七技会のひろば

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「七技懇親会」旅行の記

2013年11月24日 | 行事の記録と写真
       「七技懇親会」旅行の記

                        2013.11.24 吉田  柚木
1 錦秋の11月14日、JR静岡駅新幹線改札口で、定刻10時15分に今回旅行
 の参加者15名(今回も山内さんの奥様が参加、紅一点花を添えていただきました。)
 全員が勢揃いし、何年振りかの再会の人もありましたが、一気に話が弾みすぐに学
 園時代にタイムスリップです。
  一同、宿からの迎えのバスに乗り、一路南アルプスの麓「コンヤ温泉郷」に向け
 て出発。
  市街地を抜けて、安倍川沿いの曲がりくねった道を走っていくと次第に車窓の紅
 葉の色もあざやかに変化して、山峡の風景になってきました。真富士の里でトイレ
 休憩し、黄金の湯前で全員の記念撮影。
  紅葉は、紅・赤・黄・緑と、まさに絵の具を流したかと思えるほどのあでやかさ
 でした。
  駅から約1時間半の走行で、今回の宿「大野木荘」に到着し、全員で昼食は宿特
 製の「山菜そば」を食べました。

2 そのあと、残念ながら今回参加できなかった人達の分も含めた「ひと言近況集」
 が配られ、幹事から今日明日の予定等の説明があり、午後は各自自由行動となりま
 した。
 ・ 赤水の滝、コンヤのつり橋、紅葉・黄葉の野趣溢れる小道を 時折学園時代に
  思いを馳せながら ウォーキング。
 ・ また 宿専用のグランドゴルフに興ずる人など 思いのままの時間を楽しみま
  した。松澤さん 初体験いかがでしたか。また、山内夫妻のマッチプレーは、ほ
  のぼのとして とても良い雰囲気でしたよ。

  また、宿の温泉は、「清流に抱かれた山峡の秘湯」と言われ、その昔、武田信玄
 の隠し湯の一つで、信玄は甲府から身延に下り安倍峠を経てここに通ったと言い伝
 えがあるそうです。

3 夜の宴会は、山の日暮れは早いと言うことで、5時半から大きな囲炉裏の部屋で
 始まりました。
 a まづ 故人となられた10名の友に全員で黙祷を捧げ、在りし日のお元気な姿
  に思いを馳せました。
 b 続いて、次回の七技懇親会幹事は、甚田さん、水野谷さん(東京グループ)に
  お願いすることを決めました。
 c 更に七技会幹事 米田さんから「今回やむなく欠席された皆さんも次回には元
  気で一緒に集まれることを皆で願い祈りましょう。」との挨拶があり、次にもう
  一人の七技会幹事 友野さんの乾杯の音頭で宴がスタートしました。

  囲炉裏では、炭火が時折パチパチと爆ぜ、周りにはヤマメの串が並び、そして今
 朝切ってきたばかりの竹筒に酒が入れられて炭火で燗をつけるという“かっぽ酒”も
 ヤマメに並べて立てられました。
  お酒は、掛川の“開運” 藤枝の“志太泉” 由比の“正雪” 焼津の“磯自慢”と地酒
 の名酒が並び、飲むほどに酔うほどに座は一気に盛り上がっていきました。

  盛り上がってきたところで、全員が一人づつ 近況や現在の心境などを 個性豊
 かに披露。うなづく者、大向こうから声を掛ける者など賑やかに、またお互いの人
 生航路を重ね合わせながら 親睦を深め合い、更に 詩吟・マジック・そして学園
 時代の踊り?まで飛び出しました。

  楽しく、なごやかに盛り上がった宴は、3時間半に及び 9時に閉会となりまし
 た。
  最後に、山内さんの指揮で学園歌・寮歌を歌う 予定でしたが、あまりの盛り上
 がりに幹事が二人とも失念してしまい失礼いたしました。

