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入学旅行の宿「南間ホテル」

2012年08月24日 | お話サロン
入学旅行の宿「南間ホテル」

入学して間く、全員揃って奥日光湯元温泉へ行った。
目的は方々から集まって来た烏合の衆を結束させようとの顔合わせだった、と思われる。

この旅行の一番の記憶は、夕食後の大広間での「日光和楽踊り」の実習。
技術科の必修科目として花笠をくるりくるりと回しながらの踊りを覚えたことだ。
音頭の歌詞には「一目見せたや故郷の親に和楽踊りのこの姿」とあるが、そう思ったかどうか・・・。
更に「笠は花笠くるりとまわしゃ笠のかげから主の顔」においておやである。

泊まったのは「南間ホテル」。
記念写真はあるが、アルバムに貼る段階で建物の部分をカットしたので
どんな建物だったか全貌が写っていない。


             (技術科二組の記念写真)

ホテルは、明治15年(1882年)創業の名門であり、
建物や内装、調度品は創業当時の贅の限りを尽くした立派なものという。


今年のテレビの終戦特番で「南間ホテル」にまつわるエピソードが語られていた。
その番組の語るところによればこのホテルにも相当の紆余曲折があったらしい。

太平洋戦争敗戦の日の前後の半年間、東宮仮御所として使われた。
いわゆる東宮学童疎開の宿舎である。

当時の東宮は今上天皇。
東宮すなわち皇太子は、終戦の玉音放送を南間ホテルの一室で聞いた、
と番組は伝えている。

玉音放送の後、軍部の一部が徹底抗戦の砦とする動きの噂が立ち、緊張した場面もあった。
また、占領軍の進駐で米軍が接収し使用するなど混乱期を経験した。
その後、世の中が落ち着くまで修学旅行を優先して取扱う経営方針で生き残りを図ったらしく、
われわれもその一端を支えたのかも知れない。

しかし、南間ホテルは平成15年に倒産し、
跡地に「おおるりグループ」の旅館・ホテルとして「おおるり山荘」が営業している由である。

なお、南間ホテルの建物は外装内装とも立派なもので建物遺産として、
また南間ホテル創業以来の歴史の語り部として
その一部が栃木県益子に移築保存され、今も使われている。

建物の現在を忍ぶには「株式会社つかもと」が経営する食事処「平成館」を
インターネットで検索すると見ることができる。
URLは「 http://www.tsukamoto.net/lounge.html 」である。
記念写真の背景と同じ感じの建物が見える。
お試しあれ。




2012.08.24 米田書き込み




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