七技会のひろば

投稿、ご意見及び情報は米田へどうぞ
更新:毎月9日と24日が努力目標

最後の結婚披露宴

2014年12月24日 | お話サロン
最後の結婚披露宴


今年もあと一週間。今年は大塚さん相原さんの訃報ハガキを書いたなーと思い
出していたら、卒業間際の「七技会のいろいろ」を話し合ったホームルームに
想いが移りました。

「オリンピックの年に総会をやる」等の会則がほぼ決まり雑談的になった頃に
「最後の披露宴は全員持ち!」との動議が出たのを思い出します。
「同期生69人の最後に結婚式を挙げた者の結婚披露宴は七技会が費用を全額負
担し全員出席でお祝いする」
さすがに会則には書き込まれませんでしたが、記憶に刻まれました。

当時は若かったのですねー。
今と違って、晩婚化や少子化の軋轢は微塵もなく、人生のレールがイメージさ
れていた。
卒業すれば、それぞれがそれぞれの出身地に帰りそれぞれに伴侶を得て・・・、
それが当たり前と。
世間には、お節介な上役も世話焼きバーサンも健在だった。
確かに卒業してしばらく経って次々と結婚した。
結婚披露宴に出席し合い、結婚の挨拶状をたくさんいただきました。
私自身、TさんHさんAさんの披露宴に参列させていただきました。自身の結婚
式にもHさんに遠路を出席していただきました。

さて、「最後の結婚披露宴」の話はどうなっているのでしょう?
その時代の我々にとって結婚は大きな関心事だったのでしょう。
「誰それが結婚して彼奴は未だ」とのうわさ話が楽しかった頃が確かにありま
した。しかし、そのうち皆が落ち着くべきところに落ち着くと興味は薄れ、関
心事は「誰それは何々になった」等の社会的位置付けに移り、今では「あいつ
は何々を何したらしく歩き方がおかしくなったよ」等の肉体的変化にハナが咲
くようになってしまいました。

話を元に戻して「最後の結婚披露宴云々」の発想、案外残酷な話だったのかも
知れません。
個々人の条件を無視して「結婚するのが当たり前」を前提としており、これを
堂々と話題に出来た古き良き時代を謳歌したホームルーム。

今、この歳で全員参加のホームルームを開いたらどんな話に花が咲くのでしょ
うか?




2014.12.24 米田書き込み







次回更新は1月9日日の予定です。







以下は、七技会の意思とは無関係に入って来るコマーシャルです。

卒業アルバムの傷

2014年12月09日 | お話サロン
卒業アルバムの傷

 私の卒業アルバムには傷があります。先月お亡くなりになった相原さんの顔
写真が切り離されています。






憎くて切り取ったのではありませんが、その理由を書く前に相原さんについて
書きます。

相原さんは、七技一番のいい男だったと思います。男前で言うならば信越出身
のMさん、東海出身のYさん(いずれも一組)を挙げなければなりませんが、
気性や立ち居振る舞い、更に友達付き合いにおいていい男でした。もちろん見
目も頭の回転の良さも。ちょっとやんちゃなことも魅力でした。

さて、話を戻しますが、相原さんの結婚が早かったか遅かったかの記憶が定か
ではありませんが、相原さんに私の妹を貰ってもらおうと思って、卒業アルバ
ムの彼の顔の部分を切り取り、田舎の両親に送って「どうか?」と尋ねました。
そのために切り離された状態になったのです。
両親からは、遠い東京へ嫁に出したくない、金沢におきたい、と断って来たの
で立ち消えになりました。ですから相原さんの知らない話で終わりました。
それ以来、今もって相原さんは卒業アルバムから切り離された状態です。

この話を1999年の第12回 石川・山代温泉総会の懇親会の席で隣り合わせに座っ
たのを機会に、遠い昔話として彼に話しました。
彼は隣の奥様に「そんなことがあったんだって」と顔を見合わせて高笑いして
この話は終わりになりました。

相原さんは、そんな気持ちにさせる男でした。
「いい奴ほど早く逝く」って言葉、本当だと痛感します。いえいえ、残っている
方々も充分いい男ですよ。間違いありません!







2014.12.09 米田書き込み







以下は、七技会の意思とは無関係に入って来るコマーシャルです。