4 閉会後は、各自部屋で 囲碁・酒盛り・談笑・入浴など三々五々過ごしました。
  水野谷本因坊と高橋名人の戦いは、ギャラリーからも盛んに声が掛かるなど深夜
 まで熱戦が続きました。さて勝負はどうなったでしょうか?
  露天風呂からは、山峡の月と星が きれいに輝いて我々の集いを見守っているか
 のようでした。

5 翌日は、朝から静かな雨となり、周囲の紅葉は昨日の華やかさとは打って変わり
 心に沁み込むような風情を見せていました。
  用事のある4名は、朝食後の送迎バスで帰路につき、残りの14名は、宿でゆっ
 くりし、昼食後静岡駅へ向い、再会を誓い合って解散となりました。

  今回は、吉田・柚木の二人で幹事をやらせてもらいましたが、皆さんのご協力あ
 りがとうございました。
  次回は、東京グループ(甚田さん、水野谷さん)よろしくお願いします。

6 末尾に全員による記念写真と懇親会のスナップ写真を掲載します。 

(追記)
  ・ 皆さん(出席者・欠席者)からいただいた「ひとこと近況」は、来月のブロ
   グに旅行記の第2弾として掲載する予定です。乞うご期待!
   (12月9日の予定です。)

  ・ 旅行についてのお気づきの点、感想等がありましたら、当ブログのコメント
   欄へ書き込みください。又は幹事へ直接連絡くださっても結構です。或いは
   メールアドレス 7gikai@mail.goo.ne.jp へどうぞ。

  ・ 出席者は以下の通りです。敬称を省略します。順番は慣れ親しんだ名簿順で
   す。
    今田 甚田 水野谷 三輪 山内 山内さんの奥様 柚木 吉田(以上1組)
    大理 近藤(繁) 高橋 友野 松澤 松戸 米田(以上2組)

  ・ 七技会の会計を預かっていただいている友野さんから乾杯の音頭に先立って
   「前回の総会以降の支出は一切なく、先に報告済みの資産残高に変更がありま
   せん」との口頭報告がありました。

                             以 上

 以下は写真です。

全員による記念写真

この写真が欲しい方は幹事又は 7gikai@mail.goo.ne.jp へご連絡ください。


会場の看板



懇親会に先立つお散歩



懇親会スナップ











近況を静かに語る松戸さん




声高らかに吟詠する柚木さん




手付き指裁き鮮やかな吉田さんのマジックショー





懇親会のお開き後の囲碁





懇親会のお開き後の雑談風景




七技懇親会旅行記終わり











「七技懇親会模様報告」の予告

2013年11月16日 | お話サロン

「七技懇親会」を11月14・15日、静岡の山奥「コンヤ温泉」で楽しみました。
参加者は14+1名、暖かい囲炉裏を真ん中に楽しみました。
モミジもキレイでした。しかし、天気は一日目:曇り空、二日目:本降りの雨。
「七技懇親会模様報告」は11月24日掲載を目途に、吉田さんが準備しています。
しばらくお待ちください。
お世話くださった柚木さん、吉田さん、ありがとうございました。
厚くお礼申し上げます。
また、次回幹事に決まった方、よろしくお願いします。楽しみにしています。
以上、次回記事の予告まで。


2013.11.16 米田書き込み



「楽しみます」の意味

2013年11月09日 | お話サロン
「楽しみます」の意味

 
 数日前、高校のクラス会があった。一晩泊まりの後、帰りの列車の乗り継ぎ
に若干の待ち時間が発生したので昔の通学路を歩いてみた。街並みは大きく変
わっていたが相変わらずの幅広いコンクリート舗装の道である。この道は通学
路であると同時に部活のトレーニングのランニングコースだった。
 その昔、近くの飛行場へ通ずる戦車も走れる軍用道路だった頑丈なコンクリ
ート舗装道路は、当時の男子高校生の履き物「厚歯」で歩くとカランコロンと
大きな音を立て、またランニングのズック靴には如何にも固い感じがカカトや
ヒザを刺激した。

