七技会のひろば

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更新:毎月9日と24日が努力目標

特集「中央学園での思い出」募集

2022年10月24日 | お話サロン

     特集「中央学園での思い出」募集

       (七業の方々もどうぞ)

 

  中央学園を卒業してから60年を超えました。やっぱり遠い昔ですね。60

 年と言えば還暦ですものね。そんな時にもう一度学園での生活を思い返してみ

 るのも一興かと思います。そこで、「七技会のひろば」で「中央学園での思い

 出」を特集して卒業の還暦を祝おうとの趣向です。

  「中央学園での」と書きましたが、学園の2年間に限定しないで、入学前、

 卒業後の幾年かを含めて書いていただいて構いません。

  書いて下さった原稿は、米田に送って下さい。メールアドレスや住所は、

 会員名簿に記載の通りです。

  なお、今回は、第七回業務科の方々にも参加していただきます。

  七業の方は、原稿を八尾さん宛てに送って下さい。八尾さんから私の方へ

 転送していただける様お願いしてあります。

 

  原稿の文字数は、一話600文字以内とし、三話以内と致します。

  なお、投稿は、メール、手紙やハガキ(手書きOK)いずれでも結構です。写

 真があれば一緒にお願いします。

  締め切りは、一応11月末日ですが、「七技会のひろば」への掲載は11月

 24日に第一回目の掲載とし、続く第二回目は、12月9日です。

  以上の条件で、よろしくお願いします。

 

  広く知られている逸話の「ホントウはコウなんだよの裏話」或いは楽しかっ

 たこと、うれしかったこと、残念だったこと、等々この際ですから是非ご披露

 ください。

  よろしくお願いします。

                               以上

 

 

 

 

2022.10.24 米田書き込み

 

 

次回更新は、11月9日の予定です。

 

 

 

 

 


中央学園での思い出

2022年10月09日 | お話サロン

         中央学園での思い出

  次の更新に、何を書くかなぁ?と思案していたところへ、七業の八尾さんか

 ら「こんなのを書いてみた」とメールでいただいた。「七技会のひろば」とし

 ては、渡りに舟とばかり飛び付いて、掲載させていただくことにした。初めは、

 一話乃至二話と思って居ましたが、この種の話を特集してみれば面白いのでは

 ないか?と思い始め、四話全部を同時掲載させていただくことにしました。

  なお、特集「中央学園での思い出」の投稿要領は、次回(2022.10.24)発表

 とさせていただきます。この時に向かって今から腕と頭とキーボードを磨いて

 おいて下さい。七業の方々の投稿も受け入れる方向で考え中です。

  では、以下は、八尾さんからいただいた「中央学園での思い出」を原文のま

 まです。ただ、1行38文字を、画面サイズの関係で35文字に変更しました。

 

 

            中央学園での思い出

                         2022.9 七業会 八尾

 中央学園(正しくは中央電気通信学園第七回高等部だが)での二年間は、私の

 人生での画期的な世界への扉を開いてくれた二年間であった。

 人生の幕引きも近い昨今、当時のあれこれを諸兄と語り合いたくて、この「広

 場」をお借りする次第です。

 諸兄からも「あの頃のあれこれ」を是非この「広場」で披露して頂ければと思

 います。

 

 1 君はそんなに色が白かったのか

 卒業した翌翌年、高等部入試の監督にカクデン「角田教官」が来広された。

 歓迎会が催され出席したが、私は最下級生なので一番下座に着席していた。

 カクデンは何度も私の顔を覘くようにしていたが遂に「おい、君は八尾だろう」

 と言われたので、「はい八尾です、その節はお世話になりました」と答えた。

 「やはり八尾か君はそんなに色が白かったのか、学園始まって以来二番目に汚

 かったのに」と言われた。

 そこで一番はどなたですか尋ねたら、近畿にいる○○だと言われた。

 確かに中央学園では、登山焼けや雪焼けでゴーグルを使用した後はメガネザル

 のように目の周りが白かったから、汚かったと言われても仕方のない顔ではあ

 った。

 

 2 歌声喫茶・灯の再開

 何年か前に休業のニュースが出ていた歌声喫茶・灯が、場所を変えて再開した

 とのニュースを見た。

 時空を超えてと言っても良い位、当時の記憶が蘇った。

 西武新宿駅の近くにあり、三平食堂のとんかつ定食を食べた後によく行った。

 入場料だったかコーヒー代だったか記憶は定かではないが、お金を払ったらガ

 リ版刷りの歌詞表をくれた。

 今はピアノになっているようだが、伴奏はアコーディオンでロシア民謡が多か

 った。走れトロイカやステンカラージンの歌などは、今でもヒヨイと鼻歌に出

 て来るから不思議なものだ。

 雪山賛歌とかいつかある日などの歌はまだ公にはなっていなくて、特定の山仲

 間の間で歌い継がれていた。

 後年芹洋子がヒットさせた坊がつる賛歌の元歌は、私が二年間在学した学校の

 山岳部の部歌であった。

 追記:「何方か店の名前を教えてください。」

 当時新宿コマ劇場の近くに「シャンソン喫茶」があったと思うのですが、正確

 な名前を思い出せません。芦野宏・ビショップ節子・島崎雪子等の歌手が出演

 していました。岸洋子も音大生ということで出ていたと思います。

 

 3 初めて生の芝居を観た

 人生で初めて生の芝居(舞台)を見たのは、麻布今井町にあった俳優座である。

 そして出しものは東山千栄子主演の「桜の園」であった。

 その後も俳優座では題目は忘れたが永井智雄や滝田祐介の舞台を見たが、彼等

 は舞台での活躍よりもTBSドラマの「事件記者」で有名になった。

 その他には文学座で、我が郷土出身の杉村春子主演の舞台を見たが、そのテー

 マが差別問題であったとは当時は全く知らなかった。

 芝居へ行くきっかけは、誰かに誘われて「労演」に入ったら年に何回かチケッ

 トを貰ったからであった。

 その後舞台を見たのは、名古屋勤務時代に「御園座」で玉三郎を見た一回だけ

 だから

 労演入会を勧めてくれた誰かさんには感謝である。

 

 4 仙川寿司に感謝

 在学中はバーや居酒屋は勿論、寿司屋を訪れるような余裕は全くなかった。

 また山やスキーからの帰途、東京駅や新宿駅に着いた時に持ち金が仙川までの

 電車賃30円しかない、ということもしばしばだった。

 そんな時に困ったのが夕飯の調達だった。

 夜も10時過ぎると開いている店も殆どない。

 そこで厚かましくも仙川寿司に行き、中央学園高等部の・・・と頼み込むと、

 イヤな顔ひとつせず受け入れてくれた。

 給料日には必ずツケの支払いに出向いたが、ツケを払うとビール一本も飲まず

 に帰るのだから決して上得意ではなかったが、一度も断られたことはない。

 現在は仙川商店街から甲州街道側へ移転して営業しているとのことだが、機会

 があれば是非一度出かけてみたい、そして「大将!おまかせで」と言ってみた

 い。

                               以上

 

 

 

 

 

 

 

2022.10.09 米田書き込み

 

 

 

 

次回更新は10月24日の予定です。