七技会のひろば

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更新:毎月9日と24日が努力目標

御御御付

2017年02月24日 | お話サロン
           御御御付

 のっけからクイズです。
 「御御御付」これ何と読みますか?
 ぎょぎょぎょづけ?

 またまた朝日新聞2017.02.12朝刊「歌壇」からの引用です。
 「これなんと読む?」と真面目顔で問い掛けた友を忍んだ歌から見付けた四
文字単語。



                 朝日新聞2017.02.12朝刊「歌壇」からコピー


 たまたま、この歌は、今は亡き友の話であるが、何かの切っ掛けで久しく遠
くに離れ音沙汰の無い友を想い出すことがよくある。

 高校1年の時である。教科書の音読で「空隙」を「くうすき」読み、それが
しばらく彼のあだ名になった友がいる。彼は存命だが、御御御汁をきっかけに
ふと想い出した。
 随分会っていないなー。あいつとは東京の蒲田で同じ部屋に寝起きしたこと
がある。いわゆる食事無しの下宿で。
 彼は予備校生、わたくしは公社に入社出来る筈の日額235円(後に280円に
なった)の日給月給人夫(試用員候補)の身。(これは余談だが、先輩に「君
たち試用員候補の給料は人件費からではなく物件費から出ている」と言われた
のはショックだった。)
 結局、一番お金のない時期を同じ部屋で、彼が大学入試に合格するまでの半
年を一緒に過ごした仲。その間、彼が日記帳を盗み見したのなんのと背を向け
合うイザコザもあった。
 それでもお互い月給取りの身で共に首都圏にいた間は時々会っていた。しか
し中年を過ぎて、彼が故郷の鉄工所のオヤジにUターンしたのを境に・・・・。
 今は年賀状のやり取りで細々とつながっている。

 人生を八十年もやっていると記憶が頭の中に山積みとなり、ギュウギュウ詰
まっている。
 しかし、記憶を想い出として再生するには何かの刺激が必要だ。一方、記憶
には思い出したくない記憶もある。思い出すと楽しい想い出、すぐに破り捨て
たい想い出、これを選り分けていい想い出だけを紡ぎ出す刺激の受け方。それ
が知りたい。
                           以上




2017.02.24 米田書き込み




次回更新は3月9日の予定です。

名前の並べ方を考える

2017年02月09日 | お話サロン
        名前の並べ方を考える

 名簿が送られてきた。電友会の日比谷同友会が2年毎に発行する名簿である。
 新しい名簿が届くと自分自身の記載内容の確認はともかく、1ページ目から
順番に見流すのが通例である。
 知っている人、知らない人の名前が目の前を流れて行く。その中にあるはず
の名が無いことに気付くとそこで流れが止まる。通り過ぎて後戻りすることも
ある。
 あー、あの人はもう居ないんだぁー(暫し沈黙)、知らない人がたくさん並
んでいるなー、若い人が多くなったなー、・・・、等々思いが巡る。

 定期的に送られて来る名簿は、いろいろ有ったが順次お断りして来たので、
今はこれ一冊だけになった。

 名簿を眺めながら思ったことがある。
 名簿は、通常あいうえお順に並んでいる。この並びは目的の名前を探すのに
は便利である。
 だが、名簿の種類によっては「それでいいのかなぁー?」と、ふと思う。

 我々七技会の名簿は、一組・二組別のあいうえお順。
 だから卒業後に名前が変わった人は新しい位置にはまり込む。「す」から
「ゆ」に変わった方は当初は戸惑ったことだろう。「す」から「ろ」への人も。

 この並べ方について、お亡くなりになった方の並びが気になっている。

 亡くなった方の取り扱いは、当初はそれぞれ1人分のスペースを割り当てて
「故人」の表示をしていたが、平成7年(1995年)には名前がいったん消えた。
 しかし、平成11年(1999年)版では「物故者名簿」として復活。平成13年
(2001年)以降は各組の下段に「お亡くなりになった方」の欄を設けて、判
明する範囲で「お亡くなりになった年齢」と「命日」を記載するようになった。

 毎年、正月明けに年賀状をいただいた方の住所を名簿記載のそれと照合して
現状維持を図っているが、折角の名簿である。いっその事「卒業時点の名簿の
並び」に戻してはどうか?と思う。すなわち、既に亡くなった方も名簿上では
存命者と同じに取り扱ってはどうだろうか!と。

 何故そう考えるのか?

 我々が共に過ごした教室の席順は、一組二組が左右に分かれ、前方の席から
始まるあいうえお順であった。これは2年間変わらなかった。
 それ故、この席順、この配置で、皆さんの紅顔の美少年時代の顔が頭の中に
刻み込まれている。

 同じように頭にこびり付いている言葉がある。
 詠み人知らずではあるが『居なくなった人は、誰にも思い出してもらえなく
なったとき、その人は本当に居なくなる』

 先立ったクラスメートを時折思い出す、これが彼等に対して我々が出来る最
大の供養である、と思うが故である。

 皆さんの賛同が得られれば、次回の名簿からそのような編集方法にしたい、
と思っている。

 どうでもいいような話だが、皆さんは如何お考えであろうか。

                          以上





2017.02.09 米田書き込み





次回更新は24日の予定です。