 さて、その部活では、時々近隣の学校と或いは定期的な大会などの試合があ
った。試合に行くのは「エンセイ」と称して楽しみだったが、試合そのものは
懸命に力を振り絞り、またなかなか勝てないだけに苦しかったことを思い出す。
今となってはいい思い出であり、思い出を語り合うことは楽しいことではある
が・・・。

 ところでこの文のタイトルは、最近のオリンピックやそれに相当するレベル
の世界大会に出場する選手のテレビや新聞で見聞する選手の試合に挑む際のコ
メントである。
 大きな試合に立ち向かう選手が「試合を楽しみます」と言う。勝つことを期
待しているこちとらとしては「楽しむレベルの力しか出さないのかよ! しっか
り力一杯やってくれ!」と言いたくなる。

 「楽しみます」とスキージャンプの沙羅ちゃんが言えば、可愛いから、世代
が大きく違うから、ついついウンウンうい奴じゃと許してしまうが、水泳の北
島が同じことを喋ると「お前が楽しむために多額の選手強化費を掛けているん
じゃない! それなら若いのと代われ!」と言いたくなる。口には出さないけ
れど心の中でそう思う。

 いつ頃からだろう。たくさんの応援を背に大試合に挑む選手が「楽しみます」
と言えるようになったのは? それ以前だったら「ふざけるんじゃない、真面
目に頑張って来い!」と罵倒されただろう。楽しみを感じることが出来るのは
未だ力を出し切っていないからだ! と考えられていたからだろう。

 世代間の感覚の違いだろうか? 日本語としての「楽しみます」の意味する
ところが変化したのだろうか?

 今思い返しても試合中は楽しみよりも苦しみだったと記憶している。時々い
い籤を引き当てて弱い相手と対戦する時には余裕を感じて遊ぶことは無きにし
も非ずではあるが、それを「楽しむ」と言うと弱い者いじめとなり心が痛む。
しかし、勝ち星を得ることは楽しみではある。
 要するに得られた「結果を楽しむ」ことはあっても「過程を楽しむ」心境で
はなかった。

 超一流の選手は死に物狂いの試合そのものを楽しむ心境に達しているのか?
 それとも言葉としての「楽しむ」の意味が変わったのか?
 どちらなのか考え込む。
 さて、皆さんはいかがですか。



2013.11.09 米田書き込み





「七業からの反応」

2013年11月01日 | お話サロン
「七業からの反応」


七技懇親会のことをこの「七技会のひろば」へ何回か掲載していますが、それ
を読んでくださった七業会の八尾さんが、日々のメールの中でいろいろと触れ
ておられますので紹介します。
その中に「業務・技術の共同開催」の話が書かれていますが、これから先のや
り方として一考に値する方法かも知れません。
なお、これらはあくまで米田と八尾さんとの私的なメールのやり取りの中に書
かれたモノです。

10/17
『 七技会はいいよね続いていて。これが引き金になって七業会の連中から集ま
ろうという声が出てくることを期待しています。諸々の事情が許すならば飛び
入り参加したいくらいだ』(11月14日は、夏の初めの頃から計画していた趣味
の仲間との旅行と重なっているのだそうです。)

10/19
『 懇親会の中で、もしキッカケがあったら、業務・技術合同開催の可能性を打
診してもらえれば有り難いですね 』

10/24
『 七技会の会場の「梅が島温泉」は何処かで聞いた地名だと思っていたら思い
出しました。
その昔、南アルプスに登った時に聞いた温泉地でした。
昭和36年の5月だったと思うのですが、技術の相原さんと二人で南アルプスの荒
川岳から赤石岳の縦走に出掛けたのですが、三日間寒冷前線に叩かれて這う這う
の態で逃げ帰ったことがありました。その時に「梅が島温泉」の名前を聞いた地
名です。当時は真に秘境でしたが、今は静岡市になっていますから随分と開けた
のでしょうね 』



2013.11.01 米田書き込み