七技会のひろば

投稿、ご意見及び情報は米田へどうぞ
更新:毎月9日と24日が努力目標

「七技会のひろば」終了の挨拶及び「七技会のひろば」について

2023年08月24日 | お話サロン

  「七技会のひろば」終了の挨拶

          及び「七技会のひろば」について

 

 

      「七技会のひろば」終了の挨拶

                            2023.08.24  米田 

  私たちの七技会は、去る5月末日を以って組織的な活動を終えたました。こ

 れに伴い5月31日の「解散宣言」に記した通り、このブログ「七技会のひろ

 ば」は8月一杯で以降の更新を停止します。

  このブログを始めたのは、2011年5月でしたから足掛け13年、よくぞ

 まぁー続いたものです。この継続は、七技会の皆さんのご協力あればこその成

 果です。

  振り返りますと「賀詞交歓会」や「近況報告集」等としてワイワイガヤガヤ

 と葉書や文章にお集まり願って大きな賑わいを、今の流行りの言葉で言えば

 「オフライン七技会」を楽しみました。時には、一部の方々からたくさんの

 エッセイ等を次々投稿いただきました。また或る時には、七線会等の定期的な

 懇親会の様子を伝えていただきました。一方、ニュースとして「いろいろな集

 まりに付きもの表彰」や「叙勲」等を伝える役目も担わせてもらいました。

  しかし、年月の経過は非情です。我々生物の摂理と言えばそれまでですが、

 最近は「訃報」や先立った方々の「思い出」を載せる回数が増えました。

  いろいろと概ね月2回の記事の更新を続けて来ましたが、先行きを考えると

 ワンオペでは早晩限界にぶちあたると考え、数年前から「どなたか一緒にやっ

 て頂けませんか?」と何度か応援要請をいたしましたが、それぞれにお忙しい

 ようで、手を挙げてくださる方はいらっしゃいませんでした。そうこうしてい

 るうちに、私自身の健康状態が怪しくなり、「一時更新休止」を宣言せざるを

 得ない事態ともなりました。しかし、幸いにも短期で快復し、定期更新に復帰

 しましたが、先行きに不安は消えません。

  でもです。ワンオペを嘆きましたが、ワンオペを楽しんだのも事実です。や

 りたい放題を謳歌し、私物化で、顔を顰めている方もおいでだったかも知れま

 せん。これについては、ここでお詫び申し上げます。御免なさい。お許しを。

  そんなこんなの状況の下で冒頭に記した「七技会の組織的活動の終息」を宣

 言することになり、それに伴う「七技会の資産整理」も会計幹事を担当してく

 ださった友野さんのおかげで無事終了しました。

  組織的活動で残っているのは、このブログ「七技会のひろば」だけになりま

 した。

  以上の経過を踏まえて、このブログも、今日2023年8月24日で定期的

 な更を停止いたします。また、さみしいのですが11月末には「七技会のひ

 ろば」そのものをどんな形で行うかはこれからの考究事項ですが、何らかの形

 で終了させます。

  ブログを運用していた13年の間、時々皆さんから「あれを見たよ。面白か

 った!」或いは「こんな話も・・・」とコメントを頂戴しました。こんなコメ

 ントは次への力になりました。

  このブログ「七技会のひろば」の毎週の閲覧者数は、毎週大凡延300回/週

 前後でした。また、開設以来の総閲覧回数は、約15万回強を数えています。

  この数字が、ブログとして多い少ないは別として、たくさんの方々に見てい

 ただいたのだ!自画自賛に値する数字だと自負しています。

  ほんのちょっとの挨拶のつもりで書き始めましたが、ついつい長くなってし

 まいました。

  七技会の皆さん、七技会の組織的活動は終わりましたが、「七技」としての

 繋がりを終わりにするものではありません。

  この先も定期的に開催なさっている「拡大七線会」を先頭に、地域的な、同

 好会的な、これまでの井戸端会議的な、或いは居酒屋での友達付き合い、等々

 を軸に、第七回高等部技術科で得た地域を超えた繋がりを大切にし、楽しい

 流を続け ましょう。

  末筆ですが、皆さんのご支援・ご協力に心から感謝いたします。本当にあり

 がとうざいました。

  また、皆さんのこの先のご健康と末永いご安寧をお祈り申し上げます。

 

  蛇足ですが、最後にマッカーサー元帥の言葉を「七技会」に重ねてみました。

  Old Nanagikai never die, they simply fade away.

