康で、長寿である。
この原因を科学的に調査し、研究し、学術的に証明されたのが、東大医学部出の稲恭宏博士である。
1,000ミリシーベルトまでは、低線量率放射線といい、免疫系や寿命に有益な効果を発揮する。
今、福島原発の施設内は1,500マイクロシーベルト位の観測データがあるそうですが、低線量率の範囲になり、健康上は全く心配なしということのようです。
それから、原発から放出される放射性沃素131が甲状腺に蓄積されるかも」ということも報道から不安を誘っていますが、日本人は太古から海洋に囲まれて、海産物の安定沃素をたっぷりとり続けた民族なので、甲状腺が既に沃素で満たされているため、今更沃素が入っても甲状腺には溜まりようがなく、排泄されてしまう。
内陸の海草を取らない民族は、安定沃素が欠乏しているので甲状腺が貪り蓄積する」のだそうです。
以上、これらは、一つの情報ですから、読み方は各自の自覚と責任で受け止めてください。
H23.6.1 近藤(隆)


この投稿は、今年6月1日に「七技会のひろば」宛にメールで送られたものですが、
米田の不手際でメール受信ボックスの中に眠っていました。
昨日(12月11日)その存在を見付け、近藤さんに掲載のご意志を確認た上で、今日(12月12日)掲載しました。
近藤さんには不愉快な思いをさせましたことをお詫び申し上げます。
(米田 2011.12.12)

7gikai宛メールの不具合

2011年12月11日 | お話サロン

「七技会ブログへメール出来ます」と書きながら、
そのメールへの受信設定に不手際がありました。
これまで近藤(隆)さん、大久保さんからのメールが行方不明になった事が懸念されます。
いろいろテストして今後はそんなことがないようにガードを掛けました。
不手際をお詫びいたします。


2011.12.11 米田書き込み


応用数学

2011年12月09日 | お話サロン
誰がなんと言おうとも
「一番思い出がある」と言うのか、
「何をやっているのか?の疑問」が消せなかった授業でした。
心に残る授業を一つ挙げろと言れれば即刻「常三先生の応用数学」を挙げます。
「応用数学」は、いまも唯一教科書を残している科目です。
    
      

国民学校入学以来いろいろな授業を受けてきましたが、
「今、何を習っているのか?」が分からないままに授業を受けるのは初めてでした。
科目が終了した時「なんとも打ち消すことのできない無力感」だけが残りました。
幾度もの引っ越し毎に次々と教科書を処分しながらも、
いつの日か再挑戦のときがあるかも知れないと
この教科書だけは残してきました。
未だに本棚の隅に鎮座しています。

    

久しぶりに教科書を開いてみました。
第1章は「ベクトル・行列」
これは、なんとか理解したつもりでした(当時)。
第2章の「点集合」これがいけない始まりでした。
無限の広がりの中でその要素の一つが入れ替えると別の世界の広がりに・・・。
最後まで「それがどうだっていうの?」
「実生活にどう結び付くの?」がどうしても理解できないで悩みました。
次の章が始まっても引き摺ってしまいました。
思えばこれが己の限界・・・・・・

    
常三先生をネットで検索すると記念論文集が発刊(1976年)されています。
また、未だに先生の著書がオークションに上場されています。
それなりに高名な権威ある先生であったことが察せられます。
如何せん、己の聴く耳のレベルが不足でした。
想像の世界を泳ぐ術を知らなさ過ぎました。
(空想力不足、すなわち自分の尺度を無視して相手の物差しを受け入れる寛容さの不足。)
先生には大変申し訳ないことであったと反省しています。
「先生、申し訳けありませんでした」
今はこれだけ暇になったのだから、再挑戦してみるのも一興です。
しかし、一興なんて言っているようでは挫折が目に見えていますよね。

応用数学は、思い出の科目であり「心にトゲを残した科目」でした。


2011.12.09 米田書き込み