七技会のひろば

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松岡先生

2012年10月24日 | お話サロン
松岡先生



堀さんからいただいた松岡先生の著書「桜並木」をぱらぱらめくりではあるが読んだ。
先生について知らないことがたくさん書いてある。

先生の学校時代、
小学校にあっては担任の仕事である試験の答案の採点を手伝う話、
中学校では全国中学校射撃大会に選手として出場し見事優勝旗を持ち帰った話、
等々文武両道に優れ、まわりの人々に好かれる人柄が浮かび上がる。

また、海軍では光電話の開発研究に従事された話、等々。

敗戦で海軍が消滅した後、逓信省電気試験所を経て、中央学園の高等部準備室へ移られた。
それ以来、第一回高等部から第三回大学部までの16年間の長きにわたり
管理職として、また担任教官としてかかわった諸々が事細かに書かれている。
ちょっと大袈裟に言えば、先生は高等部技術科の屋台骨であったことに気付く。

ところで私たちが卒業した時、先生は何歳だったのだろう?
「桜並木」は不思議な本で、著者の略歴等を整理した著者紹介欄がない。

ご本人の記述では、盛岡で生まれ半歳で東京は新宿の淀橋に移り育った、
と書かれているが、それが何年であったかは書いてない。

中学校の卒業は「昭和天皇の御大典の翌年」とあるのから
これから逆算すると大正3年前後のお生まれと思われる。

とすると我々の卒業時はまだ45、6歳である。

そう見えたかどうかの記憶が定かではないが、
手許に当時の先生の写真が一枚ある。





北海道修学旅行(昭和36年5月)で撮ったものである。
大きな岩の上にカメラを構えた姿はまだ若い。

先生は小柄ではあったが千人を超える教え子を擁する大人物である。



冒頭の写真は「桜並木」から引用しました。
また、修学旅行の写真は米田が撮影しました。

2012.10.24 米田書き込み



松岡先生の著書「桜並木」

2012年10月09日 | お話サロン
10月2日、堀さんからメールをいただきました。
「七技会のひろば」で使ってもらえばと思い松岡先生の「桜並木」を送ります、と。

さっそく、堀さんにお願いしました。
これぞわれわれの近況の一つの断面だから是非「七技会のひろば」に掲載したいと。
堀さんは承知してくださいました。
現物は翌3日に届きました。


以下は、堀さんから米田宛のメール(本体部は原文のまま、末尾挨拶部は省略)です。





米田さん、ご無沙汰しています。
最近家内から、余命短いと見られたか身辺整理を迫られています。
「こんな古い本など捨てなさい」といわれた本の山の中に、
松岡先生が昭和44年に著された「桜並木」がありました。

処分する前にもう一度と読み始めたら、
永年に亘り中央学園に在籍された松岡先生でなければ書けない、
とても貴重な内容で満たされていることが分りました。
「7技会のひろば」などのために活用できるのではないかと思います。

先生の生い立ち、中央学園高等部創立から大学部2回生あたりまでの記録や感想、
思い出などが記されています。

特に学生についての記述が多く、よく観察・分析されていたことに感心します。

入社以来10年のブランクの後、激烈な競争率を勝ち抜き、
年齢差が離れていて、向学心の強かった高等部1回生から、
徐々に変化してゆく各回の学生の傾向、特徴をよく把握されています。

我ら7回生については、
更に変化して学生気分を謳歌する均一な集団に変わった、と述べられています。

そう言えば小生も、せっかくの勉学チャンスを与えられながら、
サークル活動、旅行、授業をサボっての株取引など、まことに不届きな学生でした。
初期の先輩達から、大いなる非難を受ける存在でしょう。

そのほか、女性の訓練生のその後、兄弟の訓練生、女性事務員のこと、等々、
興味のあることも記述されています。

実は「7技会のひろば」は、開設後に少し見させていただきましたが、
その後あまり見ていませんでした。
このメールを送るにあたって最近のものを少し見ました。

米田さんとは、中等部からの同期なので昭和11年の誕生だと知っていたので、
喜寿の祝い品の文章を見て不審に思いました。
昨日私も祝い品を受取ったばかりだからです。
東京の千代田会は満年齢で祝うようですね。

これから幾つの賀寿を超えていけるか分りませんが、
茶寿の先には、110歳の皇寿があり、120歳は、大還暦というそうですね。
100歳を超えて人生を謳歌されている灘中、高校の国語教師、橋本 武の本で知りました。

聖路加病院の日野原さんは、10年先のスケジュール表を埋めているとのことです。
各種の行事で世界中を飛び回り、常時知的な活動をされているこのような人には、
皇寿、大還暦も目標と出来るでしょうが、怠惰な生活を続ける私には無理でしょう。

さて「桜並木」、今日2日夕方投函しましたが、
もしお持ちでしたら、同窓のどなたかに差し上げてください。

以下省略。



この先は、米田から堀さんへの返信メールです。

昨夕(3日)届きました。
まだぱらぱらめくりですが結構たくさんのことが書かれているようです。
これからゆっくり読ませていただきます。

奥付を見ると昭和44年11月発行となっています。
その頃は技術局に在籍し翌年2月に中央学園へ移っているので、
先生が発行なさったニュースを耳にしている筈ですが、
買っていないし覚えても居ません。

多分今と違いやることが一杯有り余って関心がなかったのでしょうか。
いずれにしてもしっかり読ませていただきます。
堀さん、ありがとうございました。







2012.10.09 米田書き込み