                でも、I shall return.  と言えないのが悲しい

           では、皆さん、ご機嫌よう!

 

                              以上

 

 

 

  続いて、「七技会のひろば」の名付け親として、また、最後の幹事のお一人

 としての友野さんに「七技会のひろば」の終了を見送る言葉を書いていただき

 ました。

  なお、原稿の依頼に当たって、内容、形式、文字数等に一切の注文を付ける

 ことなくお願いしたため、穴があったら入りたいちょっと面映い内容になって

 いますが、せっかく書いてくださったのです。素直にお受けしましょう。

  友野さん、ありがとうございます。

  以下は、友野さんの「七技会のひろばの終了を見送るお言葉」です。

 

 

 

 

       「七技会のひろば」について

                            R5.8.11 友 野

  卒業以来会員相互のコミューニケーションをはかる場として「近況報告集」

 なる冊子を作り総会などの際に配布してきたが、時移り手間と金のかかる冊子

 を配るのは止めインターネットを利用して意見交換をするようにしたらどうか

 というのが「七技会のひろば」発足の考えだった。従って“ひろば”は「共通の

 ひろば」の意で黙っていても会員から投稿があり“ひろば”で楽しい話し合いが

 できるものと思っていた。

  イメージは学園生活での“盆踊り”だ、提灯のぶら下がった会場で輪になって

 踊ったあの光景である。幹事の米田さんのお陰で立派な仕組みが出来上がった。

  しかしその後の様子をみるとしょぼしょぼと投稿があるくらいで仕組みが機

 能していない。会員は一杯飲んで輪になって踊るのは得意だが自ら文章を作り

 投稿するのはどうも苦手になったようだ。言われたことを従順に従うことに慣

 れ過ぎてしまったのか、それとも誰かがやるのを拝見させていただこうとの謙

 虚な心からか?このままではさびれてしまう。やはり誰か“ひろば”を引っ張る

 牽引者が必要である、ということで事務局としてまたもや米田さんの登場とな

 った。

  以降事務局がリードして維持管理にあたり、会員の訃報やそれに関連した投

 稿、会員の近況、トピックス、同窓の他の会の様子などが随時掲載され結構見

 応えのあるものとなり現在に至っている。運営は平たく言えば牽引者の後ろに

 従順な会員が付いて来たということではないかと思う。思ったこと、経験した

 ことを“ひろば”に投稿すれば(具体的には米田さんに送れば)あとはうまい具

 合に処理され”ひろば”に掲載される、まあなんと便利なものだと米田さんの御

 苦労はそっちのけで会員は極楽トンボを決め込んでいた。この実態について七

 業会の人からも“いいなあ、面倒を見てくれる人がいるなんてうらやましい”と

 の声を聞いている。何の滞りもなく順調に運営されたかと言えばそうでもない。

  ここまで立派に運営できたのは事務局の努力に負うところが大きい。近況報

 告集でもそうだったように黙っていては原稿は集まらない、どんな原稿を誰に

 頼もうか?から始まる仕事は気苦労のおおい大変な仕事だったと推察する。そ

 の役目を長いあいだ担ってくれた米田さんは“七技会のひろば”の立役者である

 とともに信頼の厚い運営者であった。このほかにも維持管理にまつわる多くの

 御苦労があったことと推測する。

  “ひろば”終焉にあたり米田さんに長いことお世話いただいたことへの感謝と

 敬意をささげます。ありがとうございました。

                              以上

 

 

 

 追伸:ブログ「七技会のひろば」は、今年の11月末日まで現在の形で閲覧

    出来るよう維持します。

    その後については時の流れの波に委ねます。

 

