七技会は解散しました
七技会は、5月31日に解散しました。
七技会は、1961年(昭和36年)9月に「この先四年毎のオリンピック
の年に総会を開催し親睦を図りましょう」と約束を交わして、会員の数69人
で発足しました。
発足の翌日、会員は全国各地の各々の任地へ散って行きました。
第1回の総会を東京オリンピックの年(1964年)に行って以来、概ね約
束の通り全国に散らばる会員が、幹事役回り持ちで主には関東と近畿との地に、
また時には石川県、岐阜県にも足を延ばし、20回の総会=懇親会を行って来
ました。
第2回総会の会場は、千葉県館山で参加者数41人、そのときの平均年齢は
ほぼ33歳(概算)でした。
総会毎に「近況報告集」を作成し、全員が何かを書いて「俺元気!」と存在
を明らかにして来ました。
そんな総会も、20回の回を重ねて第20回を2019年に伊豆・修善寺で
開催しましたが、参加者11名+1名に留まりました。それでも、次回の約束
をし、担当していただく幹事の指名も忘れずに行い、4年後の再会を約束して
別れました。
にも関わらず第21回は、無情なコロナ禍に阻まれて一年延ばしの延期えん
きエンキで今日になってしまい、また会員の年齢も米寿を迎え、或いは超える
高齢化のため遠距離・長時間の旅行は無理!との懸念が重ねり、断念せざるを
得ない、との判断に至りました。
一方、会員の親睦を唯一・最大の目的とする「七技会」です。
「総会ばかりが親睦ではない」とは分かっているのですが、何をやろうにも、
例えば「近況報告集を作りましょう」と考えても、それをやる事務局も同じく
高齢です。いつ何時倒れるかも知れません。そろそろ年貢を納める潮時であろ
う、と観念しました。
幹事は、無い頭を絞って、七技会の幕閉めを考えました。幕閉めには、少な
いとは言え保有する資産を会員の全部が納得する方法で処分することが大切で
す。
いろいろ処分方法を考ました。
具体的には以下の案です。
第1案:何がなんでも集まれる会員が集まり、幕閉めを審議する総会を開
き、その費用に充てましょう。
第2案:残りを全部どこかへ寄付しましょう。例えば「逓信同窓会」等。
第3案:残りを全て会員に均等に配分しましょう。例え配分にどれだけ費
用が必要であろうとも。
幹事相談の結果、第3案を採用することにしました。
心配した分配(送付)に要した費用は、「七技会解散の宣言書」を会員に送
付する郵便料金を含めて20.5%で済みました。
各会員が手にしたのは、ひらひらと千円札が舞い散る風情を演出できる金額
には到底至りませんでしたがお小遣いの足しにはなったことでしょう。
以上の経緯で、前述の通り5月末日に七技会を解散しました。
会員の全員に「解散を連絡し、残余の資産の配分金」を5月29日に送付し
ました。
これに対して、十一人の会員各位から電話で或いはメール更には手書きの手
紙で受領連絡をいただきました。
何れの方も、解散の判断を「了」とし、これまでの七技会運営に対する労い
の言葉と共に「これからも連絡を密にして親睦を図りましょう」と書かれてい
ました。
とても嬉しく、またホッとした気持ちで受け止めることが出来ました。
また、皆さんに長い間ご覧いただいたこのブログは、七技会の解散に合わせ
てゆくゆくは閉じますが、取り敢えず少なくも8月末までは更新を続けます。
是非、見てください。意見をお寄せください。
最後に、皆さん、元気にお過ごしください。
コロナ禍は、5類になったとは言え、高齢者には相変わらず恐ろしい感染病
です。気を付けて、この先も「憎まれっ子世に憚る」の諺通りには憚かって生
き抜きましょう。いつまでも。
以上
2023.06.09 米田書き込み
次回の更新努力目標は、6月24日です。
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