 追伸2:未練がましいのですが、もう一度、皆さんにお会いしたかったです。

    皆さんの現状を知りたいです。

    元気な方はともかく、積もり積もった歳の重みと戦っていらっしゃる方

    もおいでか?と思います。

    「負けるな一茶ここのあり」ではありませんが、七技会で楽しんだ諸々

    を思い出し打ち勝つまで戦いましょう。

 

 

 

 

 

2023.08.24 米田書き込み

 

 

 

次回更新の予定はありません。今回で終了です。

長い間、ありがとうございました。

 


訃報 甚田さん 及び 甚田さんのこと

2023年08月09日 | 訃報

    訃報 甚田さん 及び 甚田さんのこと

 

  去る7月13日に友野さんから「甚田さんの訃報」が届きました。

  「えぇ!甚田さんが!」あの元気なお方でしたから大きなショックです。

  詳しくは、「つい先日の五月二十二日 八十六歳でのご逝去」だそうです。
 
  心からお悔やみ申し上げ、ご冥福をお祈り致します。
 
             
 
 
  なお、恒例による「甚田さんの思い出」は、公私を通じで最も近かったと思
 
 われる友野さん願いしました。
 
  以下は、友野さんが書いてくださった「追悼の言葉」です。
 
 
 
 
 

           甚田さんのこと

                        令和5年7月31日 友野

  今年の5月13日に逓信同窓会首都圏支部から米寿のお祝いを受けた。甚田

 さんと一緒に。受賞者の挨拶をすることになり最初に指名された甚田さんは今

 に至るまでのステップをふくめていつになく丁寧な挨拶をした。いつもは二言

 三言で終わるのにめずらしいなとその時は感じた。“挨拶なんてチョコットでい

 いんだ聞いちゃあいねえよ、それより早く乾杯に移った方がみんなの為だ”と言

 うのがいつもの甚ちゃんだったのに。今思うと皆さんに伝えておきたかったの

 だろう、甚田と言う男がこうしてここにいるということを。その思いが丁寧な

 挨拶につながったのかもしれない。甚ちゃんにしてはめずらしいことだった。

  それから9日後に他界するなんて。

  7月12日に甚田さんからはがきが来た。会った時に“七線会の幹事、今度は

 俺だから近いうちに連絡するよ”との話があったから、てっきりその知らせと思

 って見たら5月22日に亡くなられたとの訃報であった。びっくりした。

  まさかと言う事が本当に起きるなんて、まさか甚田さんにそのような事が起

 きたなんて想像もできないことだった。同期の中で最後まで生き延び七技会の

 後始末をしてくれる人と思っていたのに、惜しい男をなくした。

  だけど一番びっくりしたのは奥様ではないか。四十九日を過ぎているのであ

 る程度落ち着かれているのではと電話したのだが、まだまだ情緒不安定な様子

 が受話器を通して伝わってきた。亡くなられた経緯は奥様と友人との情報をつ

 なげてみると、同窓会の後、数日して本人が体調不良を訴え救急車で運ばれた

 が数日間の入院で退院してきた。その後数日して再度救急車では運ばれ帰らぬ

 人となったということだった。

  武骨そうに見えるが結構細やかな心の持ち主で健康には気を使っていたよう

 に見えた。健康を維持するには「歩くこと」が大切と決め、江戸からの五街道

 を制覇するのだと意気込み、まず東海道、次は中山道と挑戦していた。仕事で

 は専門が線路と機械と異なっていたが同じころに同じ大部屋で仕事をしていた

 ように思える。六本木でいつも真夜中に顔を合わせていたことが懐かしい。酒

 にも沢山の思い出がある。退職後の会社勤めの頃も同窓の先輩ともども盃を交

 わしたことも良き思い出である。一見ずぼらそうに見えるがどうしてどうして

 計画的で繊細なところがあり、訃報葉書の原文も本人があらかじめエンディン

 グノートにしたため、残された者には何時何をすべきかまで細かく記載されて

 いたと聞いている。口先はうまいほうではないが心温かくよく気の付く男だっ

 た。

  これでまた良き飲み友達を一人なくした。淋しい。ご冥福を祈る。合掌。

                              以上

 

 

 

2023.08.09 米田書き込み

 

 

 

次回更新努力目標 2023.08.24